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関連審決 不服2000-9763
関連ワード 識別力 /  量産 /  役務の提供 /  指定役務 /  普通名称(3条1項1号) /  記述的商標(3条1項3号) /  普通に用いられる方法 /  3条1項6号 /  3条2項 /  手続違背 /  取引の実情 /  国内 /  補正 /  共有 / 
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事件 平成 13年 (行ケ) 223号 審決取消請求事件
原告 株式会社シグマ
訴訟代理人弁理士 伊藤捷雄
被告 特許庁長官及川耕造
指定代理人 泉田智宏
同 上村勉
同 茂木静代
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2001/10/25
権利種別 商標権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
請求
特許庁が不服2000-9763号事件について平成13年3月27日にした審決を取り消す。
前提となる事実(争いのない事実)
1 特許庁における手続の経緯 原告は、「車文化の創造」の文字よりなり(標準文字による商標)、指定役務を商品及び役務の区分第41類の「自動車運転・道路交通法の教授」(平成12年10月20日付け手続補正書による補正後のもの)とする商標(以下「本願商標」という。)について、平成10年9月2日に商標登録出願(平成10年商標登録願第74940号)をしたところ、特許庁は、平成12年5月29日に拒絶査定をした。
原告は、同年6月29日、拒絶査定不服審判の請求をし、特許庁は、この請求を不服2000-9763号事件として審理した結果、平成13年3月27日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年4月16日に原告に送達された。
2 審決の理由 別紙の審決書の写しのとおり、
「原査定の理由」として、拒絶査定は、本願商標「車文化の創造」について、指定役務との関係から、全体として「車に係る文化の創造」といった意味合いを想起させるにすぎないから、これを本願商標の指定役務に使用するときには、「車に係る文化の創造に関する知識の教授」であること、つまり、単に役務の質(内容)を表示するにすぎないものと認められるので、本願商標は商標法3条1項3号に該当する旨認定判断して本願商標の登録出願を拒絶したと認定した上で、
「当審の判断」として、本願商標は、「車文化の創造」の文字よりなるところ、
車と文化の関係は、近年、車の使用により余暇生活の幅を広げるなど、密接な関係があることは顕著な事実であり、企業が商品の生産や役務を提供するに当たって、
文化的側面を無視して活動することはできないのが現状であるため、本願商標が使用された場合、取引者、需要者は、「車にかかわる文化を創造する」という程の意味を表しており、ひいては、それを通じて企業として社会に貢献したいとの表明であると直ちに理解、認識するものと認められ、本願商標は、その指定役務の質(内容)を表示するにとどまり、自他役務を識別することができる標識部分を有しないものであるから、需要者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができない商標であるというのが相当であり、したがって、本願商標は同法3条1項3号に該当するとした拒絶査定は妥当なものであって取り消す限りでない旨認定、判断した。
原告主張の審決の取消事由の要点
1 商標法3条1項3号該当の認定判断の誤り (1) 本願商標の「車文化の創造」を審決のように「車にかかわる文化の創造」としてとらえたとしても、指定役務の関係からして、自動車運転や道路交通法を教えることが直ちに「車にかかわる文化の創造」について教えることを意味するとは、一般取引者、需要者は通常考えないので、「車にかかわる文化の創造」は、
本願商標の指定役務の質(内容)を直ちに表示するものではなく、本願指定役務の関係からして、自他役務識別力を有するとすべきである。
(2) 審判手続で提出した電話帳の自動車教習所の欄(甲第4号証)や、本訴で新たに提出したインターネットを用いて集めた各自動車教習所等の広告欄(甲第5号証の1ないし10、甲第12号証の1ないし5)にも、「車文化の創造」なる字句は一切使用されていない。
このように、「車文化の創造」の用語は、自動車運転・道路交通法を教授する業界において使用している事実は一切なく、また、広辞苑や国語辞典、及び現代用語辞典等(甲第6号証の1ないし3)においても一切記載されていない。
これらの点からしても、本願商標はその指定役務について自他役務識別力を有するというべきである。
(3) 車文化を創造するものは、あくまで車を使用する人であって、その中には自動車を所有し、これを運転する人もいるが、運転免許を持たず、道路交通法を知らず、単に車に乗せてもらう人もたくさんいるのである。したがって、自動車の運転を教えたり、道路交通法について教えることそれ自体は間接的に車文化の創造に寄与することはあっても、自動車運転や道路交通法を教授する業界においては通常具体的に車文化の創造、つまり車を用いた生活習慣の創造等について教えることではないので、「車文化の創造」は本願指定役務の質(内容)を表示するものではない。換言すれば、「車文化の創造」の担い手としては、自動車の運転ができる人、道路交通法を知っている人も含まれるので、その意味において「自動車運転・道路交通法の教授」は車文化の創造に間接的に寄与はするが、自動車運転・道路交通法を教授することが直ちに「車文化の創造」即ち「車を使用した新しい生活の仕方」を教えるものではない。
この点、審決は、「本願商標は、前記したとおり「車文化の創造」の文字よりなるところ、車と文化との関係は、近年、車の使用により余暇生活の幅を広げるなど、密接な関係があることは顕著な事実といえる。そして、企業が商品の生産や役務を提供するにあたって、文化的側面を無視して活動することはできないのが現状である。そうすると、かかる現状において、本願商標が使用された結果、取引者・需要者は、「車にかかわる文化を創造する」という程の意味を表しており、ひいては、それを通じて企業として社会に貢献したいとの表明であると直ちに理解認識するものと認められる。」(審決書2頁下から8行ないし9頁1行)と説示しているが、上述したように、本願商標の「車文化の創造」が本願指定役務である「自動車運転・道路交通法の教授」との関係からして、直接的にこの指定役務の質(内容)を想起すると解釈することには無理があり、審決は失当である。
特許庁の審査基準においても、商標法3条1項3号規定の「指定役務の質」を間接的に想起する商標は、本号の規定に該当しないと明記されている(甲第7号証)。
(4) 被告の主張に対する反論 被告は、本願商標の構成のうち「文化」の文字部分について、「文徳で民を教化すること」を意味する語であるとした上で、本願商標の指定役務を取り扱う自動車教習所では、運転技量、交通ルール等のみならず、交通社会に参加するための倫理観、情操教育なども重要なこととされているが、これは自動車に関わる事柄を「文徳で教化すること」というべきものであり、自動車教習所は、自動車との関わり合いをよりよいものにしていくため、自動車に関わる文化を創造し、教授していく担い手として重要視されているのであるから、「車文化の創造」の文字よりなる本願商標をその指定役務について使用した場合、これに接する一般の需要者は、提供される役務の内容について、通常提供される運転技量、交通ルール等の教授に、交通社会に参加するための倫理観等の指導が付加されたもの、すなわち、人と自動車との関わり合いを通じて「車にかかわる文化を創造する」ともいうべき教授、指導が行われていると理解するにとどまる旨主張している。
確かにこれだけ自動車が普及し、交通事故が多発する原状においては、自動車教習所や自動車学校において、交通安全について意を砕くことは当然のことであり、
原告はこれを異とするものではない。
しかしながら、「文化」の語句の意味するところは、次のとおり、各辞典のすべてが一致しているわけではないので、被告が主張するように「文化」の意味を「文徳で民を教化する」こととして「車」との関係をとらえることが相当であるとはいい難い。
すなわち、「文化」の語は、岩波書店発行の広辞苑第2版(甲第13号証の1)では、「@世の中が進歩して文明になること。ひらけること。文明開化。A文徳で民を教え導くこと。B(culture)人間が学習によって社会から習得した生活の仕方の総称。」となっており、三省堂発行の大辞林第2版(甲第13号証の2)では、
「(1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。(2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。(3)世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。文明開化。(4)他の語の上に付いて、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。」となっている。さらに、講談社発行の現代実用辞典改訂増補版(甲第13号証の3)では、「@世の中が開け進むこと。A自然を人間の生活に役だつようにかえていく活動が作りだした成果。
B学問・芸術など、人間の精神活動の所産。」となっており、角川書店発行の国語辞典新版(甲第13号証の4)では、「@世の中が開け進むこと。A学問・道徳で、民を教え導くこと。B人間が本来の理想を実現していく活動の過程。その物質的所産である文明に対して、特に精神的所産の称。芸術・科学・道徳・宗教・法律など。」となっている。
したがって、「車文化」という場合には、現在では「車」は生活の用具となっていることから、一般取引者、需要者の認識としてはむしろ「車によって生活が快適で便利になること」としての意味にとらえるべきであり、「車文化の創造」という場合には、「車によって生活が快適で便利になる新しい方法を造り出す」という意味にとらえるべきである。
そうすると、本願商標の指定役務である「自動車運転・道路交通法の教授」それ自体はあくまで、実務的、技術的なものの教授であって、それが直ちに「生活が快適で便利になる新しい方法を造り出す」ことを教授することを意味するものではなく、「車文化」の語について、被告が指摘するような自動車に関連する業界での使用例があったとしても、その使用例は例えば「車社会」といった場合より遥かに少なく(甲第11号証)、役務提供者や一般取引者、需要者にとって、自動車教習所が上述した意味の車文化の創造について教授することを役務としているとは認識しているものではないので、本願商標はその指定役務についてその質を表すものではなく、さらに本願商標をその指定役務について使用しても自他役務の識別力を有すると判断せざるを得ない。
また、このことは、被告が主張するように「文化」を「文徳で民を教化」するという意味にとらえても、そのような役務は本願商標の上記指定役務の中には直接的に含まれないし、また、指定役務の提供をする上記業界がそのようなことを役務とすることは、当該業界はいうに及ばず、一般取引者、需要者も認識するところではない点で同じである(甲第5号証の1ないし10、甲第12号証の1ないし5参照)。
さらに、被告が主張するように、政府や公共機関において、本願商標の指定役務を提供する業界に対して、交通安全に関する問題や交通社会に参加するための倫理観、情操教育を行うことを期待していたとしても、現状はそのようなことは行われておらず、また、一般社会からも認識期待されている形跡もない。
以上のとおり、本願商標が商標法3条1項3号に該当するという被告の主張は失当である。
(5) 過去の登録例について 本願商標の出願日以前の過去の登録例も審決の判断の適法性を判断する上で大切である。この観点から、原告は、審判手続において提出した手続補正書(甲第3号証)において、第41類「技芸・スポーツ又は知識の教授」を指定役務とする「パソコン家庭教授」、「環境文化」という商標の登録例(甲第8号証の1、2、甲第9号証の1ないし3。下記表のイ、ウ)について主張したが、本訴において、さらに下記のア、エないしキの登録例を加えて主張する。
記 商標 登録番号 指定役務 ア 環境文化の創造 4229090号 有害動物の防除(農業・園芸又は林業に関するものを除く。)、床磨き、厨房の清浄、防鼠工事、防虫工事 イ 環境文化 4352613号 技芸・スポーツ又は知識の教授他 ウ パソコン家庭教授 3365900号 技芸・スポーツ又は知識の教授 エ 動物占い 4432877号 技芸・スポーツ又は知識の教授他 オ 草の学校 4426404号 技芸・スポーツ又は知識の教授他 カ 技の教室 4457601号 技芸・スポーツ又は知識の教授他 キ 海の学校 4397516号 技芸・スポーツ又は知識の教授他 これらの登録例は、いずれも本願商標よりもはるかにそれぞれの指定役務の質(内容)を想起させるものであるが、すべてが登録となっている(甲第10号証の1ないし5)。審決の判断は、これらの過去の登録例に明らかに反し、誤っており、審決には審理不尽の違法があるというべきである。
少なくとも、登録商標である「環境文化の創造」(甲第10号証の1)の語は、
その指定役務の「有害動物の防除、防鼠工事、防虫工事他」との関係でみれば、指定役務を提供することによって、生活環境が快適となることは明らかであるから、
本願商標が役務の質を表すというのなら、より強く役務の質を表すというべきであり、同じく「環境文化」(甲第8号証の1)の語は、その指定役務の「技芸・スポーツ又は知識の教授他」からすれば、「環境文化」について教えることとなり、役務の質そのものを表していることは明らかである。しかも、「環境文化」の語は、
使用例も多くあり(甲第9号証の1ないし3参照)、大学の学科名ともなっていることから、普通一般に使用されている用語である。商標登録の判断がいかに個別具体的にされるといっても、本願商標の登録が許されないことは、公平性に反し、納得のいくものではない。
2 手続違背の違法性 (1) 審決は、「原査定の理由」の認定として、拒絶査定は、本願商標「車文化の創造」について、指定役務との関係からして、全体として「車に係る文化の創造」といった意味合いを想起させるにすぎないから、これを本願指定役務に使用するときには、「車に係る文化の創造に関する知識の教授」であること、つまり、
単に役務の質(内容)を表示するにすぎないものと認められ、したがって、本願商標は、商標法3条1項3号に該当する旨認定判断して、商標登録出願を拒絶したものであると認定している。
しかし、拒絶査定は、甲第2号証のとおり、「車文化」なる字句は、「自動車を所有する文化」といった意味合いを想起するとしているのであり、審決が認定するように、「車文化の創造」の字句が「車に係る文化の創造」といった意味合いを想起するとはしていない。
さらに、拒絶査定は、「車文化」なる文字を指定役務に使用するときは、「「自動車を所有する文化の創造に関する知識の教授」であること、つまり、単に役務の質(内容)を表示するに過ぎないものと認めます」としているのであり、審決のように単に「車に係る文化の創造に関する知識の教授」を表示するものであるとはしていない。
つまり、拒絶査定の審査官が「車文化」なる字句を「自動車を所有する文化」ととらえているのに対し、審決は、「車にかかわる文化」としてとらえており、その意味内容について明らかに違いがあり、前者は狭く、後者は広い意味となっている。そして、審決は、「当審の判断」の項において、「本願商標が使用された結果、取引者・需要者は「車にかかわる文化を創造する」という程の意味を表しており」と認定し、この認定内容を理由にして判断している。
しかし、原告は、本件審判事件において、本願商標を指定役務に使用した場合に、本願商標が「自動車を所有する文化の創造」の意味を有するものとして、単に指定役務の質(内容)を想起するにすぎないとしたことの拒絶査定の当否を争っているのであり、審決がこれを本願商標を指定役務に使用した場合に、本願商標が「車にかかわる文化の創造」の意味を有するものとしてその意味を拡張し、本願商標は単に指定役務の質(内容)を想起させるにすぎないと認定し、これに基いて審決したことは、明らかに当事者が申し立てていない理由に基いて審理したことになる。
かかる場合について、商標法は、その審理の結果、つまり「車文化の創造」を拒絶査定の「自動車を所有する文化の創造」ではなくて、「車にかかわる文化の創造」と認定した結果を、当事者に通知し、相当の期間を指定して、意見を申し立てる機会を与えなければならないと規定している(商標法56条1項で準用する特許法153条2項)。したがって、この手続を採らなかった審決には重大な手続違背があるというべきである。
なお、被告が主張するとおり、本件に係る平成11年12月16日付の拒絶理由通知(乙第1号証)では、審査官は本願商標の「車文化の創造」を「車に係る文化の創造」としてとらえており、原告もこれを前提とした意見書を提出し、手続補正書で指定役務を「第41類 技芸・スポーツ又は知識の教授」から「第41類 自動車運転・道路交通法・自動車整備技術の教授」に補正している。
しかしながら、拒絶査定(甲第2号証)の内容によれば、審査官が本願商標の「車文化の創造」を「自動車を所有する文化の創造」としてとらえていることは明らかであるというべきである。確かに、被告が指摘するように、拒絶査定では、審査官は「この商標登録出願は、平成11年12月16日付けで通知した理由によって拒絶すべきものと認めます。」と述べているが、本願商標の「車文化の創造」の意味合いについて、上述したように、平成11年12月16日付けの拒絶理由通知(乙第1号証)で述べた事項と、拒絶査定(甲第2号証)で述べた事項に違いがある以上、前者(拒絶理由通知)で述べた事項は、後者(拒絶査定)によって撤回されたとみるべきであり、拒絶理由通知で述べている本願商標の「車文化の創造」を「車に係る文化の創造」とする部分は、拒絶査定で言う「平成11年12月16日付の理由」の中に含まれていないとみるのが相当である。
してみると、審査官は拒絶査定で拒絶理由の内容を一部撤回し、本願商標の「車文化の創造」を「車を所有する文化」という意味合いにとらえて拒絶査定し、これについて原告が拒絶査定不服の審判を請求して争ったのであるから、これを「車に係る文化の創造」としてとらえて判断した審決は、当事者が争っていない事実について判断を下したものというべきであり、被告の主張は失当である。
(2) 審決は、「需要者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができない商標というのが相当である」(審決書4頁10行ないし12行)として、本願商標について、商標法3条1項6号規定の「前各号に掲げるもののほか、
需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」に該当するかのような判断を示している。
しかし、本願商標の登録出願の拒絶の理由としては、あくまで商標法3条1項3号違反について争われているのであるから、明らかに判断の逸脱である。
そして、このような判断を示すには、商標法56条1項で準用する特許法153条2項のとおり、当事者にその旨を伝え相当の期間を指定して意見を申し述べる機会を与えなければならない。しかるに、審決は、この点についてもこのような手続を採っていない。
したがって、審決には手続違背による違法性があるから取り消されるべきである。
なお、被告が主張するとおり商標法3条1項1号から5号が同項6号の例示的列挙であるとしても、6号は1号から5号に該当しない場合に適用する規定であり、
6号に該当する場合と3号に該当する場合とでは、その防御方法が明らかに異なってくるのであるから、勝手に適用する規定を変えることは原告の防御権を損うものである。
(3) 以上のとおり、審決には、商標法56条で準用する特許法153条2項に違反する手続違背があり、違法であるから取り消されるべきである。
被告の反論の要点
1 商標法3条1項3号の該当性について 原告は、本願商標は、本願の指定役務の分野において使用されている事実はなく、また、自動車運転や道路交通法を教授する業界においては、車文化の創造、つまり車を用いた生活習慣の創造等について教えることはないので、本願商標は、役務の質を直接的に表示するものでもないから、商標法3条1項3号に該当しない旨主張している。
しかしながら、以下に述べるとおり、原告の上記主張は失当である。
(1) 本願商標は、「車文化の創造」の文字を書してなるものであるところ、該文字は、商標法5条3項で規定する「特許庁長官の指定する文字(標準文字)のみによって」構成されているものである。
そして、本願商標中の「車」の文字部分は、「@軸に貫いて回転する仕組みの輪。車輪。A車輪の回転によって動く仕掛けのものの総称。牛車・荷車・人力車など。現在では自動車を指すことが多い。」などを意味する語(広辞苑第5版、乙第5号証の1)であるところ、指定役務「自動車運転・道路交通法の教授」との関係からみれば、「自動車」の意味を表したと理解されるものである。
また、同じく「文化」の文字部分は、「@文徳で民を教化すること。A世の中が開けて生活が便利になること。」などを意味する語(広辞苑第5版、乙第5号証の2)である。
さらに、「創造」の文字部分は、「新たに造ること。新しいものを造りはじめること。」などを意味する語(広辞苑第5版、乙第5号証の3)である。
(2) ところで、自動車は、我が国において20世紀初頭に実用化されて以来、その保有台数は増加の一途をたどり、株式会社日刊自動車新聞社2000年5月25日発行「自動車年鑑2000年版」(乙第6号証の1)によれば、1999年には、特殊用途車を除く4輪車合計で7000万台を突破したことが認められる。
上記我が国における現在の保有台数からみても、自動車の異常ともいえる普及により、人々の活動範囲が広がり、生活様式も多様化するといったように、日常生活・社会全般に大きな変革をもたらしたものであることが窺える。
一方で、自動車の急増に伴い、排気ガス等による地球温暖化現象、騒音などの環境問題、交通事故の増大、交通渋滞などさまざまな悪影響がクローズアップされている実情にもある。
このように自動車の利便さだけを追求した結果、その見返りとして、排ガス、騒音等の環境問題、交通事故の増大などの課題に直面しているという自動車の100年の歴史というものそれ自体に、良いにせよ悪いにせよ我が国において自動車に関わる文化は形づけられているといえるのである。
のみならず、近時、自動車による弊害を減らし、むしろ自動車を活用して自動車と人、地域社会との共存を図り、さらには地球環境をも考慮した施策が推し進められている状況にある。
例えば、介護タクシー、低床バス等の導入、福祉車両の開発等の交通のバリアフリー化を実現し、高齢社会に対応した施策が進められていること、環境問題に関しては、電気自動車、ハイブリッドカーといわれる低公害車の開発、排ガス規制、アイドリングストップ運動など環境を配慮した提案がなされていることなどが挙げられる。
(3) さらに、内閣府の「交通安全対策」によれば第7次交通安全基本計画として、「交通安全思想の普及徹底」と題する項目(乙第7号証)の中で、「交通安全教育は、自他の生命尊重という理念の下に、交通社会の一員としての責任を自覚し、交通安全意識と交通マナーの向上に努め、相手の立場を尊重し、他の人々や地域の安全にも貢献できる良き社会人を育成する上で、重要な意義を有している。
交通安全意識と交通マナーを身につけるためには、人間の成長過程に合わせ、生涯にわたる学習を促進していくことが必要である。」とし、「段階的かつ体系的な交通安全教育の推進」等を挙げている。
また、前出「自動車年鑑2000年版」の「自動車教習所」の項(乙第6号証の2)によれば、「求められる生涯交通教育」等として、「・・教習所が初心運転者教育に取り組むに当たって、単に運転技量のみを教えればよいのではなく、交通社会に参加するための倫理観、情操教育なども重要な課題になってきている。実際モラルを身につけるという観点で、・・・安全意識の向上につながる社会活動への参加といった情操教育につながる講習方法も取り入れられている。」、「・・・98年8月に国家公安委員会がまとめた「交通安全教育指針」では、幼児から高齢者までの年齢層別、かつ歩行者、自転車乗車中、自動車乗車中といった状態別に、目的や目標、教育内容を示した体系的な交通教育体制が必要だとされている。・・・こうした体系的な交通生涯教育の試みとして、指定教習所ではいくつかの試みにチャレンジしているところもある。」などの記載が認められ、さらに、同「自動車教育の現状」の項(乙第6号証の3)によれば、「「自動車教育」の重要性」と題し、
「自動車の持つ利便性を享受しつつ、そこから生じる様々な課題を解決していくためには、自動車に関連した社会的・経済的な知識や、構造・機能に関する理解が不可欠である。また、その知識や理解は、運転者のみならずクルマ社会に生きるすべての人に求められている。・・・自動車先進国である欧米諸国は、この分野の教育にも早くから取り組み、成果を上げている。本稿では、馬車/自動車文化で歴史があり、学校教育やチャリティ(民間公益活動)で独自性を誇るイギリスの実情を踏まえ、日本の現状を考えてみたい。」として、イギリスにおける「自動車教育」を取り上げ、日本の「自動車教育」がどうあるべきかを説いている。
このように、交通安全に関する問題については、官民一体となって取り組んでいるところであり、とりわけ、学校や自動車教習所は、運転技量、交通ルール等のみならず、交通社会に参加するための倫理観、情操教育なども重要視されるとあり、
これはまさに自動車に関わる事柄を「文徳で教化すること」というべきものであり、現在及び将来にわたって、自動車との関わり合いをよりよいものにしていくため、自動車に関わる文化を創造し、教授していく担い手として重要視されていると考える。
(4) そして、自動車教習所では、交通安全に関して実際に種々の試みがなされている実情にあることは、例えば、
ア 平成4年6月25日付け読売新聞(乙第8号証)によれば、「交通事故5000人突破・・・」と題する記事には、「警視庁は交通死亡事故が世界各国でも多発していることを踏まえ、・・・中・長期対策としては自動車教習所の普通自動車教習カリキュラムの大幅改正も検討中だ。技能教習時間を現行より増やし、・・・「免許量産」から「安全思想と安全運転重視」の教習に力点を置き換える。」との記載がある。
イ 平成4年7月31日付け読売新聞(乙第9号証)によれば、「「とれんど」安全運転は「声だし確認」で」と題する記事には、「山形県にある自動車教習所が、興味深い実践を報告している。鉄道と同じように、声に出して安全確認を行う教習だ・・・。声と行動という〈形〉を通じて、安全意識やマナーを習慣づけようとする試みだ。」との記載がある。
ウ 平成12年10月6日付け読売新聞(乙第10号証)によれば、
「交通事故防止へ ざん新アイデア」と題する記事には、「松山西署管内の唯一の教習所だが、・・・幼稚園児の交通安全指導教室を開いた。・・・「人間教育そのものなんです。」という言葉に、交通事故を少しでも減らそうという、堅い決意をにじませた。」との記載がある。
これらの新聞記事からも、自動車との結びつきが極めて密接な自動車教習所が、
いかに交通事故が減らせるかなど交通安全対策を模索する状況にあることが明らかである。
(5) 「車文化の創造」ないし「自動車文化の創造」なる語の使用例 ア 昭和60年10月31日付け日本経済新聞(乙第11証)によれば、「東京モーターショー、あすから一般公開」と題する記事中に、「今回のテーマはより豊かな自動車文化の創造の意味を込めた「走る文化。くるま新世代」。」との記載が認められる。
イ 平成元年5月9日付け日本経済新聞(乙第12号証)によれば、
「トヨタ自動車副社長佐々木紫郎氏-変容する自動車産業」と題する記事中に、
「カーエレクトロニクスは車内にとどまらず、道路環境や社会全体との結びつきを深めていく。新しい車文化の創造にも一役買うだろう。」との記載が認められる。
ウ 平成4年7月19日付け毎日新聞(乙第13号証)によれば、「参院選・比例代表区38政党の公約/17 モーター新党」と題する記事中に、「自動車大国・日本のふさわしい自動車文化の創造を目指します。交通安全教育を義務教育に導入します。」との記載が認められる。
エ 平成6年5月21日付け読売新聞(乙第14号証)によれば、
「[ちょっとそこまで]マツダのアンテナショップ「M2」“夢の一台”を」と題する記事中に、「「ユーザーと触れ合うことにより新しい自動車文化を創造しよう」と、・・・」との記載が認められる。
オ 平成12年11月16日付け日経産業新聞(乙第15号証)によれば、「ベンチャー調査回答一覧-卸・小売業(3)」と題する記事中に、オート トレーディング ルフト ジャパンは「車文化への“創造と貢献”をテーマに、世界中から車の輸入および輸出をし、国内では、生活者への販売とディーラーへの卸業を実施。」との記載が認められる。
以上のように、「車文化の創造」、「自動車文化の創造」の語は、自動車に関連する業界で使用されている実情からすれば、普遍的な語であるといわざるを得ない。
(6) 指定役務との関係について 上記(2)ないし(5)に述べたように、我が国において自動車が実用化されて以来およそ100年の歴史があり、その間に自動車は、我が国の国民の日常生活に密着し、今や欠くことができない存在となっていることは事実であり、将来においても、自動車は、その弊害を減らし、さらに活用の道が開かれる人の道具として、
人、あるいは社会との関わり合いを深めていくことが予測され、このような車社会といわれる今日の日本において、本願商標の指定役務を取り扱う自動車教習所は、
運転技量、交通ルール等のみならず、交通社会に参加するための倫理観、情操教育なども重要視されていることは前記したとおりであり、人との関わり合いを含めた自動車に関する文化を創造していくことが要請されているといえる。
また、「車文化の創造」などの語が自動車に関連する業界等で普通に使用されている実情を併せ考えると、「車文化の創造」の文字よりなる本願商標をその指定役務について使用した場合、これに接する一般の需要者は、提供される役務の内容について、通常提供される運転技量、交通ルール等の教授に、交通社会に参加するための倫理観等の指導が付加されたもの、すなわち、人と自動車との関わり合いを通じて「車にかかわる文化を創造する」ともいうべき教授、指導が行われていると理解するにとどまり、自他役務を識別すべき商標とは認識し得ないというべきである。
(7) 以上のとおり、本願商標は、その指定役務について使用しても役務の質(内容)を表示するものであるから、本願商標が商標法3条1項3号に該当するとして、登録することができないとした審決の認定判断に何ら誤りはなく、原告の主張は失当である。
(8) 過去の登録例について 本願商標と原告の挙げた登録例は、これらを構成する文字、またはその文字から生ずる意味合いにおいて異なり、さらには使用する役務も異なるものも存在するものであり、出願された商標が商標法3条1項3号に該当するか否かは、当該商標の査定時又は審決時において、その商標が使用される商品又は役務の取引の実情等を考慮し、個別具体的に判断されるものであるから、原告の挙げた登録例は、本願商標と事案を異にするものといわざるを得ない。そして、本願商標は、役務の質を表示するものであって、自他役務の識別標識としての機能を果たし得ないことは上記のとおりであり、原告の挙げた登録例の存在によってその認定が左右されるものではないし、また審決に原告主張の審理不尽の違法はない。
2 手続違背(商標法56条1項で準用する特許法153条2項)について (1) 原告は、拒絶査定の理由が、「本願商標は、「自動車を所有する文化」といった意味合いを想起する」旨認定したのに対し、審決は、「本願商標は、
「車に係る文化の創造」といった意味合いを想起する旨認定したものであるとして、当事者が申し立てない理由に基づいて審理した場合は、その結果を当事者に通知し、相当の期間を指定して意見を申し立てる機会を与えなければならないところ、これをしなかった審決には重大な手続違背がある旨主張している。
しかしながら、拒絶査定(甲第2号証)の「理由」中に「この商標登録出願は、
平成11年12月16日付けで通知した理由によって、拒絶をすべきものと認めます。」と記載されていることから明らかなように、本件に係る平成11年12月16日付の拒絶理由通知(乙第1号証)は、「この商標登録出願に係る商標は、・・・・「車に係る文化の創造」といった意味合いを想起させるにすぎないから・・・・商標法第3条第1項第3号に該当する。」旨認定し、出願人(原告)に対して、相当の期間を指定して意見を申し立てる機会を与えた。
これに対して、原告は、平成12年2月16日付け意見書をもって意見を述べ、
同日付け手続補正書をもって指定役務補正したものである(乙第2号証及び乙第3号証)。
してみると、平成12年5月29日付け拒絶査定においては、甲第2号証に記載のとおり、「「自動車を所有する文化」といった意味合いを想起させるにすぎない」旨の記載があるとしても、審決の「本願商標は「車にかかる文化を創造する」を意味し、指定役務の質(内容)を表示するに止まる。」旨の認定は、原告に拒絶理由として既に通知しているものであり、これに対し原告は、反論の意見書を提出し、手続補正書をもって指定役務補正したものであるから、原告の防御権を損なうことは全くないというべきである。
(2) また、原告は、審決が本願商標につき「需要者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができない商標」と商標法第3条1項6号のような判断をしているが、本願商標は同法3条1項3号に該当するとして拒絶されたのであるから判断の逸脱であり、このような場合は、当事者にその旨を通知し相当の期間を指定して意見を申し立てる機会を与えなければならないところ、これをしなかった審決には重大な手続違背がある旨主張している。
しかしながら、商標法3条は、商標登録を受けることができる商標についての要件を規定し、同条1項各号は、自他商品又は自他役務の識別標識としての機能を果たし得ない商標を列挙している。そして「六号は、一号から五号までの総括条項である。逆にいえば一号から五号までは、六号を導き出すための例示的列挙といえるものであり、「特別顕著」の一般的意味を明らかにしている」(特許庁編、工業所有権逐条解説、乙第4号証)ところから、単に役務の提供場所や質等を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標であって、同項3号に該当する場合においても、当然のこととして、需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標であることに何ら変わりはないものである。
したがって、審決が、本願商標について「需要者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができない商標」と認定したことは、同項6号のような判断をしたものではなく、拒絶査定の適用条文に即して認定判断したものである。
(3) 以上(1)(2)で述べたとおり、本件審決は、その手続において、商標法56条で準用する特許法153条2項に違反してなされたものではなく、原告の主張はいずれも失当である。
理 由1 本願商標の構成及び指定役務 本願商標が「車文化の創造」の文字を書してなるものであり、該文字は、商標法5条3項に規定の特許庁長官の指定する文字(標準文字)のみによるものであること、本願商標の指定役務は、平成12年10月20日付け手続補正書により商品及び役務の区分第41類の「自動車運転・道路交通法の教授」とされていることは争いがない。
2 商標法3条1項3号該当の認定判断の誤りの存否について (1) 本願商標の構成中の「車」の語は、指定役務の「自動車運転・道路交通法の教授」との関係からみて、「自動車」を意味をするものであることは明らかである。
同じく「文化」の語について、一般的な国語辞典をみると、原、被告が指摘するように、「@文徳で民を教化すること。A世の中が開けて生活が便利になること。」(広辞苑第5版、乙第5号証の2)、「@世の中が進歩して文明になること。ひらけること。文明開化。A文徳で民を教え導くこと。B(culture)人間が学習によって社会から習得した生活の仕方の総称。」(広辞苑第2版、甲第13号証の1)、「(1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。
カルチャー。(2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。(3)世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。文明開化。(4)他の語の上に付いて、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。」(大辞林第2版、甲第13号証の2)、「@世の中が開け進むこと。A自然を人間の生活に役だつようにかえていく活動が作りだした成果。B学問・芸術など、人間の精神活動の所産。」(現代実用辞典改訂増補版、甲第13号証の3)、「@世の中が開け進むこと。A学問・道徳で、民を教え導くこと。B人間が本来の理想を実現していく活動の過程。その物質的所産である文明に対して、特に精神的所産の称。芸術・科学・道徳・宗教・法律など。」(国語辞典新版、甲第13号証の4)とそれぞれ記載されていることが認められる。
また、「創造」の語は、「新たに造ること。新しいものを造りはじめること。」(広辞苑第5版、乙第5号証の3)を意味することが認められる。
(2) 以上の本願商標「車文化の創造」を構成するそれぞれの語が有する意義を前提として、本願商標が指定役務「自動車運転・道路交通法の教授」に使用されて、その需要者が本願商標に接した場合に、本願商標についてどのように理解し認識するかについて検討する。
ア 被告が指摘するとおり、我が国において、自動車は20世紀初頭に実用化されて以来、その保有台数は増加の一途をたどっており(乙第6号証の1(株式会社日刊自動車新聞社平成12年5月25日発行「自動車年鑑2000年版」)によれば平成11年には特種用途車を除く4輪車合計で7000万台を突破していることが認められる。)、これに伴って国民の活動範囲が広がり、生活様式も多様化し、余暇生活の幅も広がるなど、自動車は日常生活に密着して生活様式を変容させて、社会全般に大きな変革をもたらしていること、他方では、自動車保有台数の著しい増加に伴い、交通事故による死傷者数の増大、排気ガス、騒音、RV車の無軌道な走行等による環境問題など、大きな社会問題が生じていること、そして、近年では、自動車の保有、利用によってもたらされる日常生活上の利便性、快適性を享受する一方で、その弊害をできるだけ減らすことが重要であることが認識されて、交通安全教育、交通マナー・道徳教育が社会的にも重視されるようになり(乙第7ないし第10号証参照)、さらには、自動車を活用して地域社会との共存を図り、地球環境をも考慮した施策が推し進められている状況にあり、例えば、介護タクシー、低床バス等の導入、福祉車両の開発等の交通のバリアフリー化を実現し、
高齢社会に対応した施策が進められ、環境問題に関しては、電気自動車、ハイブリッドカーといわれる低公害車の開発、排ガス規制、アイドリングストップ運動など環境を配慮した提案がなされていることは、いずれも広く国民の一般に認識され、
浸透しており、顕著な事実であると認められる。
イ 上記のとおり、自動車が普及した現代の社会生活において、交通安全教育、交通マナー・道徳教育が重視されており、また、自動車教習所、自動車学校は、単に運転技術や交通法規の教授にとどまらず、交通安全教育を担う者として、
交通安全教育に関する種々の試みをしていることを示す具体例として、本件証拠上、以下の記述が挙げられる。
(ア) 乙第7号証によれば、内閣府の「交通安全対策」における第7次交通安全基本計画として、「交通安全思想の普及徹底」との項目の中で、「交通安全教育は、自他の生命尊重という理念の下に、交通社会の一員としての責任を自覚し、交通安全意識と交通マナーの向上に努め、相手の立場を尊重し、他の人々や地域の安全にも貢献できる良き社会人を育成する上で、重要な意義を有している。
交通安全意識と交通マナーを身につけるためには、人間の成長過程に合わせ、生涯にわたる学習を促進していくことが必要である。」とし、「段階的かつ体系的な交通安全教育の推進」を挙げ、「成人に対する交通安全教育」として、成人に対する交通安全教育は、自動車等の安全運転の確保の観点から、免許取得時及び免許取得後の運転者の教育を中心として行う」とされ、「運転免許取得時の教育は、自動車教習所における教習が中心となることから、教習水準の一層の向上に努める」とされている。
(イ) 前掲「自動車年鑑2000年版」の「自動車教習所」の項(乙第6号証の2)に、「教習所が初心運転者教育に取り組むに当たって、単に運転技量のみを教えればよいのではなく、交通社会に参加するための倫理観、情操教育なども重要な課題になってきている。実際モラルを身につけるという観点で、97年の道路交通法一部改正で違反点数三点以下の軽い交通違反を繰り返したドライバーに対して、安全意識の向上につながる社会活動への参加といった情操教育につながる講習方法も取り入れられている。」、「98年8月に国家公安委員会がまとめた「交通安全教育指針」では、幼児から高齢者までの年齢層別、かつ歩行者、自転車乗車中、自動車乗車中といった状態別に、目的や目標、教育内容を示した体系的な交通教育体制が必要だとされている。・・・こうした体系的な交通生涯教育の試みとして、指定教習所ではいくつかの試みにチャレンジしているところもある。」と記載され、「自動車教育の現状」の項(乙第6号証の3)に、「「自動車教育」の重要性」と題して、「自動車の持つ利便性を享受しつつ、そこから生じる様々な課題を解決していくためには、自動車に関連した社会的・経済的な知識や、構造・機能に関する理解が不可欠である。また、その知識や理解は、運転者のみならずクルマ社会に生きるすべての人に求められている」と記載されている。
(ウ) 乙第8号証(平成4年6月25日付け読売新聞)には、「警視庁は交通死亡事故が世界各国でも多発していることを踏まえ、・・・中・長期対策としては自動車教習所の普通自動車教習カリキュラムの大幅改正も検討中だ。・・・「免許量産」から「安全思想と安全運転重視」の教習に力点を置き換える。来年秋ごろから実施に踏み切りたいという。・・・ドライバーも歩行者も、車の利便さの裏側に潜む悲惨さに改めて思いをめぐらせ、第二次交通戦争に終止符を」と記載されている。
(エ) 乙第9号証(平成4年7月31日付け読売新聞)には、「山形県にある自動車教習所が、興味深い実践を報告している。鉄道と同じように、声に出して安全確認を行う教習だ・・・。声と行動という〈形〉を通じて、安全意識やマナーを習慣づけようとする試みだ。」と記載されている。
(オ) 乙第10号証(平成12年10月6日付け読売新聞)には、
「松山西署管内の唯一の教習所だが、・・・幼稚園児の交通安全指導教室を開いた。指導員が「意識の高揚への動機付けになれば」と考え、子供たちの顔写真を載せた「チビッコ免許証」を全国で初めて作った。・・・「人間教育そのものなんです」という言葉に、交通事故を少しでも減らそうという、堅い決意をにじませた。」と記載されている。
ウ 自動車教習所、自動車学校の案内広告においても、「21世紀は心の世紀」、「明るく楽しく互譲の心」、「人命を尊び、自然に優しいドライバー教育に取り組んでいます」(甲第5号証の7)と記載したり、「特色」として、第1番目として「「親切」と「思いやり」をモットーに」(甲第5号証の9)と記載したり、「校訓」として、「生命の大切さを教えます」、「運転の責任を教えます」、
「運転の楽しさを教えます」、「地域の安全に貢献します」(甲第5号証の10)と記載するなど、その役務である自動車運転・道路交通法の教授において、広く交通安全教育や交通マナー・道徳教育を対象者に対して実施して、交通安全教育の担い手としての役目を果たすことを明示して、募集、宣伝している例も見受けられる。
エ また、「車文化の創造」ないし「自動車文化の創造」という語の使用例をみても、我が国で発行の新聞記事に以下のとおりの記載があるように、これらの語は、自動車関連の分野において、一般的な用語として使用されていることが認められる。
(ア) 乙第11号証(昭和60年10月31日付け日本経済新聞)には、「東京モーターショー、あすから一般公開」と題する記事中に、「今回のテーマはより豊かな自動車文化の創造の意味を込めた「走る文化。くるま新世代」。」と記載されている。
(イ) 乙第12号証(平成元年5月9日付け日本経済新聞)には、
「トヨタ自動車副社長佐々木紫郎氏-変容する自動車産業」と題する記事中に、
「カーエレクトロニクスは車内にとどまらず、道路環境や社会全体との結びつきを深めていく。新しい車文化の創造にも一役買うだろう。」と記載されている。
(ウ) 乙第13号証(平成4年7月19日付け毎日新聞)には、「参院選・比例代表区38政党の公約/17 モーター新党」と題する記事中に、「自動車大国・日本のふさわしい自動車文化の創造を目指します。交通安全教育を義務教育に導入します。」と記載されている。
(エ) 乙第14号証(平成6年5月21日付け読売新聞)には、
「[ちょっとそこまで]マツダのアンテナショップ「M2」“夢の一台”を」と題する記事中に、「ユーザーと触れ合うことにより新しい自動車文化を創造しよう」と記載されている。
(オ) 乙第15号証(平成12年11月16日付け日経産業新聞)には、「ベンチャー調査回答一覧-卸・小売業(3)」と題する記事中に、オート トレーディング ルフト ジャパンは「車文化への“創造と貢献”をテーマに、世界中から車の輸入および輸出をし、国内では、生活者への販売とディーラーへの卸業を実施。」と記載されている。
(3) 上記(2)のアないしウの事実によれば、我が国では、自動車の保有台数が著しく増えて、自動車は、我が国の国民の日常生活に密着し、その生活様式を大きく変容させ、利便性や快適性を享受させるものとして不可欠な存在となっているが、他方では、交通事故、環境問題等という重大な弊害も生じていることから、
その弊害をできるだけ減らすことが重要であることが認識されて、交通安全教育、
交通マナー・道徳教育が社会的にも重視されるようになり、さらには、自動車を活用して地域社会との共存を図ることが試みられており、自動車と人との関わり合いにおいて全体として調和がとれた社会が実現することが望まれている状況にあると認められる。
そして、本願商標の指定役務である「自動車運転・道路交通法の教授」を取り扱う自動車教習所、自動車学校は、需要者である受講対象者に対して、運転技術を習得させて自動車の保有、利用による利便性、快適性を享受させることのみならず、
広く交通安全教育、交通マナー・道徳教育を実施することも重視されているのであり、上記のとおりの調和のとれた社会を実現するに際して重要な役割を果たすことが要請されているということができる。
このような状況に、「車文化の創造」の語が自動車に関連する分野で一般的な用語として使用されていること(上記(2)のエの事実)、自動車教習所、自動車学校の案内広告において、その役務である自動車運転・道路交通法の教授において、
広く交通安全教育や交通マナー・道徳教育を対象者に対して実施して、交通安全教育の担い手としての役目を果たすことを明示して、募集、宣伝している例も見受けられること(上記(2)のウの事実)を併せ考慮すると、「車文化の創造」を標準文字で書してなる本願商標をその指定役務である「自動車運転・道路交通法の教授」について使用した場合、これに接する一般の需要者は、「車文化の創造」の語は、上記のとおり自動車と人との関わり合いにおいて全体として調和のとれた社会を実現することを意味するものであり、提供される役務の内容について、運転技術や交通法規の教授だけでなく、その社会の実現のために必要とされる交通安全教育、交通マナー・道徳教育が十分にされることを表明しているものと理解するにとどまり、自他役務を識別すべき商標として認識することは困難であるといわざるを得ない。
(4) 以上によれば、本願商標は、その指定役務について使用した場合に、役務の質(内容)について、普通に用いられる方法で表示した標章であるということができるから、本願商標が商標法3条1項3号に該当し登録することができないとした審決の認定判断に誤りはなく、これに反する原告の取消事由の主張は理由がない。
なお、原告は、本願商標以外の過去の登録例に関する主張をしているが、これらの登録商標は、いずれも構成文字及び指定役務において本願商標と異なるものであって、上記の認定判断を左右するに足りるものではなく、したがって、審決には原告主張の審理不尽の違法はないものと認められる。
3 手続違背(商標法56条1項で準用する特許法153条2項)の存否について (1) 原告は、拒絶査定の理由が、「本願商標は、「自動車を所有する文化」といった意味合いを想起する」旨認定したのに対し、審決は、「本願商標は、「車に係る文化の創造」といった意味合いを想起する旨認定したものであるとして、当事者が申し立てない理由に基づいて審理した場合は、その結果を当事者に通知し、
相当の期間を指定して意見を申し立てる機会を与えなければないところ、これをしなかった審決には重大な手続違背がある旨主張している。
しかしながら、甲第2号証によれば、拒絶査定は、その「理由」として、「この商標登録出願は、平成11年12月16日付けで通知した理由によって、拒絶をすべきものと認めます。」と記載していることが認められ、乙第1号証によれば、上記の引用にかかる平成11年12月16日付けの拒絶理由通知は、「この商標登録出願に係る商標は、・・・・「車に係る文化の創造」といった意味合いを想起させるにすぎないから・・・・商標法第3条第1項第3号に該当する。」旨認定し、出願人(原告)に対して、相当の期間を指定して意見を申し立てる機会を与えたこと、そして、乙第2、第3号証によれば、この拒絶理由通知に対して、原告は、平成12年2月16日付け意見書をもって意見を述べ、同日付け手続補正書をもって指定役務補正したことが認められる。
(2) この点に関して、原告は、拒絶査定は、平成11年12月16日付で通知した理由によって拒絶すべきものと認めます旨述べているが、本願商標の「車文化の創造」の意味合いについて平成11年12月16日付けの拒絶理由通知に記載された「車に係る文化の創造」とは異なって、「自動車を所有する文化」と記載されているので、拒絶理由通知で述べた事項は、この拒絶査定によって撤回されたとみるべきである旨主張している。
しかしながら、甲第2号証によれば、拒絶査定の理由は、上記(1)のとおりのものであり、原告がこれと異なると指摘する拒絶査定中の「自動車を所有する文化」との記載部分は、上記拒絶査定の理由を冒頭に記載した上で、次に「なお」と書き起こして、原告が上記(1)の意見書において本願商標の「車文化」なる語句は造語の一種であり、特別顕著性がある旨主張したことに対して、新聞に一般的な用語として使用されているとの証拠を挙げて、「車文化」の文字は造語といえるものではなく、「自動車を所有する文化」といった意味合いを想起させるにすぎないから、先の拒絶査定の認定を覆すことができない旨説示したものであると認められるから、この原告指摘の記載があることをもって、拒絶査定の理由を撤回ないし変更したものとみることはできず、原告の上記主張は採用することができない。
(3) 以上のとおり、平成12年5月29日付けの拒絶査定は、その「理由」として、平成11年12月16日付の拒絶理由通知の内容を引用しているところ、
この拒絶理由通知に対して、原告は、反論の意見書を提出し、手続補正書をもって指定役務補正したものであるから、原告の防御権は何ら損なわれておらず、本件の審判手続の過程において違法性があるとは認めることができず、原告の手続違背の主張は、理由がない。
(4) なお、原告は、審決は本願商標につき「需要者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができない商標」と商標法第3条1項6号のような判断をしているが、本願商標は同項3号に該当するとして拒絶されたのであるから審決には判断の逸脱がある旨主張している。
しかしながら、被告が指摘するとおり、商標法3条は、商標登録の要件を規定し、同条1項各号は、その除外要件として、自他商品又は自他役務の識別標識としての機能を果たし得ない商標を列挙しているのであるから、同項3号に該当する場合においても、需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することできない商標であることに変わりはなく、審決が本願商標について「需要者が何人かの業務に係る役務であることを認識することができない商標」であると認定したことは、この趣旨で記載したものであり、審決は本願商標について同項3号に該当するものと判断して拒絶査定を維持したしたものであり、同項6号に該当すると判断したものでないことは、審決書(甲第1号証)の理由の記載内容に照らして明らかであるというべきであるから、原告の上記の取消事由も理由がない。
4 結論 このように原告主張の審決の取消事由はすべて理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 永井紀昭
裁判官 古城春実
裁判官 橋本英史