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関連審決 無効2014-800055
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事件 平成 27年 (行ケ) 10054号 審決取消請求事件

原告東和薬品株式会社
訴訟代理人弁理士早坂巧 神谷惠理子
被告 メルク・シャープ・アンド・ドーム・ コーポレーション
訴訟代理人弁護士窪田英一郎 柿内瑞絵 乾裕介 今井優仁 中岡起代子 石原一樹
訴訟復代理人弁理士 新谷紀子
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2016/03/30
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 特許庁が無効2014−800055号事件について平成27年2月3日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
-1-3 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
原告の求めた裁判
主文同旨。
事案の概要
本件は,特許無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟である。争点は,進歩性判断の当否(顕著な効果についての判断誤りの有無)である。
1 特許庁における手続の経緯 被告は,平成7年1月26日に国際出願され(特願平7-520074号。平成6年1月27日優先権主張(米国),平成15年10月10日に特許権の設定登録 )がなされた特許(本件特許。特許第3480736号。発明の名称「気道流路および肺疾患の処置のためのモメタゾンフロエートの使用」の特許権者である ) (甲21)。
原告は,平成26年3月31日,本件特許について無効審判請求をしたところ(無効2014-800055号),特許庁は,平成27年2月3日,「本件審判の請求は,成り立たない。 との審決をし, 」 同審決謄本は,同月13日に原告に送達された。
2 本件発明の要旨 本件特許の特許請求の範囲請求項1ないし3に記載された発明(本件発明)の要旨は,次のとおりである(以下,請求項の番号に応じて,例えば「本件発明1」などと表記し,請求項1〜3全てを指す場合は,単に「本件発明」と表記する。。
) 【請求項1】モメタゾンフロエートの水性懸濁液を含有する薬剤であって,1日1回鼻腔内に投与される,アレルギー性または季節性アレルギー性鼻炎の治療のための薬剤。
【請求項2】前記1日1回の投与量が25〜1000マイクログラムである,請 求項1に記載の薬剤。
【請求項3】前記薬剤が,季節性アレルギー性鼻炎を処置するためのものである,請求項1または2に記載の薬剤。
3 審決の理由の要旨(争点と関係の薄い部分はフォントを小さく表記する。) 審決は,本件発明1の構成については容易想到であると判断したが,その効果が顕著で当業者が予測困難なものであったとして,本件発明の進歩性を肯定した。審決の理由の要旨は,以下のとおりである。
(1) 原告の主張した無効理由の要旨 本件発明は,以下の甲1〜6に記載された発明(甲1発明〜甲6発明)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項により特許を受けることができないものであり,特許法123条1項2号により無効とすべきものである。
甲1:Wang C-J. 他,Journal of Pharmaceutical & Biomedical Analysis,10巻 7 号,1992 年,473〜479 頁 甲2:特表平5-506667号公報 甲3:Bryson,H.M. 他,Drugs,43 巻 5 号,1992 年,760〜775 頁 甲4:Ross,J.R.M. 他,Current Medical Research and Opinion,12 巻 8 号,1991 年,507〜515 頁 甲5:Storms,W. 他,Annals of Allergy,66 巻,1991 年,329〜334 頁 甲6:アトピー・アレルギー性疾患,最新内科学体系 23 巻,中山書店,1992 年,第 311〜315 頁,表紙,奥付 (2) 甲1を主引用例とした進歩性についての判断 ア 甲1発明の認定 「コルチコステロイドの1種であるモメタゾンフロエートを含有し,鼻腔内吸入により投与される,アレルギー性鼻炎のための候補薬。」 イ 本件発明1と甲1発明の対比 (一致点)「モメタゾンフロエートを含有し,アレルギー性または季節性アレルギー性鼻炎を対象とする」点。
(相違点) 相違点1:本件発明1は「水性懸濁液」であるのに対し,甲1発明ではそのような特定がなされていない点。
相違点2:本件発明1は「1日1回投与」されるのに対し,甲1発明では投与回数が特定されていない点。
相違点3:本件発明1は「治療のための薬剤」であるのに対し,甲1発明は「候補薬」である点。
ウ 相違点についての判断 (ア) 相違点1甲2記載のとおり,本件優先日時点において,モメタゾンフロエート一水和物(モメタゾンフロエート一水和物と同義。)の水性懸濁液を鼻から投与すること,及び,炎症状態の処置に有用であることは,当業者に既に知られていたものと認められる。また,技術常識を勘案すると,本件優先日時点において,モメタゾンフロエート一水和物とモメタゾンフロエートとは,薬効成分として同等のものであると,当業者は認識していたと認められる(本件特許公報の7頁左欄第43〜44行参照)。
その上で,甲1には,モメタゾンフロエートが局所的抗炎症活性を有することが記載されていることから,モメタゾンフロエートを含有し,鼻腔内に投与される,アレルギー性鼻炎のための候補薬である甲1発明において,同じく炎症状態の処置の目的でモメタゾンフロエートと同等のフランカルボン酸モメタゾン一水和物を含有し,鼻から投与することを特徴とする甲2に記載の水性懸濁液を剤形として採用することは,当業者が想到し得たものと認められる。
(イ) 相違点2甲3〜5記載のとおり,本件優先日時点において,アレルギー性鼻炎の治療のために,コルチコステロイドの鼻腔内噴霧を1日1回行うことは,当業者に既に知られていたものと認めら れる。
よって,コルチコステロイドの1種であるモメタゾンフロエートを含有し,鼻腔内に投与される,アレルギー性鼻炎のための候補薬である甲1発明において,同じくコルチコステロイドを,アレルギー性鼻炎の治療のために,鼻腔内噴霧することを特徴とする甲3〜5に記載の用法である「1日1回」を試みることにつき,動機付けはあるといえる。
(ウ) 相違点3「候補薬」の薬効や安全性を確認した上で,「治療のための薬剤」とすることは,当業者が一般に行う薬剤の開発手法にすぎないから,甲1発明における「アレルギー性鼻炎のための候補薬」を,「アレルギー性鼻炎の治療のための薬剤」とすることは,当業者が想到し得たものと認められる。
(エ) 効果の顕著性 本件発明の効果は,本件特許明細書の記載から,「アレルギー性鼻炎に対して,1日1回のモメタゾンフロエート投与で,効果的に処置でき(本件効果1),かつ,モメタゾンフロエートの血流中への全身的な吸収が実質的に存在しないことにより,所望しない全身性副作用を防げること(本件効果2)」であると認められる。
a 本件効果1について 甲1及び2には,1日1回の投与について記載はなく,これらの刊行物の記載から,当業者が本件効果1を予測し得たとは認められない。
また,甲1及び2のいずれにも,モメタゾンフロエートのアレルギー性鼻炎に対する治療効果の程度(強度及び持続性等)を確認した結果は開示されていないことや,治療効果の程度は,薬の種類により異なることが技術常識であることや,コルチコステロイドであれば,化学構造の違いにかかわらず同等の特性を有するとの技術常識は存在しないことを勘案すると,甲3〜5に,モメタゾンフロエートとは異なるコルチコステロイドの用法として「1日1回」が記載されていようとも,モメタゾンフロエートについても,投与間隔が長い1日1回の使用でさえ,アレルギー性鼻炎を効果的に処置できることを予測し得たとは認められない。
b 本件効果2について まず,甲2〜5には,モメタゾンフロエートの全身性の副作用についての記載は存在せず,これらの刊行物の記載から,当業者が本件効果2を予測し得たとは認められない。
次に,甲1には,モメタゾンフロエートが視床下部-下垂体-副腎(HPA)機能を抑制する潜在能力は最小限にしか示さない旨記載されている。ここで,本件明細書中の「重篤な全身性の副作用(視床下部-下垂体-副腎(HPA)軸抑制を含む)」なる記載(本件特許公報の2頁左欄第4〜5行参照。)より,甲1記載の「視床下部-下垂体-副腎(HPA)機能を抑制する」は,本件効果2における「全身性副作用」に相当し,甲1に記載された効果と,本件効果2とは,全身性副作用を小さくするという意味において,同質ではあると認められる。
しかしながら,甲1には,モメタゾンフロエートの全身性副作用が最小限であることについて,要約と,「モメタゾンフロエート(SCH 32088)は,局所的抗炎症活性を有しその一方で視床下部-下垂体-副腎(HPA)機能を抑制する潜在能力は最小限にしか示さない,合成のコルチコステロイドである[1,2]。」(473 頁左欄 3〜8行)という記載以外に存在せず,当該記載の根拠として引用された文献1及び2には,いずれも,モメタゾンフロエートを皮膚に適用した際の安全性について記載されているから,当該記載に触れた当業者は,皮膚に適用した際の全身性副作用が最小限であることについてのものと理解すると認められる。
ここで,コルチコステロイドの全身性副作用は,当該薬物が全身的に吸収されることにより引き起こされることが技術常識であるが,皮膚組織と,鼻腔粘膜組織とでは,その構造が大きく異なるため,皮膚に適用された薬の吸収性から,鼻腔粘膜に適用された薬の吸収性を予測することは困難である。
よって,皮膚に適用した際の全身性副作用について開示された甲1から,鼻腔粘膜に適用された際の全身性副作用の大きさを予測することは困難であり,本件効果2は,甲1の記載及び技術水準から,当業者が予測し得るものとは認められない。
さらに,甲1の「全身性副作用が最小限」であることについての記載が,皮膚に適用した際に限定されないとしても,以下の理由により,本件効果2は,当業者が予測し得る範囲のものとは認められない。
甲1は,アレルギー性鼻炎の経口吸入及び鼻腔内吸入による治療のための有望な新薬候補であるモメタゾンフロエートの薬物動態や毒性動態を測定するためのツールを提供することを目的として,ヒト血漿中の SCH 32088 の測定のための EIA 法を開発した旨が記載されており,新しく開発した EIA を用いてモメタゾンフロエートの親化合物の血漿濃度を測定する目的で,健康な男性にモメタゾンフロエートが溶液の形態で経口投与されている。
これらの事情を勘案すると,甲1に具体的に開示された投与方法は,「溶液による経口投与」しかなく,甲1の記載全体からも,「溶液による経口吸入」,「溶液による鼻腔吸入」が類推し得る程度であり,その他の剤形,その他の経路による投与方法は,記載ないし示唆されてはいない。
ここで,吸入されたコルチコステロイドの一部を患者は飲み込んでしまい,飲み込んだ部分は,胃腸管を通って全身性循環に達することは,技術常識であること,本件明細書には,水性懸濁液を経口投与することにより,溶液を経口投与する場合に比べて,モメタゾンフロエートの全身性吸収が格別に低く抑制でき,全身的な吸収が実質的に存在しないことが,実験結果と共に開示されていること(本件特許公報の表2,第1図など参照。)を勘案すると,「溶液による鼻腔吸入」に比べて,「水性懸濁液による鼻腔内投与」を行うことにより,吸入の際に飲み込んでしまったモメタゾンフロエートの全身性吸収を格別に抑制し得るものと認められる。さらに,本件明細書には,水性懸濁液を鼻腔内投与することにより,溶液を経口投与する場合に比べて,モメタゾンフロエートの全身性吸収が格別に低く抑制でき,全身的な吸収が実質的に存在しないことも,実験結果と共に開示されている。
その上で,コルチコステロイドの全身性副作用は,当該薬物が全身的に吸収されることにより引き起こされること,そのため,全身性吸収を抑制することにより, 全身性副作用を抑制し得る蓋然性が高いことから,投与方法として,「溶液による経口投与」,「経口吸入」,「鼻腔吸入」のみを開示ないし示唆する甲1において最小限であるとされる「全身性副作用」に比べて,本件発明における「所望しない全身性副作用」は,更に低いレベルにまで防がれており,本件効果2は,甲1に記載された効果と比べて,同質ではあるが際立って優れた格別顕著なものであると認められ,本件効果2は,甲1の記載から,当業者が予測し得るものとは認められない。
(オ) まとめ したがって,本件発明1は,当業者が予測し得る程度を超えた効果を奏するものであるため,甲1〜5の記載に基づいて,当業者が容易になし得るものとは認められない。
エ 本件発明2及び3について 本件発明2及び3は,本件発明1に限定を付した発明であり,本件発明1と同様の理由により,当業者が容易に発明をすることができたものとはいえない。
(3) 甲2を主引用例とした進歩性についての判断 ア 甲2発明の認定「炎症状態の処置に有用なモメタゾンフロエート一水和物を含む鼻腔投与用水性懸濁液。」 イ 本件発明1と甲2発明の対比(一致点)「モメタゾンフロエートの水性懸濁液を含有する薬剤であって,鼻腔内に投与される薬剤。」(相違点) 相違点4:本件発明1は「アレルギー性または季節性アレルギー性鼻炎を治療対象とする」のに対し,甲2発明は単に「炎症状態の処置」としか特定していない点。
相違点5:本件発明1は「1日1回投与」されるのに対し,甲2発明では投与回数が特定されていない点。
ウ 相違点についての判断 (ア) 相違点4 甲1記載のとおり,モメタゾンフロエートが,アレルギー性鼻炎の鼻腔内吸入による治療のための有望な新薬候補であることは,当業者に既に知られていたものと認められる。
よって,モメタゾンフロエートを含有し,鼻腔内に投与される甲2発明についても,アレルギー性鼻炎の治療のために有効であると期待し,その薬効を確かめてみることは,当業者が想到し得たと認められる。
(イ) 相違点5上記(2)ウ(イ)のとおり,コルチコステロイドの1種であるモメタゾンフロエートを含有し,鼻腔内に投与される,アレルギー性鼻炎のための候補薬である甲2発明において,同じくコルチコステロイドを,アレルギー性鼻炎の治療のために,鼻腔内噴霧することを特徴とする甲3〜5に記載の用法である「1日1回」を試みることにつき,動機付けはあるといえる。
(ウ) 効果の顕著性 本件発明の効果が顕著であることは,上記(2)ウ(エ)のとおりである。
原告の主張
1 取消事由1(本件効果1についての判断誤り) (1) 本件効果1について 本件明細書に記載された,本件発明1のアレルギー性鼻炎に対する1日1回のモメタゾンフロエート投与での「効果」は,あくまでも,薬効のないプラセボと比較したときの差異の有無という具体的判断基準でみたときの効果である。既存の有効な薬剤との比較等によって,効果の「程度」を評価したものではない。
(2) 本件効果1についての評価の誤り ア 審決には,本件効果1の予測可能性の判断に当たり,甲1の記載の参酌を怠った誤りがある。
甲1の記載は,局所的抗炎症活性を有し,その一方で視床下部-下垂体-副腎(HPA)機能を抑制する潜在能力は最小限にしか示さない合成のコルチコステロイド であるモメタゾンフロエートについて,代謝や薬物動態学及び毒物動態学(投与後,時間とともに,どのように吸収,代謝,分布,排泄されて行くか)は未だ評価されていないが,有望な生物学的及び薬理学的活性をこれまで示していること,鼻腔内吸入でアレルギー性鼻炎を治療するための有望な新薬候補であることを示している。
したがって,モメタゾンフロエートの鼻腔投与について,目的とする効果が期待でき,かつ,全身性副作用がないことも期待できたものといえる。
なぜなら,本件優先日当時,旧来のデキサメタゾンやベタメタゾンを除き,承認されていた又は開発中であった鼻腔内投与用の局所抗炎症コルチコステロイド剤では,HPA 機能抑制という全身性副作用の懸念が既に実質的に解消されていたという背景において(甲3〜5,7),仮に,甲1の著者が,皮膚投与とは別の用法,すなわち,モメタゾンフロエートの鼻腔内投与による全身性副作用の発現を予測したならば,鼻腔内吸入される形態のモメタゾンフロエートのことを「有望な新薬候補である」と記すとは考えられないからである。
また,モメタゾンフロエートを鼻腔内投与した場合の全身性副作用の程度を血中動態の面から予測することはできなかったとしても,全身性副作用の有無や程度は動物等に薬物を投与して HPA 抑制の有無や程度を測ることで直接に知ることができるから,予測するのは難しくない。
なお,本件明細書には,小児での安全性に関するデータはなく,長期間の治療による結果もないから,これらの効果を本件発明の顕著な作用効果として斟酌することはできない。大部分の経鼻投与用のステロイド(ベタメタゾン,デキサメタゾン以外)は,成人において安全であると考えられていたから,本件発明が大人に対して安全であるという効果は,顕著といえるようなものではない。
イ 審決には,化学構造の違いと特性に関する技術常識を勘案するに際し,コルチコステロイド全体を対象とした誤りがある。
コルチコステロイドであれば,化学構造の違いにかかわらず同等の特性を有するとの技術常識は存在しないことは間違いないが, 「コルチコステロイド」は,天然又 は合成による多くのステロイドホルモンの総称であり,それらの作用に基づき, 「ミネラロコルチコイド」と「グルココルチコイド」という2つの群に大別され,ナトリウムやカリウム等の塩類の代謝を調節する前者と,抗炎症作用や ACTH(副腎皮質に作用してコルチコイド分泌を促進させるホルモンである。分泌抑制等の作用上の )特性を有する化合物である後者という特性の全く異なる2つの群を包含するものであるから,少なくとも,モメタゾンフロエートと同様に抗炎症性であるコルチコステロイド,すなわち「グルココルチコイド」に該当する化合物に限定して特性の共通性の有無を検討し,その上で本件効果1の予測性の有無について判断しなければ,正しい判断はできない。そして,グルココルチコイド同士では,抗炎症作用や ACTH分泌抑制等の作用を有するという特性は共通しているから,本件効果1は予測不可能なものではなかった。局所抗炎症作用を与えるのは,コルチコステロイドにおける21クロロ基であるが,モメタゾンフロエートには,21クロロ基が含まれている。
ウ 審決には,甲3〜5に, 「1日1回という用法」以外に記載された内容を参酌しなかった誤りがある。
甲3の「更に,1000 名を超える患者を用いた5つの試験によれば,1日1回投与での 200μg/日のプロピオン酸フルチカゾンは,100μg ずつ1日2回投与するのとほぼ等しい有効性を有する。(762 頁4〜5行)という記載は,プロピオン酸フル 」チカゾンの 200μg という1日の投与量を鼻腔内に投与するに当たり,当該量を1日1回で投与しても,100μg ずつの2回に分けて投与しても,有効性は実質的に同等であったことを示している。また,甲4の「400μgの朝1回,又は 200μgの1日2回朝夕,4週間の投与としての鼻腔内ブデソニドの有効性と認容性を評価するために・・・二重盲検多施設試験を実施した。(507 頁2〜6行)「群間の差は統計 」 ,学的に有意でなかった。」 (507 頁10〜11行)という記載は,ブデソニドの 400μgという1日の投与量を鼻腔内に投与するに当たり,当該量を1日1回(朝)で投与しても,200μg ずつの2回(朝夕)に分けて投与しても,有効性に差はなかったこ とを示している。このように,甲3及び4は,それぞれの薬剤の鼻腔内投与では,1日2回に量を分けた投与であろうと,それに比べて投与間隔が長くなる1日1回でまとめて行う投与であろうと,治療効果に実質的な差がなかったことが示されている。そして,甲5は,1日1回の投与とそれ以外の回数の投与の直接比較をする試験を行ったものではないが,その背景や目的からすると, 「鼻腔内トリアムシノロンアセトニド 220μg と 440μg は,1日1回,12 週間にわたって使用されたが,通年性アレルギー性鼻炎の治療につき,プラセボより臨床的及び統計学的に優れていた。(329 頁 9〜12 行)という記載は,トリアムシノロンアセトニドの鼻腔内スプ 」レーが,従来の投与方法である,1日最高4回ではなく,1日1回の投与でも有効なことを示すものといえる。
このように,甲3〜5は,アレルギー性鼻炎の治療のための抗炎症コルチコステロイド,特にそれらの鼻腔内に局所投与される薬剤に関し,しかも,鼻腔内に1日複数回に量を分けて投与する代わりに,本件発明1と同様の1日1回でまとめて投与するという用法を採用しても,同様の効果があり,副作用がなかったことを示すものである。
なお,複数回投与という用法の方が一般的に用いられていたか否かという事実は,慣用的な投与法を示すだけであって,1日1回の投与での効果の有無について影響を及ぼすものではない。
エ 本件明細書を参照すれば,本件効果1の評価の基準は,プラセボとの比較であり,プラセボ以外の,例えば,特定の有効な同効の薬剤との比較等によってその効果の「程度」が客観的に評価されたわけではない以上,本件効果1自体がどの程度のものかが客観的に明らかではなく,効果の程度について,甲1及び2に記載のものも含めた従来技術における同一用途の鼻腔内投与用抗炎症コルチコステロイドの効果と比較衡量し得るものではない。プラセボと比較して差異があったとしても,モメタゾンフロエートは,局所的抗炎症活性を有するコルチコステロイドとしてアレルギー性鼻炎の鼻腔内吸入による治療のための有望な新薬候補であるこ とが知られており(甲1・473 頁左欄第 3〜8 行),しかも,「有望な新薬候補である」として鼻腔内投与でアレルギー性鼻炎に対する治療効果が期待されていたものであるし,また,炎症状態の処置に有用であることが知られていた化合物である(甲2・1頁右欄第8〜9行)から,全く効果のないプラセボとの比較で差異が確認されたからといって,その効果が当業者の予測可能な範囲を超えるほどに格別顕著であるということはできない。なお,本件効果1は,プラセボとの比較での差異であって,それ自体効果の程度(強度及び持続性等)の大小は定かでないから,甲1及び2に治療効果の程度が開示されていないからといって,それらと同質の効果と比べて当業者の予測可能な範囲を超えるほどの格別顕著な効果であるということはできない。しかも,モメタゾンフロエートの水性懸濁液をアレルギー性鼻炎の鼻腔内に投与すれば,炎症部位である鼻腔粘膜に薬剤が正に直接に触れ,水に溶解している薬物成分が粘膜に吸収されて,プラセボを投与した場合に比べて,抗炎症効果を発揮することは当然である。
また,モメタゾンフロエート以外の抗炎症コルチコステロイドは,鼻腔内投与を1日1回で行っても,複数回に分けて行っても治療効果が同等であることが,既に知られていたから(甲3〜5),投与が1日1回であるからという理由で,本件効果1が当業者の予測を超えるほどの格別顕著な効果であるということもできない。
オ 甲2には,モメタゾンフロエートについて,それが炎症の処置に有用であり,水性懸濁液の形で鼻に投与することが特に興味深いと記載されているし,本件発明1に係る薬剤の具体的組成は,甲2の実施例1〜5に記載された構成そのものであって,1日1回投与のための新たな構成を具備していない。したがって,本件効果1は,甲2発明が有していた効果そのものであり,この点からも,当業者の予測を超える程度の顕著な効果が,本件発明によって達成されたとはいえない。
2 取消事由2(本件効果2についての判断誤り) (1) 本件効果2についての認定の誤り 審決が認定した本件効果2は,本件発明の効果でない事項まで効果に組み込まれ ている。当該認定の内容中, 「所望しない全身性副作用を防げること」は本件発明の有利な効果であるが,モメタゾンフロエートの血流中への全身的な吸収が実質的に 「存在しないことにより」という部分は,上記の有利な効果をもたらす諸要因(親薬物と諸々の代謝物の血中濃度や薬理活性等)のうちの1つ(親薬物の濃度)に着目した理由付けであって,効果そのものではない。ステロイドの鼻腔内投与で全身性副作用がないという結果が生じるのであれば,このような結果をもたらす理由ないしメカニズムいかんにかかわらず,問題は解消されているから,理由ないしメカニズムは,ここにいう「効果」それ自体ではない。したがって,理由ないしメカニズムを効果に含めて認定したことは誤りである。なお,本件発明では,投与された量の8%弱のモメタゾンフロエートの未知代謝物が,長時間にわたって,循環血液中にとどまっていた可能性があるから,全身性副作用を防止できているか否かも疑わしい。また,本件発明は,治療用の薬剤であるから,全身性副作用の有無を評価するに当たり,治療用量以上の投与した場合を想定しても意味がない。
循環血中に吸収されたモメタゾンフロエート(親薬物)が非常にわずかであっても,それにより全身性副作用を生ずる場合には「吸収が実質的に存在しない」とはいえず,全身性副作用がほとんどないからこそ「吸収が実質的に存在しない」といえる。
「吸収が実質的に存在する」か否かは,全身性副作用が生ずるか否かと全く裏腹にあり,吸収が「実質的に存在しない」との判断は,結局のところ,被験者での測定で全身性副作用がほとんどないとことと本質的に同じであり,本件効果2は,「所望しない全身性副作用を妨げる」ということそれ自体である。
なお,本件明細書には,小児での安全性に関するデータはなく,長期間の治療による結果もないから,これらの効果を顕著な作用効果として斟酌することはできない。大部分の経鼻投与用のステロイド(ベタメタゾン,デキサメタゾン以外)は,成人において安全であると考えられていたから,本件発明が大人に対して安全であるという効果は,顕著といえるようなものではない。
(2) 本件効果2についての評価の誤り ア 審決には,技術水準を看過して本件効果2の予測可能性を判断した誤りがある。
審決が認めているように,全身性副作用を小さくするという意味において,本件効果2と甲1に記載された効果とは同質であるから,当業者が本件効果2としての全身性副作用を予測できたか否かについての判断は,本件効果2の「程度」が当業者の予測を超えるほどの格別顕著なものであるか否かという観点からなされなければならない。
そして, 「程度」とは,物事の高低,強弱,優劣などがどのくらいかという度合をいうものであり,あくまでも相対的な概念であるから,その評価には,少なくとも,いずれかの量的尺度における何らかの比較対象が必要であり,そのような対象を置くことなしに判断することは不可能である。したがって,本件効果2の程度を判断するためには,モメタゾンフロエート以前の従来のアレルギー性鼻炎の治療のための抗炎症コルチコステロイドの鼻腔内投与において,全身性副作用がどの程度であったか,あるいは,モメタゾンフロエートの鼻腔内投与についてどの程度の副作用が従来予測されていたかという点を斟酌することが必要である。
しかしながら,甲1には,「モメタゾンフロエート(SCH 32088)は,局所的抗炎症活性を有しその一方で視床下部-下垂体-副腎(HPA)機能を抑制する潜在能力は最小限にしか示さない,合成のコルチコステロイドである。(473 頁左欄 3〜8 行) 」という,HPA 機能の抑制が最小限である旨の記載があるし,モメタゾンフロエートが鼻腔内吸入でアレルギー性鼻炎を治療するための有望な新薬候補であるとの明示的記載もなされており,これらの記載は,モメタゾンフロエートの鼻腔投与について,目的とする治療効果が期待でき,かつ,全身性副作用がないことも期待できるものであることを示すものであるから,皮膚に投与した場合に限定して解釈される理由はない。
仮に,甲1の記載が「皮膚に適用した際の全身性副作用が最小限であること」と理解されるのであれば,甲1には,アレルギー性鼻炎に対して有効な量のモメタゾ ンフロエートを鼻腔内に投与した場合における全身性副作用の程度に関する具体的な記載は存在しないということになるから,本件効果2の程度の評価に必要な量的尺度における比較対象としては,甲1の記載に依拠することはできないはずであり,従来のアレルギー性鼻炎の治療のための抗炎症コルチコステロイドの鼻腔内投与において,全身性副作用はどの程度であったかという比較を可能にする具体的な基準が,別途必要であり,そのような基準を本件優先日前の技術水準に求めることが不可欠である。
それにもかかわらず,審決は,甲2〜5における技術水準の記載を一切考慮していない。そして,審決の他の箇所においても,技術水準を示す何らの証拠も参酌することなく,本件効果2について,当業者の予測可能性を否定した。
審決は,鼻腔粘膜に適用された際の全身性副作用の大きさの予測困難性を指摘するだけであるが,それだけでは,本件効果2の程度が,甲1発明等に示された技術水準からみて,当業者の予測を超えるほどの格別顕著なものであるか否かとの結論を導き出すことはできない。
イ 甲3,5及び12は,本件優先日以前において,アレルギー性鼻炎の治療のための抗炎症コルチコステロイドの使用に関し,経口で投与をした場合のような副腎抑制等の全身性副作用の懸念は,鼻腔内に局所投与においては,既に,実質的に解消されていたことを示している。被告側の専門家自身が,本件優先日当時について,2種のコルチコステロイド(ベタメタゾン,デキサメタゾン)を除き, 「経鼻投与のステロイドは成人において大部分は安全であることが考えられていた」と述べているが,これを無視することはできない。また,それらの薬剤のうち, 「1%未満」という非常に低い経口バイオアベイラビリティを有するものも,甲3が示すように既に知られていた。しかも,そもそも,鼻腔内に投与される従来の抗炎症コルチコステロイド剤に,副腎抑制のような全身性副作用がないことは,それらの抗炎症コルチコステロイド剤が,鼻腔内投与では全身的副作用を生じさせるような実質的なバイオアベイラビリティを有していないということと裏腹であり,換言すれ ば, 「鼻腔内投与では血流中への全身的な吸収が実質的に存在しない」ということに等しい。これらの技術水準は,甲7及び32〜35にも示されている。
一方,モメタゾンフロエートは,局所的な皮膚への使用に対して認可されていた抗炎症性コルチコステロイドであり,視床下部-下垂体-副腎(HPA)機能を抑制する潜在能力を最小限にしか示さないことが知られていたから,特にモメタゾンフロエートに限って,鼻腔内投与で全身性副作用の起こることが予測されていたという事情もない。
したがって,これらに示された技術水準と比較する限り,本件効果2は, 「所望しない全身性副作用を防げること」という点において,技術水準と差異はないから,当業者の予測可能な範囲を超えるほどの格別顕著な効果というにはほど遠く,当業者が予測し得る範囲のものである。また, 「モメタゾンフロエートの血流中への全身的な吸収が実質的に存在しない」という点についても,同様である。よって,本件効果2が当業者の予測可能な範囲を超えるほどの格別顕著な効果であるということはできず,審決の判断は誤りである。
なお,甲32〜35は,本件発明の技術分野における本件優先日当時の技術水準を裏付ける資料として提出されたにすぎず,最高裁昭和51年3月10日大法廷判決(民集30巻2号79頁)に抵触せず,その後も,実務上,提出が許されてきたものである。
ウ 審決は,投与方法の変更による効果の違いについての判断も誤った。
審決は,甲1に具体的に開示された投与方法は「溶液による経口投与」しかなく,甲1記載全体からも, 「溶液による経口吸入」「溶液による鼻腔吸入」が類推し得る ,程度で,その他の剤形,その他の経路による投与方法は,記載ないし示唆されてはいないと判断した。
しかしながら,甲1にはモメタゾンフロエートの溶液を経口投与したことが記載されてはいるが(478頁右欄 1〜14 行,図5,図説),モメタゾンフロエートの血漿中濃度の測定手段の評価を目的としている関係で,溶液を用いたにすぎず,組成 物の形態について,それ以上の特別な意味を見出すことはできない。
したがって,「溶液を経口投与する場合」を基準に定め,これと対比することで,「水性懸濁液を鼻腔内投与することにより」と,水性懸濁液の鼻腔内投与の効果を判断するのは,前提において誤っている。
また,たとえ,甲1の記載から,治療に用いる場合の投与形態として「溶液による経口吸入」「溶液による鼻腔吸入」が類推し得るとしても,本件効果2は技術水 ,準と比較して差異がないから,これを当業者の予測を超えるほどの格別顕著な効果であるとはいえない。モメタゾンフロエートは,溶解性が低い薬物であり,水にほとんど溶けないから,モメタゾンフロエートを「水溶液」の形態で鼻腔内投与用の製剤とする方が困難であり,本件発明のような「水性懸濁液」の形態の方が,可溶化のための添加剤の配合等の工夫の必要や,鼻粘膜への刺激等の考慮事項は生じず,甲2の実施例でも既に記載されていた。モメタゾンフロエートの水性懸濁液中では,液中にモメタゾンフロエートの固体(粉末)が分散した形態であり,溶液形態の製剤に比べて吸収されにくいが,モメタゾンフロエートの溶液では,最初からモメタゾンフロエートが完全に溶解しているから,その全体が吸収の対象となるのであって,モメタゾンフロエートの「溶液」と「水性懸濁液」とを経口投与した場合, 「水性懸濁液」の方で全身吸収の程度が大幅に低くなることは,当業者が容易に予測できたことである。
本件発明1は水性懸濁液であるが,甲3及び32からも明らかなとおり,従来の鼻腔内投与用の抗炎症コルチコステロイド製剤において,水性懸濁液の形態は知られており,投与された薬剤の一部を患者が飲みこんでしまう点も,全身性副作用がない点も,本件発明1と共通であった。
また,本件発明に係る薬剤の具体的組成は,甲2の実施例1〜5に記載された組成そのものであるから,本件効果2は,甲2発明が既に有していた効果そのものであって,本件発明により初めて達成された効果ではなく,甲2発明が有していた効果を追認したものにすぎない。したがって,本件効果2は,当業者の予測可能な範 囲を超えるほどの格別顕著な効果ということはできない。
なお,鼻腔内投与用の抗炎症コルチコステロイド製剤において, 「局所的使用についての使用上の注意がなされていた」か否かは,知らない。
被告の反論
1 取消事由1に対し (1) 本件効果1の認定 新薬の有効性を科学的に明らかにするための実験方法としては,全く薬理学的活性を持たないプラセボと比較することが合理的と考えられており,医薬組成物の臨床的有効性の確認は,プラセボとの比較で行うことがよく行われている。したがって,プラセボと比較した審決の効果の認定には誤りはない。本件効果1は,1日当たりの投与回数を問題とするものであるから,本件効果1及びこれに基づく進歩性を判断するに当たって,他の薬剤とモメタゾンフロエートの効果を比較する必要はない。
なお,本件効果1は,季節性アレルギー性鼻炎の患者201名に対する臨床実験を実施し,鼻汁や鼻づまり等の鼻腔症状,かゆみや目の充血等の非鼻腔症状の全ての症状について,患者のみならず,専門家である医師が,5段階で数値化した客観的な評価を行ったものである。
(2) 本件効果1の判断 ア 甲1は,モメタゾンフロエートの血漿濃度を測定するために新しく開発された,高感度の酵素免疫測定法に関する報告を目的とするものであって,モメタゾンフロエートそれ自体の性質や効能は,関心事項ではない。甲1において,モメタゾンフロエートとアレルギー性鼻炎についての関係についての言及は,SCH3 「2088は,喘息及びアレルギー性鼻炎の経口及び鼻腔内吸入による治療のための有望な新薬候補である」との一文しかないが,一般的に,薬剤の安全性及び有効性を評価するためには,その薬剤の代謝,薬物動態学及び毒物動態学のデータは不可 欠であり,それゆえに,モメタゾンフロエートについては, 「治療のための薬剤」ではなく, 「有望な新薬候補」の1つにすぎないのであって, 「有望な新薬候補である」という記載のみから,モメタゾンフロエートの水性懸濁液を1日1回鼻腔吸入した場合に,アレルギー性鼻炎を効果的に処置できることは予測できない。
甲1には,モメタゾンフロエートのアレルギー性鼻炎に対する治療効果の程度(強度及び持続性等)や副作用を含む安全性については,何ら記載がなく,当業者は,本件発明が「アレルギー性鼻炎に対して,1日1回のモメタゾンフロエートの投与で,効果的に(大人と小児の両方について安全に)処置でき」ることについては予測できない。
なお,甲1には,鼻腔投与されるモメタゾンフロエートの懸濁液の代謝,薬物動態,毒物動態について開示されていないが,この点は本件優先日前に知られておらず,鼻腔投与されるモメタゾンフロエートの懸濁液の全身性バイオアベイラビリティや副作用の程度についても,知ることはできなかった。
イ コルチコステロイドは,その作用から,主に糖質代謝を担うグルココルチコイドと,主に鉱質代謝を担うミネラロコルチコイドとに区別されるが,ほとんどのグルココルチコイドが,少なからずミネラロコルチコイド様作用を持っており,この区別はあくまで便宜的なものであり,特性において両者に絶対的な区別はない。
化学構造(基)がグルココルチコイドとミネラロコルチコイドの作用に関連性があるとしても,コルチコステロイドの全体的な特性や全身性作用について特定の化学構造の具体的な貢献を予測することが,容易であるとはいえない。なぜなら,コルチコステロイドの特性や全身性作用は,構造の相互依存性や,肝クリアランスや代謝などの生理学的メカニズムを含む複数の要因の正味の効果から生じるからである。化学構造とコルチコステロイドの全身性効果との間に直接的な相関関係を確立するには,一般的に継続的な研究が必要であり,多くの場合,そのような相関関係が存在しないという結論につながることは,従来から認識されていた。少ない投与回数でかつ副作用(全身性効果)を低減できることを含む,モメタゾンフロエート の鼻腔投与に望ましい特性は,鼻の組織と鼻の蛋白質を含む分泌物へ非特異的な結合親和性をもたらすフロエート部分に関連しているが,このようなことは予測できなかった。このことは,本件特許に対応する米国特許に関する訴訟で提出されたA教授の専門家報告書(乙20)の記載によっても裏付けられる。なお,モメタゾンフロエートが21クロロ基を備えたものであることは認めるが,ヒドロキシル基をクロロ基に置換することで,局所抗炎症活性を持つステロイドは,プロピオン酸クロベタゾル,ハルシノニド,楽酸クロベタゾンであるし,皮膚に対する抗炎症活性であるため,鼻腔投与した際の治療効果は不明である。
仮に,モメタゾンフロエートが分類されるグルココルチコイドに限定したとしても,実際に用いられるコルチコステロイドは,ほとんどがグルココルチコイドであり,グルココルチコイドであれば,化学構造の違いに関わらず同等の特性 「 (つまり,薬物動態,全身性バイオアベイラビリティ,薬力学を含む治療の効果)を有することの技術常識は存在しない」ことに,何ら変わらない。グルココルチコイドは,糖,蛋白,脂肪,核酸といった中間生成物の代謝を担い,広範囲の生理作用を発揮し,抗炎症作用,免疫抑制作用,造血器系に対する作用,糖・蛋白質代謝作用,脂肪代謝作用,カルシウム代謝及び骨に対する作用,骨格筋・皮膚に対する作用,精神活動に対する作用等,多様な薬理作用を有するが,グルココルチコイドの対象となる炎症は,アレルギー性鼻炎のみならず,皮膚炎,口内炎,気管支炎,リウマチ炎,視神経炎,結膜炎,内臓疾患に伴う炎症,膠原病に伴う炎症等,様々なものがあり,全てのグルココルチコイドが,アレルギー性鼻炎に効くわけではない。グルココルチコイドにおいて「抗炎症作用」が共通したからといって, 「モメタゾンフロエートの1日1回の使用で,アレルギー性鼻炎を効果的に処置でき」ることは予測できない。
グルココルチコイドの「ACTH 分泌の抑制等の作用」が共通するとしても, 「ACTH」(副腎皮質刺激ホルモン(adrenocorticotropic hormone(ACTH),脳下垂体による )コルチコトロピン)分泌の抑制の程度は,特定のグルココルチコイドを実際に投与 しないと確認できず,当該グルココルチコイドの適切な安全性と治療効果を知ることもできない。そのため,グルココルチコイドにおいて抗炎症作用や ACTH 分泌の抑制等の作用が共通するからといって,「モメタゾンフロエートの1日1回の使用で,アレルギー性鼻炎を効果的に処置でき」ると予測できない。したがって,モメタゾンフロエート以外のグルココルチコイドの用法として「1日1回」が他の刊行物に記載されていても,モメタゾンフロエートについても1日1回の使用で, 「アレルギー性鼻炎を効果的に(かつ安全に)処置でき」ることは,当業者は予測できないのであって,審決の判断に何ら誤りはない。
ウ 同じコルチコステロイドに属する化合物である点が共通しているとしても,特定のコルチコステロイドのアレルギー性鼻炎に対する治療効果から,別のコルチコステロイドの特性を予測することはできない。モメタゾンフロエートのような,臨床上,経鼻投与の方法が用いられたことのないコルチコステロイドの場合,独自の安全性評価が必要となる。薬の投与量や投与回数は,その薬の対象疾患の治療効果の程度と安全性に密接に関連するものであるから,アレルギー性鼻炎に対して,特定のコルチコステロイドにおいて,1日複数回に分けた投与であっても1日1回であっても効果が変わらないことが示されているからといって,モメタゾンフロエートが1日1回の用法で効果を有することは,予測できない。1日1回の用法が有効か否かは,特定の医薬品の形態に依存し,人に対する長期にわたる複雑な臨床試験により定められるべきものである。1回に鼻腔内に投与できる医薬品の量には限界があるから,1日1回の投与は,1日複数回の投与と比較して,治療効果を得る上で,困難性がある。
なお,本件優先日当時,アレルギー性鼻炎の治療薬として承認されていた鼻腔内吸入するコルチコステロイドの代表的な用法は,1日1回ではなかった(甲3〜5,32及び35) 本件優先日当時, 。 鼻腔内吸入するアレルギー性鼻炎の治療薬として承認されていたコルチコステロイドでは,「1日1回」より,むしろ「1日2回」,「1日3回」等の用法も,一般的に用いられていた。
エ 皮膚に塗布された場合と鼻腔吸入された場合とでは,薬物動態等が異なるため,皮膚局所適用により行うアトピー性皮膚炎について有効性が確認されていたとしても,鼻腔吸入によっても有効であるとは限らない。したがって,モメタゾンフロエートの薬物動態等のデータがなくても,皮膚局所適用で抗炎症活性を示すことが確認されているから,鼻の炎症の治療にも有効であることが予想できるといはいえない。
なお,本件優先日当時,19種類ものコルチコステロイド(全てグルココルチコイド)を含む皮膚疾患用抗炎症剤が承認されていたが,このうち,点鼻薬としても承認されていたコルチコステロイドは,デキサメタゾンリン酸ナトリウムとトリアムシノロンアセトニドの2種類のみであった(甲16〜18)。さらに,本件優先日当時,アレルギー性鼻炎薬の適応が承認されていた医薬品に含有されるコルチコステロイドとして,ベクロメタゾンジオプロピオネート及びフリニソリドが知られていたが,これらは,皮膚疾患を適応症としないコルチコステロイドであった(甲18,19)。これらの事実からも,皮膚炎に効果があるからといって,アレルギー性鼻炎に対しても有効であると予測できないことを示すものといえる。
オ 甲2の治療効果については, 「フランカルボン酸モメタゾンは,炎症状態の処置に有用であることが知られている。(1頁右下欄8〜9行)こと, 」 「特に興味深いことは,フランカルボン酸モメタゾン一水和物の水性懸濁液組成物を,例えば鼻から投与することである。(3頁左上欄21〜22行)という記載があるのみで 」あり,甲2には,「水性懸濁液」の形態を採用した理由と利点や,「水性懸濁液組成物を,例えば鼻から投与すること」が「特に興味深い」といえる理由については言及されていない。このような鼻腔吸入用のフランカルボン酸モメタゾン一水和物の水性懸濁液組成物が, 「炎症状態」の処置にどの程度有用であるのか,副作用の問題はないのかについて何ら示されておらず,アレルギー性鼻炎を効果的に処置できることについては何ら開示されていない。ましてや,フランカルボン酸モメタゾン一水和物の水性懸濁液組成物を1日1回投与することについての開示がない以上,こ れを1日1回投与することによってもアレルギー性鼻炎を効果的に処置できることについては示唆も開示もないのであって,本件効果1が甲2発明の有していた効果といえないことは,明らかである。
2 取消事由2に対し (1) 本件効果2の認定 ア 「効果」とは, 「ある行為によって得られた期待通りの良い結果」のことであるが,モメタゾンフロエートの血流中の全身的な吸収が実質的に存在しないこ 「と」は, 「モメタゾンフロエートの水性懸濁液を,1日1回鼻腔投与する」という行為によって得られた結果であり,効果であることは明らかである。この点を効果に含めて認定することは許されないとする原告の主張には,根拠がない。
「モメタゾンフロエートの血流中の全身的な吸収が実質的に存在しないこと」は,「所望しない全身性副作用を妨げること」の「要因」ではない。
「要因」とは「物事の成立に必要な因子,原因」,すなわち,効果を達成するための構成を指すが,本件発明において,「所望しない全身性副作用を妨げること」を達成するための構成は,「モメタゾンフロエートの水性懸濁液を,1日1回鼻腔投与したこと」であり, 「モメタゾンフロエートの血流中の全身的な吸収が実質的に存在しないこと」ではない。
イ そして,「全身性副作用」には,骨粗鬆症,皮膚萎縮,糖尿病,高血圧,胃潰瘍等さまざまなものが含まれ,本件発明における全身性副作用は,副腎抑制に限られない。しかも,1000mcg〜4000mcgという,通常の用量よりも高い用量でも副腎抑制が生じないという効果である。
ウ なお,本件効果2も,本件効果1と同様の臨床実験を実施し,客観的な評価を行ったものである。
(2) 本件効果2の判断 ア 甲1の「モメタゾンフロエート(SCH32088)は,局所性抗炎症活性を有する一方,視床下部-下垂体-副腎(HPA)機能の抑制する可能性は,最小限しか示さない,合成コルチコステロイドである。」旨の記載は,モメタゾンフ ロエートを皮膚に局所適用した場合についてのものである。皮膚への局所適用をした場合の全身性作用の程度から,鼻腔吸入した場合の全身性作用の程度を推測することはできない。
甲1に,モメタゾンフロエートが「有望な新薬候補である」と記載されているとしても,モメタゾンフロエートとアレルギー性鼻炎についての関係について述べるのはこの一文のみであり,鼻腔吸入した場合の全身性作用の効果について何ら開示のない甲1において,単なる「有望な新薬候補」であるとの記載から,本件効果2を予測することはできない。
当業者が本件効果2としての全身性副作用を予測できたか否かについての判断は,本件効果2の「程度」が当業者の予測を超えるほど顕著なものであるか否かという観点からなされなければならないという原告の主張には,根拠がない。同じコルチコステロイドであっても,副作用は様々であり,全身的な吸収や全身性副作用の効果を同様に論じることはできない。モメタゾンフロエートの効果を,ほかのコルチコステロイドの効果から推測する根拠はなく,これらの効果の程度を基準とすべき理由はない。
イ 本件優先日当時,コルチコステロイドを使用することのリスクについての見解は分かれており,特に長期間の使用や小児への使用についての安全性については懸念があり,本件優先日以前にコルチコステロイドの鼻腔内投与の薬剤について全身性副作用がなかったとはいえない状況にあった。
また,モメタゾンフロエート以外のコルチコステロイドを開示する甲3, 7, 5,12及び32〜35に,全身性副作用がなかったことが示されていたとしても,本件効果2が当業者の予測可能な範囲を超える格別顕著な効果であることには,何ら影響を与えない。本件明細書には,モメタゾンフロエートの総放射能の血漿中濃度が,定量限界(BQL)以下であることを示しているが,原告の提出するいずれの証拠も,公知の鼻腔内投与用の局所抗炎症コルチココステロイド剤が,定量限界以下の結晶中濃度しか示さないほど,全身性吸収が低く,全身性副作用が見られない ことを記載したものではない。鼻腔内投与したときの親薬物の全身性アベイラビリティが投与量の1%未満であることは,本件発明の顕著な効果である。同じコルチコステロイドに属する化合物であっても,その生理作用や薬理作用は様々であり,これに伴う全身性吸収や副作用の程度も様々であるから,単に同じコルチコステロイドに属する化合物であることが共通しても,特定のコルチコステロイドの全身性吸収や副作用の程度から,別のコルチコステロイドの特性を予測することはできない。臨床上,経鼻投与の方法が用いられたことのないモメタゾンフロエートについて,経鼻投与によりどの程度の全身性吸収がなされるかについては予測できない。
さらに,本件発明においては,モメタゾンフロエートの投与に当たって,全身性副作用を最小限とできる形態を調査すべく,溶液を経口投与した場合と,全身性吸収と水性懸濁液を経口投与した場合の全身性吸収について実験をまず行い,その結果に基づき,水性懸濁液を採用したのである。剤形により,薬理効果がどのように異なるのか,しかも,全身性吸収がどの程度になるかは,コルチコステロイドによって異なり,モメタゾンフロエートの溶液と水性懸濁液とで,全身性吸収にこのような顕著な差があることは,本件明細書に記載の実験により初めて明らかとなったのであり,モメタゾンフロエート以外のコルチコステロイドからこのような剤形の違いによる全身性効果の違いを予測することは,不可能である。溶液投与と比較して,水性懸濁液投与の吸収性が低いとは,必ずしもいえない。また,水性懸濁液の吸収性が低いとすれば,水性懸濁液の薬効自体が疑われることになる。アレルギー性鼻炎に対する特定のコルチコステロイドの投与において,全身性副作用がなかったことが示されているとしても,他のコルチコステロイドの投与に副作用がないとはいえない。本件優先日より少し前に刊行された乙11では,他の鼻腔投与されたグルココルチコイドが小児において顕著な副作用を有し,短期間の場合の下肢の成長を阻害する可能性と長期の場合に小児の身長の成長を阻害する副作用のために,小児のコルチコステロイドの鼻腔スプレーの使用について警告していたが,後に,この懸念は,アレルギー性鼻炎の小児に対するベクロメタゾンの鼻腔用スプレーの 推奨量での12か月間の継続使用が,小児の身長に大いに影響する研究によって証明された。このように,モメタゾンフロエートの水性懸濁液を1日1回鼻腔内に投与することにより,血流中の全身的な吸収が実質的に存在せず,所望しない全身性副作用を妨げるという本件効果2は,甲3,5,7,12及び32〜35からは予測できない。
なお,甲32〜35については,本件審決取消訴訟において新たに提出された証拠であり,これらの主張に基づく無効理由は無効審判においては審理されていないため,審決を違法とする理由として主張することは許されない(上記最高裁昭和51年3月10日大法廷判決)。
B教授の専門家陳述書(甲12)には,2つのコルチコステロイド製剤(ベタメタゾン,デキサメタゾン)は全身性バイオアベイラビリティが高く,副作用があることが知られていたが,経鼻投与のステロイドは,成人において,大部分は安全であると考えられていたことが,記載されている。しかしながら,かかる記載は,単に「安全」であることを漠然と述べるのみであって,全身性吸収や全身性副作用が最小限であるかどうかについて述べるものではなく,ましてや,モメタゾンフロエートについて全身性副作用の懸念がなかったことを意味するものではない。
甲3,5,7,12及び32〜35に接した当業者は,@鼻腔投与のコルチコステロイドの副作用のリスクの可能性が低いかどうか,A新たなコルチコステロイドがアレルギー性鼻炎の治療のための既存のコルチコステロイドと張り合えるだけの価値を有するものであるかどうか,Bモメタゾンフロエートがその代謝,薬物動態及び毒物動態が知られておらず,局所的使用についての使用上の注意がなされていたにもかかわらず,具体的にモメタゾンフロエートが更に検討の価値があると考えられるかどうかという3つの要素のバランスを,少なくとも検討する必要があり,そのような当業者が,1日1回の用法でモメタゾンフロエートを鼻腔投与することにより,血流中の全身性吸収が実質的に存在しないために所望しない副作用を防ぐ ことができるという本件効果2を,予測できたとはいえない。
ウ 甲1から,モメタゾンフロエートを「溶液による経口吸入」や「溶液による鼻腔吸入」した場合の全身性吸収の程度を類推できないのであれば,モメタゾンフロエートを鼻腔投与した場合の全身性吸収の程度はまして予測不可能であるから,本件効果2は予測できないものとなるはずである。
当裁判所の判断
1 審決が,本件発明の構成について,甲1発明に甲2〜5に記載された公知技術や周知技術を適用することは容易想到である,甲2発明に甲1,3〜5に記載された公知技術を適用することは容易想到であると判断した上で,本件発明の顕著な効果を認め,進歩性を肯定したため,原告は,審決の取消事由として,顕著な効果についての判断誤りを主張する。これに対し,被告は,本件発明の顕著な効果を認めた審決の判断は妥当と反論しつつ,併せて,審決の判断のうち,相違点に係る構成の容易想到性の判断についても争う旨主張する。しかしながら,審決の相違点に係る容易想到性を認めた判断が誤りであれば,本件発明の進歩性を肯定した審決の結論に誤りはないから,本件において,相違点に係る構成の容易想到性の判断の誤り自体は,審決を取り消すべき事由には該当しない。したがって,本件訴訟においては,相違点に係る構成の容易想到性を審理及び判断の対象とせず,本件発明の顕著な効果の有無の点についてのみ判断する。
2 取消事由1及び2について 本件発明の構成が,公知技術である引用発明に他の公知技術や周知技術等を適用することにより容易に想到できるものであるとしても,本件発明の有する効果が,当該引用発明等の有する効果と比較して,当業者が技術常識に基づいて従来の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものである場合は,本件発明がその限度で従来の公知技術から想到できない有利な効果を開示したものであるから,当業者がそのような本件発明を想到することは困難であるといえる。
したがって,引用発明と比較した本件発明の有利な効果が,当業者の技術水準から予測される範囲を超えた顕著なものと認められる場合は,本件発明の容易想到性が否定され,その結果,進歩性が肯定されるべきである。
そして,当業者が予測できない顕著な効果といえるためには,従来の公知技術や周知技術に基づいて相違点に係る構成を想到した場合に,本件発明の有する効果が,予測される効果よりも格別優れたものであるか,あるいは,予測することが困難な新規な効果である必要があるから,本件発明の有する効果と,公知技術を開示する甲1発明,甲2発明に加え,周知技術を開示する甲3発明〜甲5発明の有する効果についても検討する。この場合,本件発明における有利な効果として認められるためには,当該効果が明細書に記載されているか,あるいは,当業者が,明細書の記載に当業者が技術常識を当てはめれば読み取ることができるものであることが必要である。なぜなら,特許発明は,従来技術を踏まえて解決すべき課題とその解決手段を明細書に記載し,これを一般に開示することにより,特許権としての排他的独占権を取得するものである以上,明細書に開示も示唆もされず一般に公開されないような新たな効果や異質な効果が後日に示され,仮に,従来技術に対して有利な効果であるとしても,これを斟酌すべきものではないからである。このような観点から,以下,検討を進める。
(1) 本件発明について ア 本件明細書(甲21)には,以下のとおりの記載がある。
「本発明は,モメタゾンフロエートの血流への全身性吸収およびそのような全身性吸収に関連する副作用が実質的に存在することなく,上下気道流路および肺のコルチコステロイド応答性疾患(例えば,喘息またはアレルギー性鼻炎)を1日1回の服用で処置する薬剤を調製するためのモメタゾンフロエートの使用に関する。(1 」欄13行〜2欄3行)「モメタゾンフロエートは,局所的な皮膚への使用に対して認可されたコルチコステロイドであり,コルチコステロイド応答性皮膚病の炎症性および/またはそう痒 の発現を処置する。… 特定のコルチコステロイド…は,鼻炎および気管支喘息のような気道流路および肺の疾患を処置するために市販されている。しかし,これらの技術は,局所的抗炎症活性を有する全てのコルチコステロイドが必ずしも鼻炎および/または喘息を処置することにおいて活性ではないことを教示している。さらに,局所的に活性なコルチコステロイドが,気管支喘息の処置時に活性を示し得るとしても,このようなステロイドの長期間の使用は,重篤な全身性の副作用(視床下部-下垂体-副腎(HPA)軸抑制を含む)の発症があるため,制限されている。…吸入によって投与される局所的に活性なステロイド…は,…大部分を,患者は飲み込んでしまう。…飲み込んだ部分は,胃腸管を通って全身性循環に達し得,そして所望しない全身性副作用を引き起こし得る。…従って,容易に生物学的に利用され得ない局所的に活性なステロイドは,…治療上の利点を提供し,そしてその局所的に活性なステロイドは,経口嚥下…によって経口投与される任意のコルチコステロイドよりも優れている。(2欄4行〜3欄26行) 」「従って…治療上有効であって,かつ,鼻腔内投与…によって投与されたときに,低いバイオアベイラビリティと低い全身性副作用とを示すコルチコステロイドを見出すことが望まれている。(3欄44〜48行) 」「本発明は,アレルギー性鼻炎に対して効果的に1日1回の服用で鼻腔内を処置するための薬剤を調製するためのモメタゾンフロエート水性懸濁液の使用を提供する。
ここで,このモメタゾンフロエートの血流中への全身的な吸収は,実質的に存在しない。(3欄50行〜4欄4行) 」「本発明者らは,驚くべきことに,モメタゾンフロエートが,上下気道流路および肺の表面で作用することにより,実質的に最小の全身効果を有す一方で,喘息およびアレルギー性鼻炎のような気道流路疾患の処置に優れた抗炎症効果を示すことを発見した。鼻腔内または経口吸入により投与されるモメタゾンフロエートの全身効果の実質的な最小限化は,モメタゾンフロエートの血漿中放射能の高速液体クロマ トグラフィー(HPLC)による代謝産物のプロファイルによって,肝臓におけるその実質的に完全な(>98%)一次代謝,およびコルチゾル分泌レベルにおける最小の低下により測定した。
モメタゾンフロエートが経口的に(すなわち,経口懸濁液として飲み込まれる)または経口吸入もしくは鼻腔吸入により投与される場合,モメタゾンフロエートの全身的な血流中への吸収は実質的に存在しない,すなわち,胃腸管から血流へ到達する親薬物は本質的に存在しない(実質的に1%未満のモメタゾンフロエート) 経 。
口または鼻腔吸入投与後,血流中に認められるいずれのモメタゾンフロエートも,既に肺および/または気道流路組織を通過している。それゆえ, 「無駄な」薬物…はない。従って,モメタゾンフロエートは,喘息およびアレルギー性鼻炎のような気道流路および肺の疾患を処置するため理想的なである。
…本発明に従って,喘息およびアレルギー性鼻炎を患う患者へ投与されたモメタゾンフロエートにより示される優れた安全性プロファイルに加えて,モメタゾンフロエートはまた,喘息およびアレルギー性鼻炎処置に,優れた安全性プロファイルが示唆するよりも予想以上に高いレベルの効力を示す 。 (5欄30行〜6欄19 」行)「モメタゾンフロエートは…水性懸濁液の形態で,…投与され得る。本発明の水性懸濁液組成物は,モメタゾンフロエートまたはモメタゾンフロエート一水和物…を水および他の薬学的に受容可能な賦形剤と混合することにより調製され得る。国際出願番号PCT/US91/06249,特にモメタゾンフロエート一水和物およびそれを含有する水性懸濁液の調製に関する実施例1〜5を参照のこと。本発明の水性懸濁液,懸濁液1gあたり約0.01〜10.0mg…のモメタゾンフロエート一水和物を含有する。… …アレルギー性…鼻炎を処置するための上気道流路または下気道流路のアレルギー性…疾患の処置のために,水性懸濁液…として投与され得る,実質的に非系統的な生物学的に利用可能なモメタゾンフロエートの量は,単回または分割用量におい て,約10〜5000マイクログラム(「mcg」)/日…の範囲である。
アレルギー性および非アレルギー性鼻炎を処置する場合,モメタゾンフロエートの水性懸濁液は…鼻腔内投与し得る。…効力は,一般的に,鼻腔の症状…の減少によって二重盲検の様式で評価される。…」(8欄26行〜9欄37行)「モメタゾンフロエート(モメタゾンフロエート一水和物の水性懸濁液の形態で鼻腔内投与される)を,季節性アレルギー性鼻炎の患者を処置するのに使用した。… いくつかの第I相試験は,モメタゾンフロエート一水和物の水性鼻腔スプレー懸濁液処方物を用いて完了した。無作抽出,第三者盲検,プラセボコントロールを用いる,上昇単回用量の安全性および耐性研究において,水性鼻腔スプレー懸濁液処方物を8名の健康な男性ボランティアに投与した。投薬を午後11時に行い,そして以後24時間の間,血漿中コルチゾル濃度を測定した。プラセボと比較して,1000mcg,2000mcg,および4000mcg用量におけるモメタゾンフロエートは,血漿中コルチゾルプロファイル曲線下の24時間領域(AUC 0-24)に有意な影響を与えなかった。
追跡多用量研究において,48名の正常な男性ボランティアを,…パラレルグループ研究に登録した。それぞれの4つのグループの12名のボランティアは,28日間以下の処置の1つを受けた:A)モメタゾンフロエート一水和物の水性鼻腔内スプレー懸濁液処方物,400mcg/日;B)モメタゾンフロエート一水和物の水性鼻腔内スプレー懸濁液処方物,1600mcg/日;C)鼻腔内へのプラセボ;D)経口用プレドニソン,10mg/日。すべての処置を毎朝1回の投与として行った。…プラセボと比較して,2つの用量のモメタゾンフロエート水性鼻腔スプレー処方物は,いずれもコルチゾル分泌における何らの変化とも関連しなかった。
さらに,鼻腔スプレー処方物として200mcgの3H-モメタゾンフロエートを用いる単回用量の吸収,排泄および代謝研究を6名の正常な男性ボランティアで行った。全身的な吸収(尿排泄に基づく)を3H-モメタゾンフロエートの静脈内投与された用量と比較した場合,8%であった。血漿中放射能のレベルが定量限界 より低かったため,代謝物プロファイリングによって親薬物の血漿中濃度を決定できなかった。これらのデータは,モメタゾンフロエートの実質的に1%未満のバイオアベイラビリティに一致する。本明細書中下記の表1および表2を参照のこと。
用量変化の,安全性および効力研究において,モメタゾンフロエート水性鼻腔スプレー処方物を,50mcg/日,100mcg/日,200mcg/日,800mcg/日の用量で,またはプラセボを,季節性アレルギー性鼻炎の480名の患者へ4週間投与した。…統計的分析の結果は,すべての用量のモメタゾンフロエートはプラセボと比較して効果的であることを示した。これらの結果は,季節性アレルギー鼻炎の患者への鼻腔スプレーとしてのモメタゾンフロエートの水性懸濁液の投与は有効であり,全身的な副作用の能力をほとんど有さず良好に耐性であることを示し,そしてこれらの結果は,モメタゾンフロエートの低い経口バイオアベイラビリティと一致する。(13欄43行〜14欄48行) 」「…「アレルギー性鼻炎または季節性アレルギー性鼻炎の処置における作用の迅速な開始」は,中程度の開始でモメタゾンフロエート鼻腔スプレーで処置したアレルギー性鼻炎の患者は,プラセボ鼻腔スプレーで処置したアレルギー性鼻炎患者の72時間と比較して,総鼻腔症状スコアが約3日(35.9時間)でベースラインから中度のあるいは完全寛解へ臨床的かつ統計的に有意に減少することを意味する。
これらの結果は,無作為抽出,二重盲検,多施設の,プラセボコントロールを用いる,パラレルグループ試験において得られ,モメタゾンフロエート鼻腔スプレーの投与の開始と,季節性アレルギー性鼻炎の症状がある患者の総鼻腔症状スコアにより測定される臨床的効力の開始との間の期間を特徴付けた。研究は14日間継続した。201名の患者からのデータを分析に使用した。
…臨床的評価 …各患者に,モメタゾンフロエートの水性懸濁液またはプラセボのいずれかを含む計量鼻腔ポンプスプレーボトルを与え…患者に薬物(モメタゾンフロエート50mcg/スプレー)またはプラセボをそれぞれの外鼻孔へ1日1回2スプレーずつ, 毎朝送達するように通知した。… 結果 主要な効力の結果は,モメタゾンフロエート鼻腔スプレーグループおよびプラセボグループについての寛解の開始時間…の生存分析 …に基づく。… 201名の患者からのデータを生存分析に用いた。モメタゾンフロエート鼻腔スプレーグループには101名の患者,およびプラセボグループには100名の患者がいた。… 生存分析の結果は,プラセボグループの72時間に比較して,モメタゾンフロエート鼻腔スプレーグループは35.9時間の寛解の中央の開始時間を有したことを示唆した…。2つのグループの生存分布のプロットから,プラセボグループにおいて増加する期間を伴う…やや寛解または寛解せずと報告した割合は,モメタゾンフロエート鼻腔スプレーグループと比較してより高かったことが認められた。対数-ランク(log-rank) を使用すると,データは,2つの処置グループの間の統計上の有意な差異を示した(p値<0.001)。
朝および夜の平均した日記データの分析は,モメタゾンフロエート鼻腔スプレーグループについてのベースラインからの鼻腔症状の総スコアの減少(15日間の平均について) プラセボグループでの減少よりも統計上有意に高いことを示した。
は, 」(14欄49行〜17欄39行)「薬物代謝/臨床的薬理学的研究 各グループに6名の正常な男性ボランティアを有する6つのグループに,トリチウム標識モメタゾンフロエート( 3H-MF」 「 )を…投与することによって薬物代謝および臨床的薬理学的研究を実施した。血液および尿サンプルを,全薬物(代謝物を含む)の測定のために回収した。
…これらの研究の目的は,溶液としておよび一水和物の水性懸濁液として経口嚥下による投与後,標準計量用量吸入器(MDI)および間欠装置を含有する計量用量吸入器(Gentlehaler)からの懸濁液として経口吸入による投与後,鼻腔スプレーユニットからのモメタゾンフロエート一水和物の懸濁液として鼻腔吸 入による投与後,および溶液として静脈内注入による投与後の…3 H-MF…の吸収,代謝,および排泄を測定することであった。
…研究デザイン 6つの処置グループのそれぞれにおける6名のボランティアは,表1に列挙される以下の3H-MF投与形態の1つを服用する。
血漿,尿,…および糞便のサンプルを回収し,そして放射能含量についてアッセイした。血漿中放射能についての定量限界値(LOQ)は,LOQが0.025ng eq/mlであった鼻腔スプレー処置を除いて,0.103〜0.138ngeq/ml.の範囲であった。選択された血漿,尿,および糞便サンプルを,代謝物プロファイルを対象に分析した。
結果 …薬物動態学-総放射能の平均血漿中濃度(n=6)を,まとめて図1に示し,そして総血漿中放射能に由来する平均薬物動態学パラメータ(n=6)は,表2に示される。
血漿中放射能を有する種々処方後の図1および/または尿の排泄データに説明され,そして表2に示される血漿中放射能と静脈内への処置後の血漿中放射能との比較は,3H-MFを溶液として経口投与した場合に,薬物由来の放射能が完全に吸収されることを示した。対照的に,経口の懸濁液として,または鼻腔スプレーの懸濁液としての3H-MF投与後の薬物由来放射能の全身的な吸収は,用量の約8%であった。… 放射能は,用量形態および投与の経路に関わりなく,糞便中に優先的に排泄される。尿中の放射能の排泄はそれぞれ,静脈および経口溶液処方物について約25%であり,…そして鼻腔スプレーおよび経口懸濁処方物の両方について2%以下であった。従ってこれらのデータは,溶液処方物として経口投与された場合,薬物が良好に吸収されるが,懸濁処方物として経口または鼻腔内に投与後は,僅かしか吸収されないことを示す。
選択された血漿,尿,および糞便抽出物を,代謝産物プロファイルを決定するための放射線フローモニタリングを伴う…HPLC…により分析した。これらの分析の結果は,経口用溶液の投与後,血漿中放射能のほとんどは,…代謝産物と関連していることを示した。3時間の血漿中放射能の約1.5%は,広範な初回通過代謝,および肝臓による迅速な不活性化を示す親薬物に関連していた。対照的に,静脈内投与後,3時間の血漿中放射能の約39%は,親薬物に関連していた。…一般に,鼻腔および経口経路による懸濁液投与後の放射能の血漿中濃度は,低過ぎて代謝産物の性質付けは成し得なかった。
…これらの薬物代謝/臨床薬学的研究の結果は以下のことを示す: 1.3H-MFを溶液として男性ボランティアに経口投与した場合,薬物由来の放射能は,完全に吸収された。しかし,未変化のモメタゾンフロエートの絶対的バイオアベイラビリティは,広範な初回通過代謝のため極めて低い(約1%未満)。
… 3.3H-MFの鼻腔スプレーおよび経口懸濁処方物の投与後,薬物由来の放射能の吸収は約8%であった。
4.未変化のモメタゾンフロエートの血漿中濃度は,…決定され得なかった。何故なら,総放射能の血漿中濃度が代謝産物の性質付けには低すぎたためであった。
5.モメタゾンフロエートは,全ての経路の投与後,広範に代謝された。
表2に示されるように,3H-MF由来の放射能は,全身的な吸収が,経口嚥下懸濁液または鼻腔内吸入懸濁液から(8%)よりも,経口嚥下溶液から(約100%)の方が高かったことを示唆する。モメタゾンフロエートは,静脈注入による薬物の投与,または溶液投与形態としての経口投与の後,…血漿中に検出可能であったが,経口または鼻腔懸濁液の投与後には,検出され得なかった。同様に,溶液処方物で投与した後の尿への放射能の排泄は,鼻腔スプレーまたは経口懸濁液で投与した後(2%)よりも大きかった(25%)。尿および糞便中の総回収率または放射能は,それぞれ87%および75%であり,放射能のほとんどは,糞便中に排泄されてい た。静脈内投与後,排泄された総放射能は78%であり,24%が尿中に排泄されており,そして54%が糞便中に排泄されていた。」 (18欄11行〜26欄31行)「表1 」 「表2 」 「第1図 」 イ 以上の記載によれば,本件発明の効果として,次のことが記載されているといえる。
すなわち,まず,治療効果については,1日1回,鼻腔に,モメタゾンフロエート水性懸濁液(モメタゾンフロエート100μg用量)を投与した101名のアレルギー性鼻炎患者,及び,プラセボを投与した100名のアレルギー性鼻炎患者を分析した結果,両者は,統計上の有意な差異を示し,モメタゾンフロエートを投与したグループについてのベースラインからの鼻腔症状の総スコアの減少は,プラセボグループでの減少よりも統計上有意に高いことを示したこと(14欄49行〜17欄39行)が記載されており,アレルギー性鼻炎に対して,1日1回のモメタゾンフロエートの鼻腔内投与で,プラセボとの対比において,治療効果があることが記載されているといえる。
次に,全身的な吸収及び代謝については,各々6名のボランティアから構成されるグループに対し,3H-MFを,経口溶液,経口水性懸濁液,鼻腔スプレー懸濁 液,静脈内注入溶液等として投与後に回収した血漿,尿,糞便等のサンプルの放射能含量をアッセイしたところ,薬物由来放射能の全身的な吸収が,経口溶液として1.03mg(1030μg)用量を投与した場合には用量の100%を示したのに対し,経口懸濁液として0.99mg(990μg)用量,又は鼻腔スプレー懸濁液として0.19mg(190μg)用量投与した場合には用量の8%を示すに留まり,かつ,モメタゾンフロエート自体は,経口溶液として投与した場合には血漿中に検出することができたが,経口懸濁液又は鼻腔スプレー懸濁液として投与した場合には血漿中に検出することができなかったこと(18欄11行〜20欄38行,26欄17〜24行,表1,表2)が記載されており,経口溶液と比して,経口懸濁液及び鼻腔スプレー懸濁液の方が,モメタゾンフロエートの全身的な吸収が低く,モメタゾンフロエート自体が血漿中で定量限界以下しか存在しないという効果があることが記載されているといえる。
さらに,全身性副作用については,モメタゾンフロエート一水和物の水性鼻腔スプレー懸濁液を8名のボランティアに投与したところ,4000μg用量を投与した場合でも,プラセボと比較して,血漿中コルチゾルプロファイル曲線下の24時間領域(AUC 0-24)に有意な影響を与えなかったこと(13欄43行〜14欄9行) モメタゾンフロエート一水和物の水性鼻腔内スプレー懸濁液処方物 , (400μg/日)モメタゾンフロエート一水和物の水性鼻腔内スプレー懸濁液処方物 ,(1600μg/日),鼻腔内へのプラセボ,及び経口用プレドニソン(10mg/日)のいずれかの1日1回の投与を28日間,それぞれ12名のボランティアに行ったところ,プラセボと比較して,2つの用量のモメタゾンフロエート水性鼻腔スプレー処方物は,いずれもコルチゾル分泌における何らの変化とも関連しなかったこと(14欄10行〜14欄24行)が記載されており,プラセボとの対比において,HPA機能抑制に起因する全身性副作用がないことが記載されているといえる。
なお,審決は,本件効果2として, 「モメタゾンフロエートの血流中への全身的な吸収が実質的に存在しないことにより,所望しない全身性副作用を防げること」を 認定し, 「代謝後のモメタゾンフロエートの残留量の少なさ」と「全身性副作用の低さ」を同一視しているが,本件優先日の技術常識からすると,代謝後のモメタゾンフロエートの残留量の少なさと全身性副作用の低さの間には因果関係があるものの,代謝後のモメタゾンフロエートの残留量の少なさが直ちに全身性副作用の低さを意味するわけではないし,モメタゾンフロエートが全身に吸収された後に代謝されて形成された化合物自体が副作用をもたらす可能性もあるから,両事項を同一視することはできず,異なる側面を有するものとして評価すべきである。そして, 「代謝後のモメタゾンフロエートの残留量の少なさ」は,全身性副作用の低さをもたらすメカニズムの要因の1つではあるが,それ自体が本件発明によって生じる効果の1つであり,また, 「全身性副作用の低さ」という効果の前提となる当該「全身性副作用」は,HPA機能抑制に起因する全身性副作用以外の種々のものを含むから, 「全身性副作用の低さ」という効果は,常に同じ内容を指すものではなく,結局,代謝後の残留量の少なさと全身性副作用の低さの両事項を,本件発明の効果として検討するのが相当である。
ウ 以上のとおり,本件明細書には,モメタゾンフロエート水性懸濁液が,バイオアベイラビリティの点で経口溶液よりも優れていることは記載されているものの,水性懸濁液では鼻腔スプレーでの投与と経口投与との差はなく,また,溶液では鼻腔スプレーでの投与と経口投与との差は示されず,さらに,治療効果や副作用については,他の部位への投与や他の投与方法の記載はなく,他の部位への投与や他の投与方法と比して,どの程度優れているかについて,明示的な記載はない。
もっとも,明示的な記載がなくても,本件優先日において,コルチコステロイド一般又はグルココルチコイド一般に治療効果がないという考え方や,コルチコステロイド一般又はグルココルチコイド一般に副作用があるという考え方が,技術常識として確立されていたのであれば,それとの対比により,当業者は,本件発明に一定の効果がありその程度も予測できないものであることを,本件明細書から読み取れることになる。したがって,以下,この点を,甲1発明及び甲2発明の効果との 対比を含めて,検討する。
(2) 甲1発明 ア 甲1には,次のとおりの記載がある。
「ヒト血漿中のモメタゾンフロエート(SCH 32088)の直接定量のための競合的エンザイムイムノアッセイ」(473頁表題)「未抽出のヒト血漿中のSCH 32088の測定のための高感度の競合的酵素免疫アッセイ(EIA)が開発された。(473頁要約2〜3行) 」「こうして開発されたこのEIAは,アッセイあたり1pgのSCH 32088を,又はヒト血漿1mlあたり25pgを,検出できる。それは,50pg ml から2.5ng ml-1までのヒト血漿中のSCH 32088を,良好な直線性,正確さ及び精密さで,信頼性をもって定量することができる。(473頁要約 」6〜8行)「モメタゾンフロエート(SCH 32088)は,局所的抗炎症活性を有しその一方で視床下部-下垂体-副腎(HPA)機能を抑制する潜在能力は最小限にしか示さない,合成のコルチコステロイドである[1,2]」 。(473頁左欄3〜8行)「SCH 32088は,喘息及びアレルギー性鼻炎の経口吸入及び鼻腔内吸入による治療のための有望な新薬候補である。SCH 32088は有望な生物学的及び薬理学的活性をこれまで示してきたが,当該薬物の非常な低投与量療法によって必要とされる,十分に高感受性で且つ再現性のある分析方法がないために,その代謝,薬物動態学及び毒物動態学は評価されてこなかった。(473頁左欄8〜17 」行)「放射性標識された材料を用いた研究に基づくと,SCH 32088は,雄性ラットへの腹腔内投与後に様々な組織に分布し且つ広範に代謝されるようである(非公表データ)。このため,血漿中の親薬物の濃度はpg ml-1の領域にあると推定されており,通常のクロマトグラフィー法によっては定量できない。(473頁 」左欄17〜25行) 「特異性 抗SCH 32088抗血清の交差反応性を,SCH 32088-3-CMO-HRPと,種々の構造的に関連付けられるステロイド並びに既知の又は潜在的可能性のあるSCH 32088の代謝産物,内因性のステロイドホルモン及び一般的なステロイド剤との,競合的結合を試験することにより調べた。表1に示すように,SCH 32088-3-CMO-HRPの50%置き換えのレベルで測定したところでは,有意な交差反応性は観察されなかった。(477頁右欄下から15 」〜5行)「適用 臨床サンプル…中のSCH 32088の分析のためにこのEIA法が適用された。図5に示されるように,ヒトにおけるSCH 32088の血漿中濃度は,男性ボランティアへの1mgのSCH 32088の溶液の経口投与後,30分(Tmax)にて約150pg ml-1(Cmax)でピークに達し,次いで急速に下降した。この結果は,このEIA法がヒト及びおそらく動物における経口投与後のSCH 32088の薬物動力学の評価に適していることを,明確に実証した。
図5 ヒト血漿中のSCH 32088濃度。健常な男性ボランティアの各々に対し,1mg SCH 32088溶液という1回用量が経口嚥下によって投与された…。
示されている各時間に血液サンプルを採取し,血漿をSCH 32088濃度についてアッセイした。手順は「材料及び方法」に記載してある。(478頁右欄1〜 」14行,図5,図説) イ そして,甲1において,モメタゾンフロエートがHPA機能抑制の低いコルチコステロイドであることに言及した際に参照した文献1(甲13)及び文献2(甲14)には,モメタゾンフロエートを皮膚に局所投与した場合の記載があるのみで,鼻腔内投与の記載がない。もっとも,本件優先日当時,皮膚組織と鼻腔粘膜組織からの薬の吸収性には違いがあると考えられており,鼻腔粘膜の方が吸収されやすいと考えられていた(弁論の全趣旨)。
また,薬物の研究者が論文で「有望な新薬候補である」と記載する場合,その論文が基礎研究に関するものであれば,新薬の候補として興味深いものを見出したという程度の意味で,実際に投与した際の副作用の程度・内容までは具体的に想定していない場合が多く,他方,その論文が臨床段階の研究に関するものであれば,投与を断念するような重大な副作用が生じないことまでをある程度想定している場合が多いものと解される(弁論の全趣旨)。そして,甲1では,実際に,ヒトである男性ボランティアに1mgのモメタゾンフロエート溶液を経口投与していること,平成5年には日本においてモメタゾンフロエートが承認されている(甲9)ことからすると,平成4年に刊行された論文である甲1は,モメタゾンフロエートに関し,臨床段階の研究が相当程度進んだ状況でのものであるということができる。
ウ 以上によれば,甲1発明の効果として,次のことが記載されているといえる。
すなわち,モメタゾンフロエートが,皮膚に対して局所的抗炎症活性を有することを前提に,喘息及びアレルギー性鼻炎の経口吸入及び鼻腔内吸入の治療効果が見 込まれることが記載されており,経口吸入のみならず,鼻腔内吸入の方法を用い,アレルギー性鼻炎に対し,プラセボと対比して,一定の抗炎症活性を有するという治療効果を読み取ることができるが,その治療効果の程度は不明である。
また,モメタゾンフロエートが,雄性ラットの腹腔内投与後に様々な組織に分布し,かつ,広範に代謝されるため,血漿中のモメタゾンフロエート濃度は通常のクロマトグラフィー法によっては定量できないpg ml -1 の領域にあると推定され,一方,男性ボランティアへの1mgのモメタゾンフロエート溶液の経口投与では,血漿中濃度は,30分(Tmax)にて約150pg ml-1(Cmax)でピークに達し,次いで急速に下降したことが記載されている。したがって,腹腔内投与及び経口投与されたモメタゾンフロエートが血漿中に留まる量は高いものではなく,しかも,比較的短時間で消失するという効果を読み取ることができるが,鼻腔内投与した場合の記載はなく,その場合の全身的な吸収及び代謝がどのようなものになるかは不明である。
さらに,モメタゾンフロエートは,喘息及びアレルギー性鼻炎の経口吸入及び鼻腔内吸入によって,十分な治療効果を有するだけでなく,副作用についても実用化できる程度の小さいものであることが記載されていると読み取ることができる。HPA機能を抑制する潜在能力は最小限にしか示さないことが記載されている部分の参考文献は,皮膚に局所投与した場合のことしか言及していないが,甲1の全体の文脈では,他の投与方法であっても,HPA機能を抑制するおそれが十分小さく,HPA抑制に起因する全身性副作用のおそれもまた少ないという効果を読み取ることができる。もっとも,具体的な副作用の程度は不明である。
(3) 甲2発明 ア 甲2には,次のとおりの記載がある。
「フランカルボン酸モメタゾン一水和物,その製造法および医薬組成物」1頁表題) (「フランカルボン酸モメタゾンは,炎症状態の処置に有用であることが知られている。(1頁右欄8〜9行) 」 「特に興味深いことは,フランカルボン酸モメタゾン一水和物の水性懸濁液組成物を,例えば鼻から投与することである。本発明の水性懸濁液は,1gの懸濁液中に0.1から10.0mgのフランカルボン酸モメタゾン一水和物を含みうる。(3 」頁左上欄21〜23行)「実施例3 以下にしたがって,フランカルボン酸モメタゾン一水和物の鼻腔投与用水性懸濁液を製造した。
成分 濃度 バッチ例 (mg/g) (g/12kg) フランカルボン酸 0.5 6.0 モメタソンー水和物 アビセルRC591* 20.0 240.0 グリセリン 21.0 252.0 クエン酸 2.0 24.0 クエン酸ナトリウム 2.8 33.6 ポリソルベート80** 0.1 1.2 塩化ベンズアルコニウム 0.2 2.4 フェニルエチルアルコール 2.5 30.0 純水 十分量添加 1.0g 12.0kg」 (3頁左下欄8〜23行) イ 以上の記載によれば,甲2発明は,モメタゾンフロエートの水性懸濁液の鼻腔内投与が,炎症に対して有効であることが記載されており,治療効果があるといえるが,全身的な吸収や代謝及び全身性副作用の有無,程度については,不明である。もっとも,実用化が困難なことが想定されているとは解されない。
(4) 甲3発明ないし甲5発明 ア 甲3には,次のとおりの記載がある。
「鼻腔内プロピオン酸フルチカゾン その薬力学的及び薬物動態学的性質,及びアレルギー性鼻炎における治療能力についての総説」(760頁表題)「プロピオン酸フルチカゾンは,全身的効果の低い,強力な局所的抗炎症コルチコステロイドである。(761頁3〜4行) 」 。
「その全身的利用性が最小限であることと整合して,4mg/日までの投与量の鼻腔内プロピオン酸フルチカゾンは,副腎抑制を引き起こさない。(第761頁第1 」3〜14行)「こうして,大規模臨床試験からの初期データに基づくと,1日1回投与されるプロピオン酸フルチカゾンは,季節性及び通年性のアレルギー性鼻炎の患者における効果的且つ手軽な治療上の選択肢を提供しており,またその経口バイオアベイラビリティが低いという点で顕著である。(761頁15〜17行) 」「多数の患者を用いた大規模な,プラセボを対照においた試験が,季節性アレルギー性鼻炎の大人及び子供の双方において,鼻腔内プロピオン酸フルチカゾン200μg/日の有効性を確立した。更に,1000名を超える患者を用いた5つの試験によれば,1日1回投与での200μg/日のプロピオン酸フルチカゾンは,100μgずつ1日2回投与するのとほぼ等しい有効性を有する。 762頁2〜5行) ( 」「プロピオン酸フルチカゾン鼻腔内スプレーの各100mgは,微細な薬物の保存剤含有水性懸濁液として処方化された当該活性物質50μgを含有している。このスプレーは,手で圧すことにより操作される定量噴霧ポンプを介して投与される。
季節性アレルギー性及び通年性アレルギー性並びに非アレルギー性の鼻炎の予防及び治療のためのプロピオン酸フルチカゾンの推奨投与量は,成人及び12歳より上の子供において,1日1回各鼻孔内に100μg(2回噴霧)ずつである。(77 」2頁右欄下から3行〜773頁左欄7行) イ 甲4には,次のとおりの記載がある。
「400μgの朝1回,又は200μgの1日2回朝夕,4週間の投与としての鼻腔内ブデソニドの有効性と認容性を評価するために,症状を示すアレルギー性鼻炎 を有する342名の患者において,無作為化された,平行群での,二重盲検多施設試験を実施した。両治療は共に,季節性アレルギー性鼻炎の諸症状を改善した。」 (507頁2〜6行)「群間の差は統計学的に有意でなかった。(507頁10〜11行) 」「両治療は,等しく十分な認容性があり副作用は報告されなかった。(507頁1 」6〜17行) ウ 甲5には,次のとおりの記載がある。
「通年性アレルギー性鼻炎を有する305名の成人及びより高齢の通院患者での,鼻炎症状の緩和におけるトリアムシノロンアセトニドの1日1回,110μg,220μg及び440μgの鼻腔内エアロゾルの安全性と有効性をプラセボに対して評価するために,無作為化された,二重盲検での,プラセボ対照をおいた平行群での試験を,11施設で実施した。(329頁1〜4行) 」「この試験の間,特筆すべき副作用も臨床検査上の異常も認められなかった。鼻腔内トリアムシノロンアセトニド220μgと440μgは,1日1回,12週間にわたって使用されたが,通年性アレルギー性鼻炎の治療につき,プラセボより臨床的及び統計学的に優れていた。(329頁9〜12行) 」 エ 以上の記載は,甲3発明ないし甲5発明が,プロピオン酸フルチカゾン,ブデソニド,トリアムシノロンアセトニドといった他のコルチコステロイドにおいては,1日1回の鼻腔内投与で,十分な薬理作用があり,副作用も見られないという効果を有することを示すものである。
もっとも,本件優先日において,コルチコステロイド全般はもちろんのこと,グルココルチコイドであれば,一般的に同様の状態での投与や投与回数で同様の効果や副作用になるという技術常識や,他のコルチコステロイドから同様の効果や副作用を推測できるという技術常識はないから,甲3発明ないし甲5発明の効果は,モメタゾンフロエートを使用した場合に当然生じる効果を示すものとはいえない。
(5) 本件発明の効果との対比 ア アレルギー性鼻炎に対する治療効果 上記のとおり,本件明細書には,本件発明に関し,水性懸濁液の投与とこれ以外の他の形態(例えば,溶液)で投与した場合との対比や,1日1回の鼻腔内投与とこの投与回数及び形態を変えた場合との対比はなされておらず,単にプラセボとの対比による効果の有無しか記載がない。そして,本件優先日当時の技術常識を踏まえると,水に難溶性の薬物の水性懸濁液は,他の溶媒を用いた溶液よりも,粘膜から吸収されにくいということはできるが,それだけでは,治療効果の具体的な違いは把握できないし,また,他の形態で投与した場合や異なる投与回数の場合の治療効果がどの程度であったかを読み取ることも,困難である。
他方,甲1発明及び甲2発明においても,アレルギー性鼻炎に対する一定の治療効果が期待されることは上記のとおりである。
そうすると,本件明細書の記載からは,甲1発明や甲2発明よりも,本件発明1が,治療効果の点で優れているかどうかを理解することは困難といわざるを得ない。
イ 全身的な吸収及び代謝 本件明細書には,本件発明に関し,経口溶液と比して,鼻腔スプレー懸濁液の方が,モメタゾンフロエートの全身的な吸収が低く,モメタゾンフロエート自体が血漿中で定量限界以下しか存在しないという効果があることが記載されているが,経口懸濁液と同程度の効果があることの記載しかない。そして,技術常識を踏まえても,他の形態で投与した場合(例えば,溶液の形態での鼻腔内投与)や異なる投与回数の場合の全身的な吸収及び代謝がどの程度であったかを推認することは困難である。
他方,甲1発明において,腹腔内投与及び経口投与後のモメタゾンフロエートの血漿中の量は高くなく,比較的短期間で消失することは理解できるが,鼻腔内投与の場合における全身的な吸収及び代謝の程度は全く不明といわざるを得ない。甲2発明は,水性懸濁液を鼻腔内に使用した発明であるが,本件優先日において,少なくとも,鼻腔内投与の場合にモメタゾンフロエートの全身的な吸収や代謝後の残存 が常に高いという技術常識はない。
そうすると,本件明細書の記載からは,甲1発明や甲2発明よりも,本件発明1が,全身的な吸収及び代謝の点で優れているかどうかを理解することはできないといわざるを得ない。
ウ 全身性副作用 本件明細書には,本件発明に関し,プラセボとの対比において,HPA機能抑制に起因する全身性副作用がないことが記載されているだけで,他の形態(例えば,溶液)で投与した場合との対比や,投与回数を変えた場合との対比はなされていない。そして,当事者の技術常識を踏まえても,他の形態で投与した場合や異なる投与回数の場合の副作用がどの程度であったかを読み取ることは困難である。
他方,前記(2)及び(3)のとおり,甲1発明及び甲2発明において,モメタゾンフロエートは,経口吸入及び鼻腔内吸入をしても,実用可能な程度の副作用しかないといえるし,本件優先日において,少なくとも,モメタゾンフロエートの全身的な吸収が必ず高いという技術常識はない。
そうすると,本件明細書の記載からは,甲1発明や甲2発明よりも,本件発明が,全身性副作用の点で優れているかどうかを理解することはできないといわざるを得ない。
エ 以上によれば,本件発明には,薬としての一定の治療効果を有し,実用可能な程度の副作用しかないことは認められるとしても,本件発明の当該効果が,甲1発明及び甲2発明の効果とは相違する効果であるということはできないし,また,本件明細書上,それらの効果とどの程度異なるのかを読み取ることができない以上,これをもって,当業者が引用発明から予測する範囲を超えた顕著な効果ということもできない。よって,この点に関する審決の判断には誤りがある。
オ 審決は,甲1及び甲2には,1日1回の投与の記載がなく,治療効果の程度についての記載もなく,本件発明の治療効果を予測できないと判断した。しかしながら,甲1発明及び甲2発明において,一定の治療効果が認められながらその 程度についての記載がない以上,当該効果が本件発明の効果よりも明らかに劣るものと認められない限り,本件発明の効果が顕著なものであるとはいえないはずである。審決は,甲1及び甲2の治療効果の程度についての認定をせずに,本件発明の効果がこれを格別上回ると判断したものであって,論理的に誤りがあるといわざるを得ない。
また,審決は,皮膚に適用した場合の全身性副作用について開示する甲1から,鼻腔粘膜に投与された際の全身性副作用の大きさを予測できないと判断したが,本件発明の効果と甲1発明の効果を同質であると認めた以上,甲1発明において,鼻腔粘膜に投与した際の全身性副作用の方が,皮膚に投与した際と比して常に優れたものといえない限り,本件発明の効果が顕著なものとはいえないはずであり,この点についても,審決に論理的な誤りがあるといわざるを得ない。
さらに,審決は,本件発明について,甲1発明で示された最小限の全身性副作用よりも低いレベルの全身性副作用しかないから,顕著な効果があると判断したが,この審決の判断には,前記(1)イのとおり,モメタゾンフロエートの全身性吸収及び代謝後の残存量の問題と全身性副作用の有無の問題を同一視した点において誤りがある。その上,皮膚へ投与する甲1発明と鼻腔に投与する本件発明において,投与される組織の相違による吸収性の違いがあるからといって,甲1発明の全身性副作用が実用化できない程度に強いとは当然にはいえないはずであり,この点について効果の顕著性を認めた審決の判断にも,論理的な誤りがある。しかも,水性懸濁液のモメタゾンフロエートの全身性吸収の低さ及び代謝後の残存量の少なさは,本件発明と同様,水性懸濁液の鼻腔内投与を行う甲2発明が有するはずであり,甲2発明の副作用の程度が開示されていないとはいえ,審決が,甲1発明と甲2発明を組み合わせて薬として実用化可能な本件発明の構成を想到できたとする以上,この組合せと比して本件発明の効果が顕著なものであるか否かについて検討する必要がある。しかしながら,審決では,甲1発明との対比しかなされておらず,検討が不十分であったといわざるを得ない。
(6) 被告の主張に対する判断 ア 被告は,新薬の有効性を科学的に明らかにするための実験方法としては,プラセボと比較することが合理的と考えられており,医薬組成物の臨床的有効性はプラセボとの比較で確認することがよく行われているから,プラセボと比較した審決の効果の認定には誤りはなく,他の薬剤とモメタゾンフロエートの効果を比較する必要はないと主張する。
確かに,医薬組成物の臨床的有効性はプラセボとの比較で確認することが慣用されてはいるものの,これは,単純に薬としての治療効果があるかを実証するためにすぎない。本件で問題とされているのは,本件発明と甲1発明及び甲2発明等とを比較した場合の効果の差の存否とその程度であるが,甲1発明についても,アレルギー性鼻炎に対して,プラセボよりも抗炎症活性を有するといえる以上,プラセボとの比較により本件発明の有効性を確認しただけでは,当業者の技術常識に基づいて予測される範囲を超えた顕著な効果を有するとまではいえない。被告の主張は失当である。
イ 被告は,甲1には,モメタゾンフロエートのアレルギー性鼻炎に対する治療効果の程度(強度及び持続性等)については記載がなく,当業者は,本件発明が大人と小児の両方について安全に処置できることについては予測できず,さらに,甲1には,鼻腔投与されるモメタゾンフロエートの懸濁液についての代謝,薬物動態,毒物動態については開示されておらず,鼻腔投与されるモメタゾンフロエートの懸濁液の全身性バイオアベイラビリティや副作用の程度についても知ることはできないと主張する。
まず,上記の主張のうち,本件発明の小児に対する効果は,本件明細書に基づかない主張であるから,失当である。
そして,確かに,甲1には,モメタゾンフロエートのアレルギー性鼻炎に対する治療効果の強度や持続性等の具体的な記載はなく,また,鼻腔投与されるモメタゾンフロエートの懸濁液についての代謝,薬物動態,毒物動態についての記載はない が,他方,前記(2)のとおり,甲1には,一定の抗炎症活性が開示されるとともに,男性ボランティアに対する経口投与例などが記載され,本件優先日当時の技術常識を踏まえると,アレルギー性鼻炎に対して,一定の治療効果を有するとともに,実用化可能な程度の副作用しかないという効果を読み取ることができる。被告の主張は理由がない。
ウ 被告は,化学構造とコルチコステロイドの全身性効果との間には,多くの場合,相関関係が存在せず,仮に,モメタゾンフロエートが分類されるグルココルチコイドに限定したとしても,グルココルチコイドであれば,化学構造の違いに関わらず同等の特性を有することの技術常識は存在せず,グルココルチコイドの対象となる炎症は,アレルギー性鼻炎のみならず,様々なものがあり,全てのグルココルチコイドがアレルギー性鼻炎に効くわけではないから,グルココルチコイドにおいて「抗炎症作用」が共通したからといって,本件発明の抗炎症活性は予測できず,このことは,モメタゾンフロエートが21クロロ基を有するとしても変わりないと主張する。
しかしながら,この点に関する被告の主張は,引用発明である甲1発明及び甲2発明自体が,モメタゾンフロエートを含有するものであることを看過したものである。被告の主張は理由がない。
エ 被告は,特定のコルチコステロイドのアレルギー性鼻炎に対する治療効果から,別のコルチコステロイドの特性を予測することはできず,アレルギー性鼻炎に対する特定のコルチコステロイドにおいて,1日複数回に分けた投与であっても1日1回であっても効果が変わらないことが示されているからといって,モメタゾンフロエートが1日1回の用法で効果を有することは予測できず,人に対する長期にわたる複雑な臨床試験により定められるべきものであると主張する。また,被告は,本件優先日当時,アレルギー性鼻炎の治療薬として承認されていた鼻腔内吸入するコルチコステロイドの代表的な用法は,1日1回ではなく,むしろ「1日2回」「1日3回」等の用法も,一般的に用いられていたと主張する。
しかしながら,特定のコルチコステロイドのアレルギー性鼻炎に対する治療効果から,別のコルチコステロイドの特性を予測することはできないことは,被告の主張するとおりであるとしても,そもそも,甲1発明及び甲2発明は,モメタゾンフロエートを含有するものであるから,コルチコステロイドの種類による効果の違いは問題とならないというべきである。また,投与方法の違いによる治療効果の予測可能性がないとしても,本件明細書では,投与回数を変えた場合との対比はされておらず,モメタゾンフロエートの投与が1日1回であることが,他の投与回数と比較して格別の効果があることを,本件明細書の記載から理解することはできないのであるから,この点を顕著な効果として採り上げて,本件発明の容易想到性を否定する根拠とすることはできない。被告の主張は,本来,相違点に係る構成の容易想到性の判断において考慮されるべき事項であり,失当である。
オ 被告は,薬物動態等が異なるため,皮膚局所適用について有効性が確認されていても,鼻の炎症の治療にも有効であることが予想できるということにはならず,また,本件優先日当時に承認されていた,グルココルチコイドを含む19種類の皮膚疾患用抗炎症剤のうち,点鼻薬としても承認されていたコルチコステロイドは2種類のみであり,さらに,アレルギー性鼻炎薬の適応が承認されていたベクロメタゾンジオプロピオネート及びフリニソリドは,皮膚疾患を適応症としないコルチコステロイドであったことからも,皮膚炎に効果があるからといって,アレルギー性鼻炎に対しても有効であるということはできないと主張する。
しかしながら,皮膚局所適用についての有効性と,鼻炎治療についての有効性が相違するとしても,甲1発明が,モメタゾンフロエートを含有し,アレルギー性鼻炎に対して,プラセボよりも抗炎症活性を有することは,上記(2)のとおりであるから,被告の主張には理由がない。
カ 被告は,甲2には,鼻腔吸入用のフランカルボン酸モメタゾン一水和物の水性懸濁液組成物が, 「炎症状態」の処置にどの程度有用であるのか,副作用の問題はないのかについて何ら示されておらず,また,フランカルボン酸モメタゾン一 水和物の水性懸濁液組成物を1日1回投与することについての開示もない以上,これを1日1回投与することによってアレルギー性鼻炎を効果的に処置できることについては示唆も開示もないのであるから,本件発明の治療効果は甲2が有していた効果とはいえないと主張する。
しかしながら,甲2発明は,モメタゾンフロエートの「水性懸濁液」を鼻腔内投与するとの相違点1に係る構成を開示するものとして引用されたのであり,モメタゾンフロエートの「水性懸濁液」が鼻炎に有効であることは開示されているところ,本件発明の他の構成及びそれに由来する作用は,甲1発明等に開示されているのであり,この点が甲2発明に開示されていないことは,本件発明の顕著な効果を裏付けるものとはいえないから,被告の主張は失当である。
キ 被告は,本件効果2に関し,甲1には鼻腔吸入した場合の全身性作用の効果について何ら開示がなく,甲1の記載は,モメタゾンフロエートを皮膚に局所適用した場合を意味し,その全身性作用の程度から,鼻腔吸入した場合の全身性作用の程度を推測することはできないから,甲1において,単なる「有望な新薬候補」であるとの記載によって,バイオアベイラビリティや全身性副作用についての効果を予測することはできないと主張する。
しかしながら,甲1において,モメタゾンフロエートが「有望な新薬候補」であるという意味は,副作用の点での実用性をも考慮したものであることは,上記(2)イ及びウで述べたとおりである。そして,甲1におけるHPA機能を抑制する潜在能力が最小限にしか示さないという記載についての参考文献では,皮膚への投与についてしか記載されていないとしても,甲1文献全体の文脈は,HPA抑制に起因する全身性副作用が少ない効果があることを念頭に置いたものであり,甲1発明は全身性副作用が小さいといえるから,本件発明1の全身性副作用に関する効果が,甲1発明におけるそれと比して,当業者の技術常識に基づいて予測される範囲を超えた顕著なものということはできない。このことは,全身性副作用として,副腎抑制による副作用以外の骨粗鬆症,皮膚萎縮,糖尿病,高血圧等の副作用を含めて考 えるとしても同様である。被告の主張は理由がない。
ク 被告は,本件効果2に関し,本件優先日前,コルチコステロイドの鼻腔内投与の薬剤について全身性副作用がなかったとはいえない状況にあり,また,同じコルチコステロイドに属する化合物であっても,その生理作用や薬理作用は様々であり,これに伴う全身性吸収や副作用の程度も様々であるから,モメタゾンフロエートについて,経鼻投与によりどの程度の全身性吸収がなされるかについては予測がつかないと主張する。また,被告は,モメタゾンフロエートの投与に当たり,全身性副作用を最小限とできる形態を探るための実験を行い,その結果に基づき,本件発明において水性懸濁液を採用したのであるし,剤形により薬理効果や全身性吸収がどの程度となるかはコルチコステロイドによって異なるから,モメタゾンフロエートの溶液と水性懸濁液とで全身性吸収に顕著な差があることは,モメタゾンフロエート以外のコルチコステロイドから予測することは不可能であると主張する。
そして,以上から,被告は,モメタゾンフロエートの水性懸濁液を1日1回鼻腔内に投与することにより,血流中の全身的な吸収が実質的に存在せず,所望しない全身性副作用を妨げるという効果は,甲3,5,7,12及び32〜35からは予測できないと主張する。
確かに,甲3,5,7,32,33及び35に記載のコルチコステロイドは,プロピオン酸フルチカゾン(甲3,甲33),トリアムシノロンアセトニド(甲5),ジプロピオン酸ベクロメタゾン(甲7,甲32,甲35) フルニソリド(甲7) ,であり,甲12は,鼻腔内投与されるコルチコステロイドに関する本件優先日当時の当業者の認識が記載されたものであり,甲34は,鼻アレルギーに対する副腎皮質ステロイド剤の局所療法に関する一般的な記載がなされた文献であるが,いずれにおいても,モメタゾンフロエートを鼻腔内投与した場合の副作用に関して記載されていない。また,同じコルチコステロイドに属する化合物であっても,その生理作用や薬理作用は様々であり,これに伴う全身性吸収や副作用の程度も様々であり,さらに,剤形により薬理効果や全身性吸収がどの程度となるかは,コルチコステロ イドによって異なるということは,本件優先日当時の技術常識である。
しかしながら,これらの事情は,本来,本件発明の相違点に係る構成が容易に想到できるか否かに係る問題であるから,容易想到性の判断において考慮されるべき事項であり,審決は,そのような事情の一部を踏まえて,本件発明が容易想到であると判断したものである。そして,本件明細書には,血漿中コルチゾルプロファイルへの影響について,単にプラセボとの対比しか記載されていないのに対し,甲1発明は,甲3,5,7,12及び32〜35の記載を参酌するまでもなく,HPA抑制に起因する全身性副作用のおそれが少ないという効果を有するから,本件発明における本件効果2が,甲1発明の効果と対比して顕著なものとまで理解することはできない。
ケ 被告は,本件効果2に関し,甲12の記載は,モメタゾンフロエートについて全身性副作用の懸念がなかったことを意味するものではなく,また,甲3,5,7,12及び32〜35に接した当業者は,@鼻腔投与のコルチコステロイドの副作用のリスクの可能性,A新たなコルチコステロイドの既存のコルチコステロイドとの等価値性,B代謝,薬物動態及び毒物動態が知られていないモメタゾンフロエートについての検討価値の有無という3つの要素のバランスを少なくとも検討する必要があり,そのような当業者が,本件発明1のバイオアベイラビリティや全身性副作用に関する効果を予測し得たとはいえないと主張する。
確かに,甲12は,モメタゾンフロエートについて全身性副作用の懸念がなかったことを記載するものではないが,本件効果2で問題とすべきは,甲1発明と対比した効果の有無及びその程度であるところ,甲1発明において副作用に問題がないという効果が認められるのは前記(2)イ及びウのとおりである。また,甲1発明は,そもそもモメタゾンフロエートを含有するものであるから,モメタゾンフロエートを採用するか否かの観点からの検討を当業者が行う必要はなく,上記@〜Bについての被告の主張は,失当である。
3 結語 以上のとおり,審決の顕著な効果の判断の誤りがある。
なお,当裁判所は,本件訴訟において,相違点に係る構成の容易想到性について,審理,判断するものではないところ,本件特許のような,十分な治療効果を有しながら副作用がわずか(又は生じない)とされる実用可能な「薬剤」の特許発明に関しては,その特許無効審判においても,治療効果の維持と副作用の減少(又は不発生)の両立という観点から審理,判断されることが望ましく,例えば,複数ある相違点のうち個々の相違点に限っては想到できるとしても,これらを総合した全体の構成が当該薬剤としての効果等を維持できるものであるか否かが重要であるから,本件審判手続においても,これらの点を念頭に置き,本件訴訟で主張,立証されたものを含め,相違点に係る構成について改めて慎重に審理,判断すべきものといえる。
結論
以上によれば,原告の請求は理由がある。
よって,原告の請求を認容することとして,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 清水節
裁判官 片岡早苗
裁判官 新谷貴昭