運営:アスタミューゼ株式会社
  • ポートフォリオ機能


追加

関連審決 無効2000-35508
関連ワード 識別力 /  包装 /  指定商品 /  普通名称(3条1項1号) /  普通に用いられる方法 /  国内 /  差止 /  使用許諾 /  無効審判 /  外国 /  商号 / 
元本PDF 裁判所収録の全文PDFを見る pdf
事件 平成 13年 (行ケ) 258号 審決取消請求事件
原告 株式会社武蔵野化学研究所
訴訟代理人弁護士 島田康男
被告 ピューラック・ジャパン株式会社
訴訟代理人弁護士 中島徹
同 木村久也
同 斎藤亜紀
同 寺原真希子
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2001/10/31
権利種別 商標権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 特許庁が無効2000-35508号事件について平成13年5月8日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は、「カンショウ乳酸」の文字を横書きしてなり、指定商品を商標法施行令別表による第1類「乳酸」とする別添審決謄本の本件商標記載の商標(登録第3341616号、平成7年6月7日登録出願、平成9年7月3日登録査定、同年8月22日設定登録、以下「本件商標」という。)の商標権者である。被告は、平成12年9月22日、本件商標登録の無効審判の請求をし、特許庁は、同請求を無効2000-35508号事件として審理した結果、平成13年5月8日、「登録第3341616号の登録を無効とする。」との審決をし、その謄本は、同月22日、原告に送達された。
2 審決の理由 審決は、別添審決謄本記載のとおり、本件商標は、その登録査定時である平成9年7月当時、既に、この種有機酸類又は乳酸塩類の取引者、需要者間において、食品添加物用の有機酸類又は乳酸塩類(pH調整剤)の一種類名を表す普通名称として定着していたものであるから、本件商標は商標法3条1項1号に掲げる商標に該当し、その登録は同法46条1項により無効とすべきものとした。
原告主張の審決取消事由
1 審決は、本件商標が有機酸類又は乳酸塩類(pH調整剤)の一種類名を表す普通名称であるとの誤った認定をしたものであるから(取消事由)、違法として取り消されるべきである。
2 取消事由(普通名称であるとの認定の誤り) (1) 審決は、本件商標が有機酸類又は乳酸塩類(pH調整剤)の一種類名を表す普通名称であると認定するが、「カンショウ乳酸」という名称の有機酸又は乳酸塩は存在せず、そのようにいう文献も見当たらないのであって、この認定は誤りである。
(2) 審決は、乳酸と乳酸ナトリウムの混合溶液のように緩衝作用のある溶液について「緩衝乳酸」と呼ばれる旨認定したが、有機化学の研究者の世界でも、食品添加物の業界においても、このような語は使用されず、「乳酸緩衝液」と表示される。
乳酸と乳酸ナトリウムの混合溶液だけでなく、酢酸と酢酸ナトリウムの混合溶液等は、緩衝作用が認められることから緩衝溶液といわれ、「酢酸緩衝液」などと表示されるが、これらの混合溶液が「緩衝酢酸」などといわれることはない。
「クエン酸緩衝液」、「ギ酸緩衝液」、「酢酸リチウム緩衝液」、「リン酸緩衝液」等の混合溶液も同様である。
有機酸(弱酸)とその塩から成る緩衝溶液について、これを構成する有機酸及び塩により表示することは普通に行われており、これによれば、乳酸と乳酸ナトリウムの混合物から成る緩衝溶液は「乳酸-乳酸ナトリウム」と表示される。
(3) 「緩衝乳酸」の語が乳酸と乳酸ナトリウムの混合物を表す普通名称でない以上、その一部を片仮名で表記した本件商標が普通名称であるということはできない。
(4) 外国文献においては、「buffered lactic acid」「lactic acid buffered」「lactate buffer」など、乳酸と乳酸ナトリウムの混合物である緩衝溶液を意味する表現が見られるが、日本語に翻訳されるときは、日本語として一般的な「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝液」又は「乳酸緩衝液」と表現される。上記の英語表現等が外国文献に存在することは、日本語として使用されていない「緩衝乳酸」が乳酸と乳酸ナトリウムの混合物の普通名称であることの根拠となるものではない。
(5) 本件商標は、原告の商品名であり、原告の営業努力によって食品業界に広く知られるようになった。乳酸と乳酸ナトリウムの混合物から成る食品添加物であるpH調整剤(以下「本件pH調整剤」という。)の製造販売は、原告が昭和42年5月に行ったのが最初であり、原告は、この製品に原告の造語である「カンショウ乳酸」の商標を付した。以後、本件商標を付した製品は、原告の製造販売に係る本件pH調整剤として、食品業界において広く知られるところとなったため、原告は、ブランド政策の観点から、平成7年6月7日、本件商標の登録出願を行い、平成9年8月22日に設定登録を受けた。近年、被告が本件pH調整剤の我が国における販売を本格化する前には、原告は、国内最大手として、本件pH調整剤の製造販売総量の9割程度を占めていた。
(6) 商標が誤って普通名称として使用された場合において、そのような使用のすべてに対し商標権者が対応することは困難であり、単に1回誤って普通名称として使用されたことから直ちに、当該表示が普通名称化したということはできない。
安易に普通名称化を認めることは、周知又は著名な商標の商標権者が永年にわたって築いてきた商標に化体された業務上の信用を無にするおそれがあり、商標法の制度趣旨に反する。
(7) 小田聞多「新めんの本第3版」(食品産業新聞社1992年11月15日発行、審判甲第4号証、本訴甲第17号証の4、以下「小田文献」という。)は、
本件pH調整剤を表示する普通名称として「緩衝乳酸」の語を誤って用いているが、
普通名称としては「乳酸緩衝液」又は「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝液」と表示すべきであった。執筆者らは、原告の製品である本件pH調整剤が業界に広く知られていたので、乳酸緩衝液の例としてこれを挙げたが、商品名をそのまま書籍に用いることを避け、本件商標の片仮名部分を漢字で表記したものである。
(8) 藤野満「乳酸の特徴と食品への利用」(月刊フードケミカル1997年2月号、審判甲第3号証、本訴甲第17号証の3、以下「藤野論文」という。)は、
当時、業界でよく知られていた原告製品を取り上げるについて「カンショウ乳酸」の語を表示したものであって、読者もそのように理解している。業界紙においては、メーカーの社員が研究発表の形で自社製品について書くことは通常見られるところであり、この一事をもって「カンショウ乳酸」が普通名称化したということはできない。
(9) 原告は、本件商標等を違法に使用する者に対して、その使用の差止め等を要求しており、「緩衝乳酸」の商標を使用していた者は、これに応じその使用を中止した。
被告は、三共フーヅ株式会社(旧商号・三共イースト株式会社、以下「三共フーヅ」という。)の包装容器(審判甲第1号証、本訴甲第17号証の1)により、三共フーヅが本件商標を使用していることから、本件商標が普通名称であると主張するが、三共フーヅは、本件商標について原告と使用許諾契約を締結して適法に本件商標を使用しているのであり、このことは、本件商標が普通名称化していないことの証左である。
(10) 被告は、アムステルダム化薬会社作成及び重松貿易株式会社発行に係る「乳酸と乳酸塩」(審判甲第5号証、本訴甲第17号証の5)に「緩衝乳酸」の表示があると主張するが、同証において、本件pH調整剤は「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝剤」と表示されており、「緩衝乳酸」とは表示されていない。
(11) 原告の関連会社である武蔵野商事株式会社作成の「カンショウ乳酸」のパンフレット(審判甲第6号証、本訴甲第17号証の6)には、「カンショウ乳酸は、食品のpH調整剤です」、「カンショウ乳酸は緩衝作用を持つpH調整剤です」等の記載があるが、これらの記載によれば、本件商標は当該製品の商標として使用されており、その普通名称は「pH調整剤」である。本件商標が本件pH調整剤の普通名称であるならば、「本件製品はカンショウ乳酸です」と表示されるはずであるが、
同証において「カンショウ乳酸は、食品のpH調整剤です」、「カンショウ乳酸は緩衝作用を持つpH調整剤です」と記載されているのは、本件商標が本件pH調整剤の普通名称ではないことの証左である。
(12) 片仮名の「カンショウ」に対応する漢字は、「干渉」、「観賞」、「鑑賞」等多数あり、「緩衝」に限られないから、この点においても、本件商標が普通名称であるということはできない。
(13) インターネットの検索サイト「goo」、「infoseek」、「BIGLOBE」及び「YAHOO」において、検索条件を「緩衝乳酸」とすると、本件原被告間の侵害訴訟以外の検索結果は表示されず、検索条件を「緩衝」及び「乳酸」の両方を含むとすると、多数の検索結果が表示される。そうすると、「乳酸緩衝液」のように「緩衝」と「乳酸」の語が同時に表記されることは頻繁であるのに対し、「緩衝乳酸」という学術用語は存在しないことが分かるから、「緩衝乳酸」及び本件商標が普通名称であるということはできない。
被告の反論
1 審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由は理由がない。
2 取消事由(普通名詞であるとの認定の誤り)について (1) 小田文献(甲第17号証の4)においては、有機酸の一種として「緩衝乳酸」が挙げられ、藤野論文(甲第17号証の3)においては、乳酸塩の一種として「カンショウ乳酸」が挙げられている。これら書証の記載が誤りであるとする証拠はない以上、「カンショウ乳酸」が有機酸類又は乳酸塩類(pH調整剤)の一種類名を表す普通名称であるとする審決の認定に誤りはない。
(2) 本件商標は、新製品に付された名称が普通名称化したものであるから、酢酸と酢酸ナトリウムの混合溶液など、本件pH調整剤以外の緩衝作用を有する混合溶液について、「酢酸緩衝液」などと表示され「緩衝酢酸」などと表示されないとしても、そのことから直ちに、本件商標が普通名称であることを否定することはできない。
ある製品について、普通名称が一つに限られるということはないから、本件pH調整剤が「乳酸-乳酸ナトリウム」という普通名称により表示されることがあっても、本件商標が普通名称であることを否定することはできない。学術論文においては、化学的成分を明らかにするという意味で、成分表示を用いた学術用語である「乳酸-乳酸ナトリウム」という用語が用いられ、取引において通常用いられる慣用的名称としての普通名称が用いられないことも自然である。
(3) 原告は、「緩衝乳酸」の語が乳酸と乳酸ナトリウムの混合物を表す普通名称ではないことを前提として、その一部を片仮名で表記した本件商標が普通名称であるということはできないと主張するが、「緩衝乳酸」は普通名称であるから、原告の主張は前提を欠く。
(4) 外国文献において使用される「buffered lactic acid」などの表現は、
「緩衝(buffered)」「乳酸(lactic acid)」という日本語の表現と合致する。日本語の「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝液」は英語の「lactic acid-sodium lactate buffer solution」に、日本語の「乳酸緩衝液」は英語の「lactic acid buffer solution」に、それぞれ合致する。
本件商標が原告の造語であるとしても、英単語の直訳をつなげて熟語にしただけのものであって、使用されるうちに普通名称化しやすいものである。
(5) 当初、本件pH調整剤を原告のみが製造販売していたからこそ、被告等がその製造販売を始めたことにより、本件商標が普通名称化したものである。原告以外の者が本件商標と異なる名称を付して本件pH調整剤の製造販売をしていたならば、
本件商標の普通名称化はむしろ困難であったはずである。
(6) 原告主張のように本件商標が周知であることの証明はなく、これが1回だけ誤用されたということもできない。本件商標が普通名称として複数回使用されたことは、証拠から明らかであって、審決は、安易に普通名称化を認めたものではない。
(7) 藤野論文(甲第17号証の3)が「カンショウ乳酸」の語を使用するに当たっては、だれが製造販売したかに関係なく、種類物としての本件pH調整剤を表示している。メーカーの社員が研究発表の形で自社製品について書く場合にも、自社製品を普通名称により表すことはあり得る。
(8) 原告は、原告製品である本件pH調整剤が業界に広く知られていたとか、小田文献(甲第17号証の4)の執筆者らが商品名をそのまま書籍に用いることを避けたなどと主張するが、単なる憶測にすぎない。
(9) 「緩衝乳酸」の商標を使用していた者がその使用を中止したとしても、使用者が、法律的に商標権の侵害に当たるかどうかを問わず、紛争を避けるためにその使用を中止することは、頻繁に見られることであって、上記商標が普通名称であることを否定する根拠とはならない。
商標の使用許諾を受けた者が真正商品を販売する場合には、当該商標の商標権者を表示するものであり、そのような表示がない場合には、当該商標は製品の普通名称であると認識される。
(10) 本件pH調整剤が「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝液」の普通名称を有していても、取引用語として「緩衝乳酸」の普通名称を有することを否定することはできない。「乳酸と乳酸塩」(甲第17号証の5)の記載は、「緩衝乳酸」の語が普通名称であることを示している。
(11) 原告作成のパンフレット(甲第17号証の6)に「カンショウ乳酸は、
食品のpH調整剤です」等の記載がされていても、「カンショウ乳酸」が普通名称であることを否定することはできない。また、本件pH調整剤が「乳酸-乳酸ナトリウム混合pH調整剤」及び「カンショウ乳酸」という複数の普通名称を有することは、
種類物一般について頻繁にあることである。また、本件商標が本件pH調整剤の普通名称であっても、その性能及び効能を説明するために「カンショウ乳酸は、食品のpH調整剤です」などの記載がされることは自然である。
(12) 化学物質について片仮名を用いた表示がされることは非常に多く、「緩衝」の部分を片仮名で表記することは独創的なことではない。片仮名の「カンショウ」に対応する漢字が多数あっても、「緩衝」の片仮名表記は「カンショウ」しかないのであるから、この点で本件商標が普通名称であるということは否定し得ない。
当裁判所の判断
1 取消事由(普通名詞であるとの認定の誤り)について (1) 本件商標の商標法3条1項1号該当性について ア 平成4年11月15日に発行された小田文献(甲第17号証の4)には、「菌の耐熱性を弱めると共に増殖を抑える意味で、茹麺のpHを下げて加熱殺菌するのが効果的である。・・・pHを下げるためには・・・有機酸類を使用するが、
使用方法としては生地に練り込む方法と、茹麺を酸液に浸漬する方法とがある」と記載され(97頁)、「表3-14 各種有機酸0.1%練込み生地及び茹麺pH」には、生地に練り込んだ有機酸として、冒頭に「緩衝乳酸」が記載され、これに続けて「乳酸」、「リンゴ酸」、「フマール酸(注、フマル酸と同義)」及び「クエン酸」が並列的に記載されている(97頁)。小田文献の上記記述部分には、「緩衝乳酸」等の上記各種有機酸について、その内容、性質等を説明する記載はない。
また、同文献には、「(2) 包装茹麺の製造 ・・・茹上げた後に水洗いして、有機酸液に浸漬するが・・・表4-3に示すように、有機酸はそれぞれpHを下げる力が異なる」と記載され(109頁)、「表4-3 各有機酸の強度比較」には、各種有機酸として、酸度の強い順に、「フマル酸」、「酒石酸」、「フィチン酸」、「乳酸」、「緩衝乳酸」、「グルコン酸」、「リンゴ酸」、「クエン酸」、「リン酸」、「コハク酸」及び「酢酸」が並列的に記載されている(109頁)。そして、上記の記載に続けて、「食味として感じる酸味は、pHよりも酸の量に比例する。従って、pHをできるだけ下げたい場合は、フマル酸や乳酸を使用するとよい」と記載されている(109頁)。同文献の包装茹麺の製造に関する記述部分には、「フマル酸」、「酒石酸」等の上記有機酸について、その内容、性質等を説明する記載はない。
イ 平成9年2月発行の藤野論文(甲第17号証の3)には、「4.乳酸塩類と製剤 現在,種々の乳酸塩類が食品添加物として認可されており,食品製造の分野で使用されている。本項では,乳酸塩類の特徴について述べる」との記載に続き、このような乳酸塩類として、「乳酸カルシウム」、「乳酸ナトリウム」、「乳酸鉄」、「ステアロイル乳酸カルシウム」及び「粉末製品(注、粉末乳酸及び粉末乳酸ナトリウム)」と並べて「カンショウ乳酸」が記載され、「カンショウ乳酸」の特徴として、「乳酸に乳酸ナトリウムを配合し,緩衝性を持たせたpH調整剤である。pHの影響を受け易い食品成分に対しその緩衝作用により,望ましいpH領域内に安定させることができる」との記載がある(76頁)。藤野論文には、「カンショウ乳酸」が原告の開発に係る本件pH調整剤の商標であることを示す記載はない。また、藤野論文には、Aが平成3年4月から原告の従業員であり、藤野論文が発行された平成9年2月当時、原告の関連会社である武蔵野商事株式会社の従業員であったとの記載もある。
ウ これらの記載によると、食品業界においては、遅くとも平成9年2月の時点において、既に、「緩衝乳酸」について、「リンゴ酸」、「フマル酸」、「クエン酸」、「酢酸」などと並んで食品に添加するpH調整剤の一種であり、乳酸に乳酸ナトリウムを配合し緩衝性を持たせたpH調整剤として、一般に認識されていたものと認められる。そして、「リンゴ酸」、「フマル酸」、「クエン酸」、「酢酸」、「乳酸カルシウム」、「乳酸ナトリウム」、「乳酸鉄」、「ステアロイル乳酸カルシウム」、「粉末乳酸」、「粉末乳酸ナトリウム」など上記の用語は、いずれも有機酸類の種類を示す普通名称であるから、これらと並列的に記載された「緩衝乳酸」及び「カンショウ乳酸」の語も、有機酸類の一種である本件pH調整剤を示す普通名称となっていたものと認めるのが相当である。
エ そうすると、本件商標が登録査定された平成9年7月3日当時、「カンショウ乳酸」の語は、既に本件pH調整剤の普通名称となっており、また、本件商標は、「カンショウ乳酸」を通常の書体で横書きしてなるものであるから、商品の普通名称普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標として商標法3条1項1号に該当するものというべきである。
(2) 原告の主張について ア 原告は、「カンショウ乳酸」という名称の有機酸又は乳酸塩は存在しないと主張するが、上記(1)のとおり、小田文献には有機酸の一種として「緩衝乳酸」が記載され、藤野論文においては、乳酸塩の一種として「カンショウ乳酸」が記載されているのであって、本件商標は有機酸類又は乳酸塩類(pH調整剤)の一種類名を表す普通名称であるというべきである。
イ 原告は、乳酸と乳酸ナトリウムの混合溶液のように緩衝作用のある溶液について、有機化学の研究者の世界でも、食品添加物の業界においても、「緩衝乳酸」のような語は使用されず、「乳酸緩衝液」と表示されると主張するが、現に「緩衝乳酸」及び「カンショウ乳酸」の語を使用した文献があることは上記(1)のとおりである。また、原告は、緩衝溶液が「酢酸緩衝液」などと表示され「緩衝酢酸」などと表示されることはないとも主張するが、このような事実をうかがわせる証拠はない上、仮に、緩衝溶液一般について「酢酸緩衝液」のように表示されることが一般的であるとしても、少なくとも、乳酸緩衝液については、上記(1)のとおり「緩衝乳酸」及び「カンショウ乳酸」の語が使用されていることが明らかである。
また、ある種類物について、普通名称が一つに限られるということはないから、緩衝溶液一般に係る原告の上記主張は、「カンショウ乳酸」が普通名称であるとの認定を左右するものではない。同様に、乳酸と乳酸ナトリウムの混合物から成る緩衝溶液が必ず「乳酸-乳酸ナトリウム」と表示されるわけではないから、「カンショウ乳酸」が普通名称であるとの認定は左右されるものではない。
ウ 原告は、「緩衝乳酸」の語が乳酸と乳酸ナトリウムの混合物を表す普通名称ではないことを前提として、その一部を片仮名で表記した本件商標が普通名称であるということはできないと主張するが、上記(1)のとおり、「緩衝乳酸」は普通名称であると認められるから、原告の主張は前提を欠く。
エ 原告は、外国文献における「buffered lactic acid」「lactic acid buffered」「lactate buffer」など、乳酸と乳酸ナトリウムの混合物である緩衝溶液を意味する表現が日本語に翻訳されるときは、日本語として一般的な「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝液」又は「乳酸緩衝液」と表現される旨主張するが、そのような事実をうかがわせる証拠はない。「buffered lactic acid」の英語を直訳すると、
「緩衝(buffered)」「乳酸(lactic acid)」であり、これらを連続させた「緩衝乳酸」の語も、自然な訳語と認められる。
オ 原告は、昭和42年5月から本件商標を付した本件pH調整剤を製造販売しており、本件商標が原告の商品名であることは食品業界に広く知られるようになったと主張し、「カンショウ乳酸について」と題する報告書(甲第2号証の1〜26)を提出する。しかしながら、その記載内容は、上記(1)掲記の証拠及び認定事実に反する上、本件商標の付された製品が原告の製造に係る本件pH調整剤であることが食品業界において広く知られているというものの、その認識を基礎付ける根拠も、作成名義人も明らかではなく、採用することができない。また、原告は、本件商標が原告の造語であること、原告が国内最大手として本件pH調整剤の製造販売総量の9割程度を占めていたことを主張するが、当初は特定の商品を示す造語であったものが、その後次第に自他識別力を失い、当該種類物を示す普通名称として一般に認知されるに至ることも珍しいことではない上、原告が本件pH調整剤の製造販売を開始したのが昭和42年5月であるならば、藤野論文が公刊された平成9年2月までに約30年の長期間が経過していることとなるから、原告の本件pH調整剤市場における占有率が高いことは、本件商標の普通名称化を妨げる事情とはならない。
カ 確かに、商標が誤って普通名称として使用された場合において、このようなすべての使用に商標権者が対応することは困難であり、また、このような使用が1回されたからといって、直ちに当該商標が普通名称化するものではない。しかしながら、他方、出願された商標が普通名称として商標法3条1項1号に該当するかどうかは、査定時においてこれが普通名称であるという事実の有無により決められるべきものであって、仮に、これが普通名称化する前に特定人の周知の商品等表示であったとしても、査定に当たりこのことは当然には考慮されない。また、上記のとおり、本件商標が原告の周知の商品等表示であるというべき証拠もない。
キ 原告は、小田文献(甲第17号証の4)が本件pH調整剤を表示する語として「緩衝乳酸」を用いるべきではなく「乳酸緩衝液」又は「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝液」と表示すべきであったと主張するが、これらの普通名称のほかに「緩衝乳酸」の用語も本件pH調整剤を表す普通名称となっていたことは、上記(1)のとおりである。原告は、小田文献の執筆者らの動機についても主張するが、このような事実をうかがわせる証拠はない上、小田文献において「緩衝乳酸」の語が普通名称として使用されている以上、その動機が上記(1)の事実認定に影響を及ぼすものではない。
ク 原告は、藤野論文(甲第17号証の3)が業界でよく知られていた原告製品を取り上げるについて本件商標を表示したものであると主張するが、上記(1)のとおり、同証は「カンショウ乳酸」の語を本件pH調整剤を表す普通名称として使用しており、原告製品を意味するものとして使用していないことは明らかである。また、業界紙においてメーカーの社員が研究発表の形で自社製品について書くことがあるとしても、このことは、同証における「カンショウ乳酸」の語が普通名称として使用されているのか、それとも識別力を有する商品等表示として使用されているかとは関係がない。同証が普通名称として「カンショウ乳酸」の語を用いていることは上記(1)のとおりであるから、藤野論文が業界紙においてメーカーの社員が研究発表の形で自社製品について書いたものであるということは、上記認定を左右するものではない。
ケ 原告は、「緩衝乳酸」の商標を使用していた者が原告の要求に応じてその使用を中止したこと、また、三共フーヅが本件商標について原告と使用許諾契約を締結して使用していることを主張するが、当該商標を使用する者が、種々の経営判断により、任意に商標の使用を中止し、又は使用許諾契約を締結することもまれではないから、これらの事実から直ちに、本件商標が普通名称化した事実を否定することはできない。
コ 原告は、本件pH調整剤が「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝液」の普通名称を有していても、取引用語として「緩衝乳酸」の普通名称を有することを否定することはできないと主張するが、「乳酸と乳酸塩」(甲第17号証の5)の記載内容に照らすと、同証では、本件pH調整剤が「緩衝乳酸」と「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝剤」の双方の用語により表示されており、後者のみが普通名称として使用されているとは認められない。また、同証に「乳酸-乳酸ナトリウム緩衝剤」の表示がされていることから直ちに、「緩衝乳酸」が普通名称であることを否定することはできない。
サ 原告主張のように、原告の関連会社作成のパンフレット(甲第17号証の6)には、「カンショウ乳酸は、食品のpH調整剤です」、「カンショウ乳酸は緩衝作用を持つpH調整剤です」等の記載があるが、上記(1)の認定によれば、このような記載は、「カンショウ乳酸」が本件pH調整剤の普通名称として、「食品のpH調整剤」及び「緩衝作用を持つpH調整剤」が「カンショウ乳酸」より上位概念の普通名称として使用されているものというべきであるから、原告の主張する上記の記載があるからといって、「カンショウ乳酸」が普通名称であるとする上記認定が左右されるものではない。
原告製品である本件pH調整剤が「乳酸-乳酸ナトリウム混合pH調整剤」と表示されることがあるからといって、「カンショウ乳酸」が普通名称であることが否定されないことは、一つの種類物について複数の普通名称が使用され得ることからも明らかである。また、同証において「カンショウ乳酸は、食品のpH調整剤です」、「カンショウ乳酸は緩衝作用を持つpH調整剤です」と記載されているのは、
上記(1)の認定によれば、「カンショウ乳酸」という種類物の性能及び効能を説明するものというべきであるから、この記載も「カンショウ乳酸」が普通名称であることを否定するものではない。
シ 原告は、片仮名の「カンショウ」に対応する漢字が多数あり、「緩衝」に限られないから、この点においても本件商標が普通名称であるということはできないと主張する。確かに、片仮名の「カンショウ」に対応する漢字が多数あることは原告主張のとおりであるが、「カンショウ乳酸」として使用された場合には、
「カンショウ」に対応させて意味のある漢字は「緩衝」にほとんど限定される。したがって、普通名称である「緩衝乳酸」の「緩衝」の部分を片仮名で表記した「カンショウ乳酸」も、普通名称というべきである。また、上記(1)のとおり、藤野論文においては、「カンショウ乳酸」が普通名称として使用されているから、このことからも、「緩衝乳酸」の「緩衝」部分が片仮名で表記されていることは、「カンショウ乳酸」が普通名称であることに影響を及ぼすものではない。
ス 原告は、インターネットの検索サイトにおける検索結果について主張する。しかしながら、検索条件を「緩衝乳酸」とした場合と「緩衝」及び「乳酸」の両方を含むとした場合とで検索結果が大きく異なるからといって、このことから「緩衝乳酸」という学術用語が存在しないということはできない。現に、上記(1)のとおり、「緩衝乳酸」及び「カンショウ乳酸」の語が普通名称として使用された文献が存在するのであるから、上記検索結果が得られたからといって、「緩衝乳酸」という学術用語の存在を否定し得ないことは明らかである。
セ 以上のとおり、原告の主張はいずれも採用することができず、他に、本件商標が商標法3条1項1号に該当するとの上記(1)の判断を左右するに足りる証拠はない。
2 以上によれば、原告主張の審決取消事由は理由がなく、他に審決を取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 篠原勝美
裁判官 石原直樹
裁判官 長沢幸男