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関連審決 異議1998-90086
関連ワード 包装 /  指定商品 /  混同を生ずるおそれ(混同を生じるおそれ) /  4条1項15号 /  国内 /  登録異議申立 /  継続的に使用 /  継続 /  商号 /  同業者 / 
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事件 平成 11年 (行ケ) 210号 商標登録取消決定取消請求事件
原告 【A】
訴訟代理人弁護士 河野美秋、野田部哲也、西岡文博
被告 特許庁長官【B】
指定代理人 【C】、【D】、【E】
被告補助参加人 有限会社魯山窯 代表者代表取締役 【F】
訴訟代理人弁護士 美勢克彦、弁理士 【G】
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2000/04/20
権利種別 商標権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、参加によって生じたものを含め原告の負担とする。
事実及び理由
原告の求めた裁判
「特許庁が平成10年異議第90086号事件について平成11年4月30日にした決定を取り消す。」との判決。
事案の概要 特許庁における手続の経緯 原告は、登録第4051156号商標(平成7年4月24日商標登録出願、平成9年8月29日設定登録。本件商標)の商標権者である。本件商標は別紙に示すように「魯山」の文字から成り、第21類「ガラス基礎製品(建築用のものを除く),なべ類,コーヒー沸かし(電気式又は貴金属製のものを除く),鉄瓶,やかん,食器類(貴金属製のものを除く),アイスペール,泡立て器、魚ぐし,携帯用アイスボックス,こし器,こしょう入れ,砂糖入れ及び塩振り出し容器(貴金属製のものを除く),卵立て(貴金属製のものを除く),ナプキンホルダー及びナプキンリング(貴金属製のものを除く),盆(貴金属製のものを除く),ようじ入れ(貴金属製のものを除く),米びつ,ざる,シェーカー,しゃもじ,手動式のコーヒー豆ひき器及びこしょうひき,じょうご,食品保存用ガラス瓶,水筒,すりこぎ,すりばち,ぜん,栓抜き,大根卸し,タルト取り分け用ヘラ,なべ敷き,はし,はし箱,ひしゃく,ふるい,まな板,魔法瓶,麺棒,焼き網,ようじ,レモン絞り器,ワッフル焼き型(電気式のものを除く),清掃用具及び洗濯用具,家事用手袋,化粧用具,おけ用ブラシ,金ブラシ,管用ブラシ,工業用はけ,船舶ブラシ,ブラシ用豚毛,洋服ブラシ,靴ブラシ,靴べら,靴磨き布,軽便靴クリーナー,シューツリー,ガラス製又は陶磁製の包装用容器,かいばおけ,家禽用リング,アイロン台,愛玩動物用食器,愛玩動物用ブラシ,犬のおしゃぶり,植木鉢,家庭園芸用の水耕式植物栽培器,家庭用燃え殻ふるい,紙タオル取り出し用金属製箱,霧吹き,靴脱ぎ器,こて台,小鳥かご,小鳥用水盤,じょうろ,寝室用簡易便器,石炭入れ,せっけん用ディスペンサー,貯金箱(金属製のものを除く),トイレットペーパーホルダー,ねずみ取り器,はえたたき,へら台,湯かき棒,浴室用腰掛け,浴室用手おけ,ろうそく消し及びろうそく立て(貴金属製のものを除く),花瓶(貴金属製のものを除く),ガラス製又は磁器製の立て看板,香炉,コッフェル,水盤(貴金属製のものを除く),風鈴」を指定商品とする。
被告補助参加人は、平成10年1月14日、本件商標の登録異議の申立てをし、
平成10年異議第90086号事件として審理されたが、平成11年4月30日、
本件商標の登録を取り消す旨の決定があり、その謄本は同年6月16日原告に送達された。
2 決定の理由の要点 (1) 取消理由通知 登録異議の申立てがあった結果、本件商標の登録を取り消すべきものとして原告に対し通知した取消理由は、要旨次のとおりである。
本件商標は、「魯山」の文字より成るところ、陶磁器の製造・販売に関わる当業者間において、「小笠原魯山」は、佐賀県伊万里市所在の被告補助参加人ないしその前身である「有限会社魯山製陶所」の会社代表者(事業主)が代々名乗る陶工の称号と認められる。また、同称号の略称であり、同窯元の呼称名である「魯山窯」、「魯山」の文字(語)は、被告補助参加人がその製品について使用する商標として、本件商標の登録出願時において、陶磁器に関わる当業者・需要者間において、広く認識されたものと認められる。そして、本件商標は、その指定商品中に食器類、容器類、花瓶、看板等、陶磁器に関連する商品を多数包含するものである。
そうとすれば、本件商標をその指定商品について使用した場合、これに接する取引者、需要者は、被告補助参加人の業務に係るものであるかのごとく、商品の出所について混同を生ずるおそれがあるといわざるを得ない。
したがって、本件商標の登録は、商標法4条1項15号に違反してされたものであるから、同法43条の3第2項により取り消すべきものとする。
(2) 取消理由通知に対する商標権者(原告)の意見 上記2の取消理由の通知に対して、原告は、その経緯・事情及び意見を次のようにそれぞれ述べ、証拠方法として、審判乙第1号証ないし審判乙第37号証(枝番号を含む。)を提出した。
(2)-1 経緯・事情の主張 (2)-1-1 「魯山」号を創設し、これをその製作に係る陶磁器に用いた【H】は、作陶家「小笠原藤右衛門」の五代目であり、「小笠原藤右衛門」の号は、一子相伝の系譜により現在七代目原告(本件商標権者)がこれを承継している(審判乙第1号証の1、2、審判乙第2号証の2)。
(2)-1-2 初代「小笠原藤右衛門」は1700年代中期、九州佐賀藩主鍋島加賀守が藩の優れた焼物の秘術を保持するため、他の地方と隔絶した「大川内」を「御用焼」場とした際、この「大川内」に移り以後七代にわたる今日まで連綿として小笠原家は鍋島侯の選定した「大川内」で陶器の生産に従事した。
その秘術の本領は青磁にあり、典雅な色彩と光沢を持つ雅趣、幽玄の趣き深い青磁は大体の場合、この小笠原家の手によるものである(審判乙第2号証の2、審判乙第3号証)。
本件商標権者である原告は、「小笠原藤右衛門」の七代目であり、その秘術の本領はその祖と源流を同じくし、「藤右衛門」、「魯山」という号を用い、それを製品の銘、商標として製作、販売していた。
(2)-1-3 この「小笠原藤右衛門」、「魯山」は、作陶家個人(商標権者・原告)を示す号であるとともにその自ら製作する作品に付される銘であり、かつ原告が経営する窯より製造される製品、いわゆる窯物と称される大量生産品に使用される商標でもあるという三つの側面を持つ。
窯物は作陶家の生活を支える手段でその製造の実際は雇用労働者である陶工等によりなされるものであり、その社会的評価の基本は作陶家が自ら作る作品に依拠している。すなわち、藤右衛門・魯山という商標の付された製品の背後には本件商標権者である原告が存在するという社会的認識がある。
(2)-1-4 すなわち「窯物」の背後に一子相伝の系譜に基づき、正当継承者として幼少期より特殊の訓育を受け、特別の訓練を課され、長ずるに奥義を継承した技量衆を抜く陶芸家及びその作品が存在して初めて窯物に付された商標が商標として機能するのである。
(2)-1-5 このように「号」は、陶芸家個人を指す名称であるとともに、陶芸家が自ら製作する陶芸品に付される「銘」であり、「窯物」(大量生産品)の商標でもある。陶芸品の銘は、その陶芸品が特定の陶芸家の作品であることを表しているもので、商標法が成立する以前から今日まで続けられ共通の社会的認識となっている。このことは名陶工の系譜である「酒井田柿右衛門」「今泉今右衛門」等でも同様である。
(2)-1-6 「魯山」号を創始した五代目小笠原藤右衛門(【H】)には男子がなかったため、五人の娘のうち三女【I】に【J】を婿に迎えた。【H】は【I】、【J】夫婦に長男(原告)が誕生すると、これを【H】を継ぐ者との意を込めて【A】と名付け特別の訓育を施し修練を課した。
原告(七代目藤右衛門)は、五代目藤右衛門である祖父【H】の直接の薫陶を受け師事し陶芸家として技量を磨いた。これは【H】が「小笠原家」の作陶の秘術・奥義を【A】という血脈の系譜により継承させようと期待していたことを示すものである。また、長男原告の誕生によって、【J】は【H】と初めて法律上の養子縁組をし、【J】姓より小笠原姓に変わったことも、この間の事情を物語るものといえる(審判乙第2号証の1)。
(2)-1-7 祖父【H】は昭和17年、大川内の地に「魯山窯」を開き、「藤右衛門」、「魯山」という号を称し、その作品、製品に「藤右衛門」、「魯山」の銘、
商標を用いていた。昭和31年に祖父【H】が死亡し、原告は昭和37年、19才のときに祖父【H】が築いた魯山窯(大川内町<以下略>)を承継した(審判乙第5号証の1ないし9、審判乙第6号証の1ないし2、審判乙第7号証の1ないし7)。
原告の父【J】は昭和35年ころ、魯山窯とは別に伊万里市<以下略>にて「伊万里色鍋島」を経営していたが、昭和39年「伊万里色鍋島」の経営が思わしくなく、
「大川内」(大川内町<以下略>)に戻ってきて、原告の魯山窯で陶磁器を生産することになった。その後、昭和59年に至り伊万里市<以下略>に自宅を構え、同61年自宅にて没した(審判乙第8号証、審判乙第9号証)。
一方、原告は、生まれてこの方祖父【H】(五代目藤右衛門)が創始した魯山窯の地「大川内」(大川内町<以下略>)を離れたことがなく、自宅、工房、工場を兼ね備える「大川内」において祖父【H】を継ぎ(審判乙第10号証の1、2)、「当主」として生活をし作陶活動をしていた。昭和59年に自宅を大川内町<以下略>(魯山窯の登り窯の跡地)に移したが、その場所は「大川内」(大川内町<以下略>)の真前である(審判乙第11号証)。
現在、「大川内」(大川内町<以下略>)は、原告の経営する株式会社魯山藤右衛門窯の本店であり、展示場として用いられている(審判乙第12号証1ないし11)。
このように、魯山窯発祥の窯、工房、工場が存した「大川内」(大川内町<以下略>)を原告が承継したことからも、原告が祖父【H】の築いた「魯山窯」を承継したことは明白である。
(2)-1-8 原告は魯山窯承継後、昭和49年に至り六代目藤右衛門生存中にその七代目を襲名した(審判乙第13号証1ないし3)。その間、昭和42年7月水害により工場の一部が流出したため、第二工場建設計画が持ち上がり、第二工場を伊万里市<以下略>に建設し、昭和44年6月に至り【J】が代表取締役、原告、【F】(次男)が取締役となり、魯山窯の地「大川内」に有限会社魯山製陶所(被告補助参加人の旧商号)を設立し、同年12月、第二工場の地である伊万里市<以下略>に本店を移転した。【J】死亡後原告は昭和61年10月より平成7年4月まで右会社の代表取締役を勤めていた(審判乙第14号証)。
なお、原告は前記のとおり、被告補助参加人が設立されるまで「大川内」(乙<以下略>)において魯山窯又は魯山製陶所の名称でその代表者として陶磁器を生産・販売していた。
(2)-1-9 被告補助参加人の本店が伊万里市<以下略>に移転した後も「大川内」(大川内町<以下略>)は連綿と続く小笠原藤右衛門、【H】が創始した魯山の本拠地であった。そこで原告は昭和60年2月に至り、【J】生存中、藤右衛門、魯山の本拠地である「大川内」(乙<以下略>)に、今まで作陶家原告個人の窯、工房、工場であったものを法人組織にし、株式会社小笠原魯山藤右衛門窯を設立した(審判乙第15号証。現在の商号・株式会社魯山藤右衛門窯)。これは母【I】の遺言でもあった。原告が会社名を小笠原魯山藤右衛門窯としたのは、昭和17年ころより「大川内」(乙<以下略>)に魯山窯を築いた五代目藤右衛門(【H】)が「藤右衛門」であり、かつ「魯山」であり、いわば「小笠原魯山藤右衛門」ともいうべき実質を有していたため、その実質を会社名とし、その継承を形にするためでもあった。
(2)-1-10 原告が「大川内」(乙<以下略>)の地に小笠原藤右衛門だけでなく魯山をも称したことについて、父【J】その他小笠原一門から魯山名継承の件で紛議が起きることはなかった。それは原告が【H】の後継者であるということはすべての関係者の当然の了解事項であったし、既に原告は前記のとおり昭和37年に魯山窯を承継しており、【H】の血と共に自らに課した厳しい修練の日々によりその才能を開花させ、つとに原告の作品に対する社会的評価も高く、その技量は小笠原一門の余人の追従を許さず、その秀抜な感覚で鍋島焼の原点を極め、奥義への域に達しつつあるためであった。
(2)-1-11 被告補助参加人が社名として「魯山製陶所」を用い、その製品に商標として「魯山」を用いたのは、a. 原告が昭和37年に承継した魯山窯において昭和44年に至るまで「魯山窯」又は「魯山製陶所」という名称でその代表者であり、
その名称をそのまま取って会社名としたこと、b. 同会社が原告の父【J】の設立した会社であり、自身も設立当初より取締役となっていたこと、c. 原告自身が【J】死亡後は昭和61年10月より平成7年4月まで会社の代表取締役であったことなどから、原告が黙示的にその使用を容認していたためであった。
(2)-1-12 しかし、作陶家の号が本来個人に属するのは明らかで、本来原告に属する「魯山」号が前記(2)-1-11のごとき経緯で、たまたま被告補助参加人で商標として使用されていたのにすぎないのである。したがって、原告が同会社と無関係となった後まで「魯山」の名称を被告補助参加人に使用することを許諾していたわけではなく、原告が会社と無関係になれば、被告補助参加人は最早「魯山」の名称を用いることができないのである。すなわち、「魯山」という名称の陶芸品はその背後に七代目小笠原藤右衛門が存在していなくてはならないのである。
(2)-2 原告の意見 (2)-2-1 取消理由通知は「魯山」が被告補助参加人の会社代表者の代々名乗る陶工の称号であるというが、次のとおり事実誤認がある。すなわち、
(@) 魯山は、昭和17年以来【H】(第五代小笠原藤右衛門)が称していたのであり、当時被告補助参加人は存在していない。陶工の世界では、その号は一子相伝の系譜により奥義を極めた者が継承するのがしきたり、慣習である。よって、陶工の号は会社代表者が代々名乗るものとは考えられていない。
(A) 昭和37年に「魯山」の号を原告が承継してより、原告はその号、銘、商標を用いて個人的作陶活動に従事し又は窯物の生産販売を行ってきており、当業者間においては、「小笠原魯山」という号が被告補助参加人の事業主が代々名乗るものという認識はない。
(2)-2-2 取消理由通知は、「魯山窯」、「魯山」の文字(語)は被告補助参加人がその製品について使用する商標として、本件商標の登録出願時において広く認識せられたものと認定しているが、これも誤りである。
(@) 陶芸家の号は、陶芸家を称する名称であり、また、その作品に付される銘であり、かつ、かつ窯物(大量生産品)に使用される商標でもある。原告は、大川内の魯山窯を承継した昭和37年以来、「魯山」の号をその製作に係る作品、製品の銘として、また、商標として使用してきたものであって、被告補助参加人がその生産販売する陶磁器の商品表示として「魯山」を用いることから、「魯山」を被告補助参加人の商標とのみ理解することは事の経緯、事実を等閑視することになり、
「魯山」号に対する認識に誤りを招く結果となる。
このように、「魯山」の持つ意味合いからして「魯山」の商標の付された陶磁器が被告補助参加人で製造されたものとして本件商標の登録出願時周知の事実であるとの認識は誤りである。
(A) 原告(7代目小笠原藤右衛門)は、昭和37年に魯山窯を承継して以来、個人的作品及び窯物(大量生産品)に魯山の銘及び商標を使用していた。昭和39年には「魯山」の文字を「陰抱杏葉の図」で囲んだ商標(以下「魯山図形」と表示。)を考案し、これを魯山窯で製される作品、製品に使用していた。この考案の基となったのは、鍋島藩の家紋「抱茗荷」にあり、これをデフォルメしたものである。その時期は、実父【J】がいまだ経営に参画していない昭和39年であって、原告が「大川内」の魯山窯の代表として母【I】と共にその経営に当たっていた時期であり、被告補助参加人の設立より5年前のことである。
(B) 昭和44年、実父【J】と共に被告補助参加人を設立し、人脈づくりと販路の拡大に努めた。続いて昭和60年、株式会社小笠原魯山藤右衛門窯を設立し、
「魯山」、「藤右衛門」の承継を明確にしたが、この点について何人からも異議がなかった。次いで、昭和61年実父【J】の死亡に伴い、被告補助参加人代表取締役に就任し、以降平成7年に退任するまでの間、同社の再建に尽力した。被告補助参加人が審判甲第21号証(昭和63年から平成9年までの間の被告補助参加人の年間売上高金額に係る当該税理士の証明書)として示す業績は原告が同社代表取締役の時代のものであり、通商産業大臣賞を受賞したレモン絞り器を始め同社の社会的評価はそのほとんどが原告個人に帰せられるものである。
(C) 一方、原告は株式会社魯山藤右衛門窯を経営しており、この間もその代表取締役として、また、陶芸家として作陶活動に従事していた。そこで生産される陶磁器の包装紙、包装袋、木箱、栞には「魯山」、「魯山窯」、「魯山図形」、
「藤右衛門」の号が付されている。
そして、同社の本店(大川内町<以下略>)の看板には、日本礼道小笠原流(茶道)の家紋である「三階菱」に「魯山窯」、「藤右衛門窯」と併記されており、その暖簾には「藤右衛門」と「魯山」の両方を用いている。
被告補助参加人が被告補助参加人(有限会社魯山製陶所)を示すものとして提出した写真(審判甲第9号証の2)は、株式会社魯山藤右衛門窯の本店である。何故に同本店を有限会社魯山製陶所のごとく装ったか、その真意は図り兼ねるが何らかの作為的意図が推測される。
また、被告補助参加人は、テレビ放映により「魯山」の商標が全国的に周知著名になったと述べ、審判甲第99号証の1ないし3(テレビ放送のスポット写真9葉)を提出しているが、それらの写真の中には明らかに株式会社魯山藤右衛門窯の本店前等で撮影したものと認められるものがあり、したがって、テレビ放映により全国的に周知著名になったのは、むしろ、株式会社魯山藤右衛門窯の「魯山」である。
(D) 被告補助参加人は、「【J】」は伊万里市内の天神橋の側に自宅を有していて、この橋の親柱と欄干部分に自社製の陶板を張り付けたものが新聞報道され、伊万里市の新しい観光名所となっている旨主張するが、この天神橋のすぐ側にあるのは【J】の自宅ではなく、株式会社魯山藤右衛門窯の本店である。鍋島藩侯の「御用焼」として全国に名高い「大川内山」を訪れる観光客は年間13万人に及ぶが、これらのほとんどが陶板を張り付けた天神橋を訪れ、同時に株式会社魯山藤右衛門窯の本店を訪れるのである。株式会社魯山藤右衛門窯の本店が現在の建物になったのは昭和60年であるから、以来14年間延べ170万人の人が「魯山」、「藤右衛門」である株式会社魯山藤右衛門窯を訪れているのである。
また、伊万里市商工観光課、伊万里窯元市実行委員会、伊万里鍋島焼会館大川内山振興協議会の発行に係る各パンフレットには、「魯山窯」をいずれも天神橋の側の株式会社魯山藤右衛門窯として取り扱っており、この点からも株式会社魯山藤右衛門窯が「魯山」であり、「藤右衛門」として全国に周知著名になっているといえる。
よって、前記テレビ放映と相まち、株式会社魯山藤右衛門窯が「魯山」であり、
「藤右衛門」であることは全国に周知著名となっているというべきである。
(E) 株式会社魯山藤右衛門窯では、昭和63年から平成7年まで継続して郵政省の年賀はがきの三等商品とされ、その新聞報道の見出しは「魯山茶器」となっており、販売者は伊万里市<以下略>魯山・藤右衛門窯又は小笠原魯山藤右衛門窯(原告社長)となっている。これに伴い、全国より注文を受けて発送する発送品に同封する七代目小笠原藤右衛門のパンフレット及び栞に、「魯山図形」、「三階菱」、
「魯山藤右衛門窯」又は「魯山窯」とそれぞれ墨書きされている。これら新聞報道、商品販売・納入状況から、魯山藤右衛門窯が「藤右衛門窯」であり、「魯山窯」として、その製造に係る陶磁器の商標として「魯山」を用いることは全国規模で周知著名の事実となっている。
また、全国2万4000の郵便局に常備されている雑誌「ふるさと小包」全国版に、昭和62年より伊万里市<以下略>の小笠原魯山藤右衛門窯の陶磁器が掲載されている。前記各地の郵便局に常備されている同雑誌の発行部数は50万部あり、ゆうパック会員8万人を含め莫大な数の購読者(利用者)を考えるとき、小笠原魯山藤右衛門窯の陶磁器が全国の消費者に「藤右衛門」と同時に「魯山」のイメージを抱懐することは想像に難くない。
(F) 株式会社魯山藤右衛門窯は昭和62年4月より「色鍋島焼小つぼ」を佐賀駅国鉄売店より売り出し、これを報道する新聞記事(写真共)には、同製品と共にその包装箱に「魯山」の文字を含む「魯山図形」が用いられている。この様子は、当時NHKの郷土商品の掘り起こしとしてテレビ放映された。また、この「小つぼ」だけで売出時から平成3年までに約2万個が販売されている。これらの新聞報道、NHKのテレビ放映、実際の商品の販売状況等よりして、「魯山」が株式会社魯山藤右衛門窯の商標であることが全国的規模で周知著名になった。
(G) 昭和60年、原告が大川内の魯山の地で行った登り窯の窯開き、陶芸教室開校の様子等を報道する新聞、雑誌には、「七代目小笠原藤右衛門」、「小笠原魯山藤右衛門窯」又は「小笠原魯山・藤右衛門窯」として報じられ、それら報道写真には陶板装飾の天神橋からみた株式会社魯山藤右衛門窯の全景が掲載されていて、
その看板には明瞭に「三階菱」に「魯山窯」、「藤右衛門窯」が示されている。これら新聞雑誌報道により、広く読者をして株式会社魯山藤右衛門窯が「魯山」であり、「藤右衛門」であることを認識させ、その結果、「魯山」が株式会社魯山藤右衛門窯が製作、販売する商品に付する商標として周知、著名となった。
(2)-2-3 取消理由通知は、本件商標をその指定商品について使用した場合、
商品の出所について混同を生ずるというが、前記(2)-2-1、2に述べる各理由から、本件商標をその指定商品について使用することにより、被告補助参加人の業務に係る商品のごとく、商品の出所について混同を生ずるとはいえない。
(2)-2-4 原告意見の結論 「魯山」の名称は原告が大川内の「魯山窯」を祖父【H】より承継することにより原告が称する名称である。被告補助参加人が商標として使用していたのは前記(2)-2-1、2に述べる経緯、事情により「魯山」の継承者原告がその使用を許諾していたにすぎない。その許諾の意思のないことが明白な現在、被告補助参加人は「魯山」をその生産する商品の商標として使用し得ないのである。「魯山」の号はその継承者である原告がこれを排他的に使用し得るものである。本件商標の登録出願は、「魯山」号の正当継承者が「魯山」号の帰属を明確にするためになしたものである。
取消理由通知に事実誤認があること前記(2)-2-1、2に述べたとおりであるから、本件商標の登録は取り消されるべきでない。
(3) 決定の判断 (3)-1 商標の保護目的について 商標法の法目的は、商標を保護することにより、商標を使用する者の業務上の信用の維持を図り、もって産業の発達に寄与し、あわせて需要者の利益を保護することにある(同法1条)。
商標を使用する者は、大量の商品に一定の商標を付して継続的に使用することによって、業務上の信用を獲得するものであるが、この信用は有形の財産と同様に経済的価値を有する。したがって、商品の製造業者又は販売業者は絶えず自己の商品について使用する商標に関し、細心の注意を払い、不正な競業者が自己の商標と紛らわしい商標を使用して自己の商品と混同を生ぜしめるような行為を排除しようとする。このような不正な競業者の不正な行為に対する法規として、不正競争防止法(平成5年法律第47号)及び商標法が存在するのである。
商標を保護することは、結局一定の商標を付した商品は必ず一定の出所から供されるということを確保することである。また、消費者の側からすれば、過去において一定の商標を付した商品を購入し満足感を得た後、再び同じ商品を購入するつもりで特定の商標を目印として購入したところ、購入した商品は当初のものとは全然出所が異なっていたとすれば、当該消費者の利益は害されることとなるから、一定の商標を使用した商品は一定の出所から供されるという取引秩序を維持することは、ひいては消費者等の利益保護になると同時に、このような商品の取引秩序の維持を通じて産業の発展にも寄与するものといえるのである。
したがって、仮に、過去の一定時期又は一定期間において一家、一族縁者等がその生産に従事する特定の商品についてその出所を示す標識として使用し、かつ、需要者間においてその旨認識せられている特定の標章(商標)をある時を境に一族中の特定の者が自己の商標権としてその独占使用を企図した場合、もとより、商標権は全国単一の権利であってその効力はわが国の全域に及ぶ権利であるから、当該商標を他の者が使用することは事実上困難となり、それまで一家、一族が生業としていた事業に支障を来し、当該商標の上に培われた業務上の信用は一気に損なわれ、
また、当該商標を目印に取引指標としていた需要者の利益及び当該商品の取引秩序をも損なう結果となる。
かかる事態を招来することは、もとより商標法の予定するところでなく、前記法目的に反するものといわなければならない。
そして、商標法4条1項15号の規定は、他人の業務に係る商品等と混同を生ずるおそれがある商標、すなわち、当該他人に係る商標が取引者、需要者間において広く認識されている商標があった場合にこれと取引上紛らわしく需要者がその出所等について混同を来す可能性のある商標については、その登録を認めない旨定めた条項であって、この趣旨は前記商標法の法目的と全く同趣旨のものと解されるのである。
(3)-2 決定の認定事実 審判甲各号証及び審判乙各号証よりして、以下の事実が認められる。
(3)-2-1 「魯山」又は「小笠原魯山」商標の由来について 「魯山」及び「小笠原魯山」の文字より成る標章は、先の大戦(第二次大戦)の前後のころに、商標権者(「原告」)の祖父である【H】(昭和31年没)が佐賀県伊万里市<以下略>の地において最初に築いた「窯」を「魯山窯」と命名し、そこで製する自己の製造に係る陶磁器の銘又は商標として使用したものであり、また、
【H】は代々「小笠原藤右衛門」の称号を名乗る陶工家であり、同人は第五代小笠原藤右衛門として周囲に知られる者であったことが認められる。また、【H】には男子がなく、その三女「【I】」と婚姻・養子縁組にて入籍した【J】(旧姓「〇〇」)が【H】没後の「魯山窯」及び後述魯山製陶所の事業運営に大きく関わっていたことが認められる。
そして、原告(商標権者)は、【J】・【I】の長男であり、後述【F】は同次男と認められる。
この「魯山窯」に中心的に関わった歴代の経営者は代々「小笠原魯山」と呼ばれ、また、そこで製される陶磁器には「小笠原魯山」又は単に「魯山」の銘又は商標が使用されていたことから、当時より「小笠原魯山」又はその略称ともいうべき「魯山」の称号は、陶工家「小笠原藤右衛門」の通称(別称)として、また、「魯山窯」より製される陶磁器を表彰する代表的出所標識としてその機能・役割を果たしてきたものと認められる。
(3)-2-2 「有限会社魯山製陶所」の設立について 「魯山窯」の事業所活動に関する戦後の昭和20年代から30年代にかけての状況、
特に【H】が昭和31年に没して後の「魯山窯」の事業体制(【H】没時の原告の年齢は13才と推定される。)ないしはその事業内容・事業規模等については必ずしも明らかでないものの、当時はいまだ会社組織がなく、前記大川内の「魯山窯」(大川内町<以下略>)を事業基盤として、当初は【H】及び【J】を中心として、また、【H】没後は【J】及び原告等を中心に小規模事業所として「魯山製陶所」の名称の元に営業を行っていた状況がうかがわれる。
その後、大川内の魯山製陶所は昭和42年に大水害に被災したが、この間、第二工場を伊万里市<以下略>の地に建設し、次いで、昭和44年6月、被告補助参加人(当初の商号・有限会社魯山製陶所)を当初大川内町の地(大川内町<以下略>)に設立し、その後被告補助参加人は伊万里市<以下略>の地に変更したことが認められる(審判甲第3号証及び審判乙第14号証)。
被告補助参加人は、陶磁器の製造・販売を業とする製陶会社であり、当初、代表取締役に【J】が、取締役として原告、【F】がそれぞれ就き、その後関係者の死亡、辞任等の変転を経て、平成7年4月末以降現在まで【F】が代表取締役に就いており、平成9年4月社名を現在のものに改称した。
この間、原告自ら昭和61年10月から平成7年4月に退任するまでの約9年間、代表取締役の任に就いていたことが認められる。また、【J】は当時を含め昭和59年までその住所地を伊万里市<以下略>としていたことは原告も認めるところであって、
一族がそろって大川内の「魯山窯」を生活基盤としていたことが認められる。
(3)-2-3 魯山商標と被告補助参加人との関係について 魯山商標は、その構成をそれぞれ別紙A、B及びCに示すとおりとするものである。
魯山製陶所(会社設立前の事業所)は、昭和26年10月、地区の肥前陶磁器商工協同組合に加入した当時から同40年前後のころより「小笠原魯山」(別紙A)、「魯山」(別紙B)の各商標及び抱茗荷(紋章)の図中に「魯山」の文字を表して成る商標(別紙C)(以下、これら魯山に係る商標を一括して「魯山商標」と表示。)を同製陶所にて製される陶磁器の出所標識(商標)として用いており、その後被告補助参加人を興して後現在に至るまでの間、一貫してその営業表示としてあるいはその製造に係る製品の商標として用いてきたことは、肥前陶磁器商工協同組合発行の当該証明書(審判甲第10号証の1)、佐賀県物産振興協会佐賀支部発行の当該証明書(審判甲第16号証)、伊万里市観光協会発行の証明書(審判甲第18号証)により認められるところであり、また、魯山商標が付されて販売されていた状況は、審判甲第5号証ないし審判甲第7号証(被告補助参加人に係る昭和53年、同60年及び平成2年発行の商品カタログ)、審判甲第9号証の1ないし同7(被告補助参加人に係る商品の包装用木箱の写真又は同包装用紙、同袋、同栞の現物見本)等より、認めることができる。
(3)-2-4 魯山商標の著名性について 以下の各認定よりして、魯山商標は、被告補助参加人の業務に係る食器、花瓶その他の陶磁器製品を表示するものとして、本件商標の登録出願時である平成7年当時において、取引者、需要者間において広く認識せられたものと判断するのが相当である。
(@) 魯山商標が被告補助参加人の設立前より一貫して被告補助参加人の設立前よりその営業表示としてあるいはその製造に係る製品の商標として使用されてきたこと、また、その具体的な使用状況等については、前記(3)-2-3に認定したとおりである。
そして、「魯山」商標が積極的に使用され周囲の同業者、商社又は取引者、需要者間に広く知られるに至った転機とみられる時期は、被告補助参加人が設立され、
被告補助参加人が同地区の同業者組合と認められる「伊万里陶磁器工業組合」に加入した昭和44年12月と認められ(審判甲第13号証)、以降、昭和50年代半ばにかけて漸次製陶関連各組合及び関連商社組合に加入し、当該製品の認知並びに販路拡大へと事業活動を展開してきた状況は、審判甲第12号証(大有田焼振興協同組合発行の当該証明書)、審判甲第14号証(伊万里焼工業協同組合発行の当該証明書)、審判甲第15号証(伊万里鍋島焼協同組合発行の当該証明書)、審判甲第17号証(伊万里商工会議所発行の当該証明書)及び審判甲第125号証(有田焼直売協同組合発行の当該証明書)の各文面より十分推認し得るところであり、また、当時の会社代表者であった【J】が積極的にこれら事業組合、協会、商工会議所及び観光協会等に会員加入し、被告補助参加人の事業展開ないしは被告補助参加人製品の周知活動を行った状況がうかがわれる。
(A) 被告補助参加人の製品売上高は、昭和63年から平成9年中途までの約10年間、毎年1億8千万円から2億円位の幅で推移していることが認められ(審判甲第21号証)、この金額よりして毎年相当量の製品が市場の流通に供されたことを示しており、かつ、この販売実績よりして、被告補助参加人に係る魯山商標の知名度は、この間はもとよりそれ以前においても相当程度に高まっていたことを十分推認させる。
(B) さらに、審判甲第11号証の1(佐賀県陶磁器工業協同組合発行の当該証明書)は、『被告補助参加人は当組合の発行に係る「組合員並登録商社名簿」の平成2年から同9年までの間、一貫して商標を「魯山」として掲載しており、このことは窯元はもちろん、取引商社間において、商標「魯山」を付した製品は被告補助参加人に係る製品として認識し得るほどに周知され現在に至っている』旨の文面による証明書であって、魯山商標に対する当業者の認識及び当該製品の取引事情を示すものとして注目される。すなわち、被告補助参加人の製品の大半は被告補助参加人が加入する組合又は商社を通じて市場の流通に供されてきた状況を理解することができる。
この点に関し被告補助参加人が陶磁器販売に関する特殊事情として述べる、佐賀県、長崎県(肥前地区)の窯元・商社の組合化及びその組織活動等の制約事情よりして、被告補助参加人が独自に製品販売し又は宣伝・広告を行うことは極めて困難であった状況がうかがわれる(審判甲第19号証、審判甲第20号証)。そのため被告補助参加人は、次に述べる各種展示会、作品展への出品等により極力当該製品の周知活動に努めてきたことが認められる。
(C) 被告補助参加人が昭和50年代、同60年代及び平成年代の初期から最近に至るまでの間、関連商社等と提携するなどして九州及び国内各地で開催された陶磁器関連の各種展示会、業界関連審査会又は同作品展に出品し、魯山商標の周知活動を積極的に図り、かつ、当該製品が数々の受賞・評価を得、陶磁器に関わる当業者ないしは取引者、需要者間において広く認識せられるに至った状況は、審判甲第36号証ないし審判甲第43号証の2に示される当該展示会の案内書(状)、同出品者名簿、同目録、同写真、同検査委員会記録、同新聞報道記事(各写し)並びに審判甲第22号証の1ないし審判甲第30号証の2に示される当該審査会又は作品展の推薦状、同表彰状、同出品パンフレット、同新聞報道記事(各写し)より認め得るところである。
これらの中には、昭和61年西武百貨店池袋店で行われた全国伝統的工芸品展、同年銀座松屋における伊万里焼展への出品、同年東京丸の内佐賀県物産観光東京センターで開かれた伊万里焼展への出品、さらには、昭和40年代初頭のころ、日本橋三越に取引業者登録し、同本・支店で開催された「魯山展」に出品するなど(審判甲第44号証、審判甲第110号証)、既に東京地区においても展示・出品活動をしばしば行っていたことが認められる。
就中、昭和62年に被告補助参加人の考案・作成に係る「レモン絞り(器)」が全日本中小企業貿易振興協議会主催の第28回全日本中小企業総合見本市〈日本トレードフェア〉において全国一万四千点の中で最高の通商産業大臣賞を受賞し(審判甲第27号証の1)、当時の被告補助参加人社長(原告)が伊万里貿易【K】代表と共に受賞の栄誉に浴したことが当時の読売新聞等により報道され(審判甲第28号証の1、2)、また、同製品が肥前陶磁器工業協同組合連合会主催の業界審査会と認められる意匠登録審査委員会において所定の審査を受け、同登録品として登録・公示されたこと(審判甲第27号証の2及び3)等の事柄は、窯元としての被告補助参加人の名声並びに魯山商標の知名度を高める上で特筆すべき出来事であって極めて効果的であったことを推測させるものである。
(D) 被告補助参加人に係る「魯山」又は「小笠原魯山」製品の知名度が国内の不特定多数の一般需要者又は特定事業者に及んでいたであろうことは、例えば、
a. 昭和63年に被告補助参加人に係る「菊割り高台小鉢」が郵政省のお年玉付き年賀はがきの三等賞商品に指定され、全国の希望者に配送されたこと(審判甲第34号証) b. 平成5年被告補助参加人(原告社長)と東京都港区<以下略>所在の「世界義勇消防連盟」(【L】総裁)との間において締結されたモニュメント及び壺に関わる受注契約書及びその納入(審判甲第31号証) c. 昭和62年に関係商社を通じてホテルオークラ(東京)に所定の製品を納入したこと(審判甲第35号証) d. 昭和58年、東京佐賀県人会会員名簿に広告掲載されたこと(審判甲第46号証) e. 1994年に日産ディーゼルショッピングクラブ、九州住特サービス及び酪農家向け月刊雑誌「DailyJapan」の各カタログ製品に採用され、1995年からは三菱自動車のカタログ製品に採用されたこと(審判甲第47号証ないし審判甲第57号証) f. 直接販売も一部行っていたこと(審判甲第35号証、審判甲第60号証の1ないし同9) 等の状況よりみて十分推認し得るところである。
(E) また、被告補助参加人に係る「魯山」又は「小笠原魯山」製品がテレビ・新聞等のマスコミの取材、報道及び関連情報誌・書籍等によっても国内の不特定多数の者に知らしめられたであろうことは、例えば、
a. 1987(昭和62年)年1月テレビ朝日放送及び関連全国ネットワークによる「独占女の60分」なるテレビ番組による放映(審判甲第99号証) b. 被告補助参加人初代社長【J】により被告補助参加人製の陶板で装飾を施した大川内町の天神橋が観光客に好評である旨を報ずる昭和59年11月14日付毎日新聞及び同59年10月31日付朝日新聞記事(審判甲第100号証の1、2) c. 平成6年3月14日付及び同年6月21日付日本経済新聞において、「株式会社いまり」が代理店募集の対象を伊万里の名窯「魯山窯」として募集広告していたこと(審判甲第101号証の1、2) d. 財団法人地域活性化センター昭和61年発行「ふるさとの特産品・佐賀県」、伊万里商工会議所創立40周年記念名鑑(1988年発行)、佐賀新聞社1988年発行佐賀県会社総覧、株式会社帝国信用協会昭和57年・同59年発行帝国商工信用録、その他の印刷物に被告補助参加人が収録・掲載され、事業内容等が紹介されていること(審判甲第104号証の1ないし審判甲第109号証の4) 等の状況よりみて十分推認し得るところである。
(F) 被告補助参加人の名声及び「魯山」又は「小笠原魯山」製品の販路拡充ないしは著名性の獲得に関し、初代社長【J】が大きく寄与したであろうことは、
同人が事業の傍ら陶磁器業界や伊万里焼の窯元の集密する大川内山の振興並びに伊万里市の振興に尽力し、また、加入各団体において熱心に活動し、理事、理事長、
副会頭等の要職を歴任したこと、特に、同人が昭和61年に伊万里商工会議所副会頭に就き地域の商工業の振興に尽力したことが当時の新聞(西日本新聞、読売新聞ほか)により、その出身母体である被告補助参加人に係る会社名と共に報道されたことよりして、十分推認し得るところである(審判甲第2号証の2、審判甲第64号証ないし審判甲第66号証)。
また、【J】及びその意志を引き継いだ被告補助参加人は、障害者雇用、労働衛生、公園整備、寄進その他社会活動に熱心に取り組んでいた状況が見受けられ(審判甲第68号証ないし審判甲第85号証)、それら活動を通じても被告補助参加人の社会的地位に貢献した事情が認められる。
さらに、【J】は、伝統的工芸品産業振興協会の「伊万里・有田焼」伝統工芸士認定産地委員会委員としての委嘱を受け、これを機に被告補助参加人の伊万里焼を伝統産業として振興すべく同協会の賛助会員として加入し、伝統マークの使用が承認されたこと、そして、引き続き、前記委員会委員の委嘱を受け、これらの功績によって昭和60年度の伝統的工芸品産業功労者褒賞を受賞し、同受賞の祝賀会では通商産業大臣、運輸大臣ほか関係各界から祝辞・祝電を受けたこと等の事柄は、同人の伊万里・有田焼産業への功労を示すとともに、被告補助参加人の存在を周囲に認知させ得たものとして注目される(審判甲第87号証ないし審判甲第98号証)。
特に、同人の伝統的工芸品産業功労者褒賞の受賞及び同祝賀会のニュースが当時の朝日新聞、西日本新聞及び佐賀新聞等で報じられたことは、当時の関連事業者のみならず一般の購読者に注目され、被告補助参加人の知名度の向上並びに魯山商標の著名性の獲得に直接、間接に大きく寄与したであろうことを推認するのに十分である。
(3)-2-5 原告の意見について 本件商標は、被告補助参加人による使用及びその事業活動により著名性を獲得した魯山商標と紛らわしいものであること明らかであり、かつ、その指定商品中に食器類、容器類、花瓶及び看板等、陶磁器に関連する商品を多数包含し、また、それら以外の商品についても、ともに日用、雑貨品である点において需要者を共通にする場合が多いといえるものであるから、結局、原告による本件商標の登録は商標法4条1項15号に違反してされたものであって、その登録を取り消すべきものとした先の取消理由通知は妥当なものといわなければならない。
これについて述べる原告の意見は、以下の理由により採用することができない。
(@) 原告は、取消理由通知が「魯山」を被告補助参加人の会社代表者の代々名乗る陶工の称号であるとした点に事実誤認がある旨述べているが、(3)-2-1において認定したとおり、「魯山」又は「小笠原魯山」の銘又は魯山商標は、原告の祖父である【H】(昭和31年没)が伊万里市<以下略>に築いた「窯」の名称(「魯山窯」)に由来し、同人が始祖伝来の称号である「小笠原藤右衛門」とは別個にその称号とし、また、その製造・販売に係る陶磁器の銘又は商標として用いたのが最初である。
原告は、魯山又は小笠原魯山の号は一子相伝の系譜により継承されるべき固有の陶工家の称号である旨主張するが、小笠原藤右衛門の称号であればともかく、「魯山」の名称は元々故人が中国に存する山の名称にちなんで命名した事情に示されるように、格別由緒・来歴が存するものでなく、かつ、その最初の使用は先の大戦の前後のころであって比較的歴史が浅く、これら状況よりして魯山又は小笠原魯山の称号は小笠原藤右衛門の称号とはやや性格を異にし、一子相伝の系譜により継承されるべき一族・一門に固有の称号というよりは(将来共その可能性を否定するものではない。)、むしろ、陶工家「小笠原藤右衛門」の通称(別称)又はその事業基盤とする魯山窯の呼称名として、あるいは、その窯元にて製される陶磁器の銘又は商標として機能し通用していたものとみるのが相当である。
取消理由通知がその前段において、「魯山」又は「小笠原魯山」が被告補助参加人の代表者の代々名乗る陶工の称号であるとした点については、被告補助参加人の代表が関係者の死亡、交代等により度々交代を繰り返していた状況よりして(審判甲第3号証)、一概に会社代表者と陶工家の称号とを同列視した点必ずしも適切でないとしても、本件の場合、陶工家としての魯山又は小笠原魯山の称号の帰属が問題とされているわけではなく(被告補助参加人は、この点に関し何ら主張していない。)、後述するように、被告補助参加人が自己の商標として使用していた魯山商標の著名性及びその使用主体ないしは権利の帰属が問題なのであって、結果的に、
これら陶工家の称号にまつわる事柄は副次的事情であって、その当否が直接本件の審理判断に影響を及ぼし得るものとはいえないから、この点に関し取消理由通知の誤りを述べる原告の意見は採用することができない。
(A) 原告は、原告が大川内の魯山窯を承継した昭和37年以来、「魯山」の号をその製作に係る作品、製品の銘、商標として使用してきたものであるとして、魯山商標を被告補助参加人のみが用いる商標と理解し又はこれが被告補助参加人の製造に係る製品の商標として周知とする取消理由通知の認識は誤りである旨意見を述べているが、被告補助参加人が昭和44年の設立以来、現在に至るまでの約30年間、
一貫してその製造、販売に係る陶磁器に魯山商標を使用してきたことは原告も認めるとおり周知の事実であって(原告自身、被告補助参加人設立時の取締役に任じ、
その後も昭和61年某月から平成7年某月まで代表取締役に就いていた。)、このほか被告補助参加人の設立から現在に至る間の魯山商標に係る事業展開の状況等は、(3)-2-2、3、4において認定したとおりである。
そして、終戦後から被告補助参加人設立前の「魯山窯」の生業及び魯山商標の使用状況は、大川内町の「魯山窯」を事業基盤として、小笠原家の一族縁者により運営されてきたこと、当時はいまだ小規模事業所の域を出るものでなく、当時の「小笠原魯山」又は「魯山」の称号又は魯山商標の知名度はいまだ周辺地域にとどまっていたものというべきであり、むしろ、その後設立された被告補助参加人により、
事業組合活動、商社組合加入及び各種展示会への積極的な出品活動等を通じて、急速な販路拡大につながったものとみるのが相当であるから、当時の原告等による「小笠原魯山」又は「魯山」の称号又は魯山商標の使用をもって、その後に形成された魯山商標の著名性に大きく関わっていたとみるのは妥当でなく、したがって、
この点について述べる原告の意見は採用の限りでない。
また、この間、原告が陶工家「小笠原藤右衛門」又は「小笠原魯山」として独自に作陶作業をしあるいは研究活動を行っていた事情は認め得るとしても、その作陶又は研究事業を自らの生業となし、別個独立の事業として運営していたのかどうかの点は全く不明であって、その経営上の収支等を示す証左は何ら見いだすことができないから、当時の原告による「小笠原魯山」又は「魯山」の称号の使用をもって、魯山商標の知名度の獲得に大きく関与したということはできない。
この点について原告は、作陶家の号は本来個人に属するもので原告に属する「魯山」号がたまたま被告補助参加人で商標として使用されていたにすぎない旨述べているが、本件の場合、陶工家としての小笠原魯山又は魯山の称号は一子相伝の系譜により継承されるべき一族・一門に固有の称号とまではいい得ないものであること前示したとおりであって、該名称又は魯山商標が原告一身に帰属すべきものとする特段の事情は有しないというべきであり、したがって、この点について述べる原告の意見は採用することができない。
さらに、原告は、別途株式会社小笠原魯山藤右衛門窯(以下「別会社」と表示する場合、この会社を指す。)を設立し、「小笠原魯山」又は「魯山」の称号の名声獲得等に寄与した旨意見を述べているが、当該別会社が昭和60年2月に設立され、現在原告が代表取締役に任ずる者であること(審判乙第15号証)以外、その事業運営の状況等(事業の収支状況等)は全く明らかでなく、その実体は不明というほかはないから、別会社の存在をもって原告が魯山商標の知名度形成に深く関わっていたとする点はにわかに認め難い。
(B) 原告は、被告補助参加人設立前の昭和39年に「魯山」の文字を「陰抱杏葉の図」で囲んだ商標(別紙C)(以下「魯山図商標」と表示。)を考案し魯山窯で製される作品、製品に使用していた旨述べているが、著作権の帰属については別途所定の法域において論じられるべき事柄であり、また、たとえ魯山図商標が原告の考案に係るものであるとしても、これを含む魯山商標が被告補助参加人の事業運営と密接に関連し、その事業展開と共にその著名性を醸成してきたものであること前記認定のとおりであるから、当初の一定期間、魯山図商標を使用したことをもって直ちに原告個人に帰属すべき固有の商標とすることはできない。
(C) 原告が昭和44年に実父【J】と共に被告補助参加人を興し、被告補助参加人製品の販路の拡大に努め、また、昭和61年実父【J】の死亡に伴って被告補助参加人代表取締役に就任し、被告補助参加人の年間売上高(審判甲第21号証)に示されるような業績に寄与し、さらに通商産業大臣賞を受賞したレモン絞り器等の製作に関与していた旨意見を述べているように、仮にそれら主張が事実であって、その間の被告補助参加人における原告の果たした役割が大なるものであったとしても、それら業績は被告補助参加人の事業運営の一環として評価されるべき事柄であって、製陶の生業を会社組織として運営する以上、その成果物は一義的に被告補助参加人に帰属すべきものであるから、この点、原告も被告補助参加人の発展及び魯山商標の知名度形成に一定の役割を果たしたものといえるとしても、それ以上にそれら業績がすべて原告個人に帰すべきものとするのは適切でなく、むしろ、社会一般の道義に反するものといわなければならない。
(D) 原告は、同人の経営に係る別会社の本店(大川内町<以下略>)の看板には「魯山窯」、「藤右衛門窯」と併記し、その暖簾にも「藤右衛門」と「魯山」の両方を用いていた旨述べているが、別会社の本店所在地は、元々、魯山窯に関わる一族縁者が生計を共にし、魯山窯ないしは小笠原家一族の生地ともいうべきゆかりの地であり、かつ、被告補助参加人設立時の会社所在地が同地であったように、
被告補助参加人存立の起点として、また、所在地変更後は被告補助参加人事業に包括される活動基盤の一方の拠点として存在したとみるのが相当である。
すなわち、被告補助参加人設立後、別会社設立の昭和60年までの16年間は、ちょうど原告の実父でありかつ当時の被告補助参加人代表者であった【J】が活発に事業活動を展開していた時期(前記(3)-2-3)と付合し、この間の特筆されるべき【J】の活動振りとは対照的に原告の社内における所管業務等社内事情は確然とせず、専ら自己の陶工家活動に関わる事情を述べるのみであってみれば、この間の原告の被告補助参加人への関わりを示す具体的状況は不明というほかはなく、また、
その陶工家活動と魯山商標の知名度形成との関係は必ずしも緊密なものであったとは認め難い。
これら事情よりして、たとえ、原告が後に該地を別会社の本店所在地とし、また、その事業所の看板に「魯山窯」、「藤右衛門窯」の各表示をしあるいはその暖簾に「藤右衛門」、「魯山」の各表示を用いていたとしても、それら表示に接する当業者又は取引者、需要者は、既にそれまでの間、被告補助参加人又は【J】らを中心に培われた被告補助参加人の事業全体を表彰する営業標識として、あるいは小笠原家一門の事業基盤(原告及び【J】らは昭和59年まで同地で生計を共にしていた)として認識し理解したであろうことを推認するのに十分であるから、前記各表示をもって直ちに原告独自の営業表示とみるのは妥当でなく、したがって、この点を述べる原告の意見は採用の限りでない。
これに関して、原告は、被告補助参加人が被告補助参加人(有限会社魯山製陶所)を示すものとして提出した写真(審判甲第9号証の2)及び魯山商標がテレビ放映により全国的に周知著名となったとして提出したテレビ放送のスポット写真(審判甲第99号証の1ないし同3)は、いずれも株式会社魯山藤右衛門窯の本店であるとして疑義を述べているが、前記客観的事情よりして、被告補助参加人の作為的意図によるものとは断じ得ない。
同じく、【J】がその自宅近くの伊万里市内の天神橋に自社製の陶板により装飾を施した旨を報ずる昭和59年10月及び同11月の毎日新聞、朝日新聞の各記事(審判甲第100号証の1及び2)に対して、天神橋の近くにあったのは【J】の自宅ではなく別会社であり、同地はその本店所在地として伊万里市の新しい観光名所となった旨述べる原告の主張は、別会社の設立が前記新聞報道後であること等当時の状況を正確に述べるものでなく、かつ、【J】は昭和59年まで同地(大川内町<以下略>)を自宅としていた事情も併せ考慮すれば、大川内山を訪れる観光客が年間13万人に及びそのほとんどが陶板を張り付けた天神橋及び別会社の本店を訪れているとしても、その実体は、むしろ被告補助参加人の製陶事業を基盤に醸成された業務上の信用の上に成り立っているとみるのが相当であって、それら状況を直ちに原告独自の事業活動の成果物とするのははなはだ疑問であって、これらの点について述べる原告の意見は採用の限りでない。
(E) 原告は、伊万里市商工観光課、伊万里窯元市実行委員会、伊万里鍋島焼会館大川内山振興協議会の発行に係る各パンフレットには、「魯山窯」をいずれも天神橋の側の株式会社魯山藤右衛門窯として取り扱っている旨述べているが、それらパンフレットは原告が本件商標の権利取得後である平成8年以後に発行されたものか、若しくは発行年月の不明なものであって、その頒布部数も不明といわざるを得ないから、それ以前の約30年にわたる被告補助参加人による魯山商標の醸成過程よりして、極く最近のそれら印刷物の配布をもって直ちに魯山商標が別会社に係る「魯山」として全国に周知著名になったとすることはできない。
(F) 原告は、別会社では昭和63年に郵政省の年賀はがきの三等賞品に指定されて以降、平成7年まで継続して採用され、その新聞報道の見出しは魯山茶器となっており、販売者は伊万里市<以下略>魯山・藤右衛門窯又は小笠原魯山藤右衛門窯(社長・原告)となっている旨述べているが、この原告の所業は、自身の被告補助参加人代表者としての立場を忘れた背信行為であって経営者としての信義を疑わせるものといわざるを得ない。
すなわち、前記期間はちょうど原告の実父【J】の没後間もない時期に原告が故人に代わって被告補助参加人の代表取締役に就き被告補助参加人の事業運営全般を預かるとともに、その直前の昭和62年に被告補助参加人の考案・作成に係る「レモン絞り(器)」が全日本中小企業総合見本市〈日本トレードフェア〉において、被告補助参加人代表として関係商社代表と共に通商産業大臣賞を受賞し各界の注目を集めたこと(審判甲第27号証の1)等の事情よりして、前記大臣表彰の栄誉及び郵政省の三等賞品指定の業績は、それまで被告補助参加人又は先代【J】社長を中心に営々と築かれた被告補助参加人の事業活動全体の評価として享受すべき事柄であって、これを全く自身の個人的功労とするごとき原告の独断専行は、それ自体、被告補助参加人の経営基盤を危うくするばかりでなく、魯山商標に培われた被告補助参加人の業務上の信用をも失墜させ、さらに、被告補助参加人と取引関係にある関連事業組合、商社等関連事業者との信頼関係を損ねるものであり、ひいては、需要者一般ないしは社会一般をも欺瞞し、それまでの取引慣行又は取引秩序を阻害するものといわなければならない。
よって、この点について述べる原告の意見は、魯山商標に係る社会的実勢を無視した意図的、作為的所業というべきものであるから、郵政省の年賀はがきの三等賞品に指定された製品が別会社に係る製品であることをもって直ちに魯山商標の帰属又はその業務上の信用が別会社に存するものということはできない。
(G) また、原告は、全国2万4000の郵便局に常備されている雑誌「ふるさと小包」全国版に、昭和62年より伊万里市<以下略>の小笠原魯山藤右衛門窯の陶磁器が掲載されている旨意見を述べているが、前述(F)と同様の理由により、魯山商標に係る社会的実勢を無視した作為的所業というべきものと認められる。したがって、たとえ同雑誌の発行部数が相当量のものであるとしても、その点のみをもって直ちに魯山商標の帰属又はその業務上の信用が別会社に存するものということはできない。
(H) このほか述べる原告の意見、すなわち、別会社による昭和62年の佐賀駅国鉄売店での製品販売、広告用パンフレットの頒布活動あるいは原告による昭和60年の登り窯の窯開き及び陶芸教室開校の宣伝活動その他独自の事業活動並びに関連するテレビ・新聞報道等の状況は、それら活動により原告が独自の生業として行うものであったかどうかの点が不明なこと前記認定のとおりであるから、それら活動をもって直ちに魯山商標が原告又は別会社による事業活動とは認め難く、むしろ、被告補助参加人が前記商社組合等との関係上、独自の広告・販売活動が制約を受ける中、積極的に展示会への参加、出品等に傾注した具体的状況に比してその実体は極めて脆弱なものであったことを推測させる。
(4) 決定の結語 本件商標は、当初原告の実父である【J】及び原告ほか小笠原家の一族により昭和44年に設立された被告補助参加人により当初から現在に至るまでの間一貫してその製造・販売に係る陶磁器を表示するものとして使用され、この種商品の取引者、
需要者間において広く認識せられるに至ったものと認められる。
そして、取消理由通知の認定の誤りについて述べる原告の意見は、陶工家としての立場を正当化し又は被告補助参加人の事業実績を軽視しあるいは魯山商標の知名度形成を自己の陶工家活動によるものと誤信し強弁するものであって、該主張を客観的に認め得る証左は見いだせないから、いずれも採用の限りでなく、したがって、先の取消理由通知は撤回することができない。
また、原告の主張にみられる被告補助参加人に対する意図的・作為的行為は、魯山商標に蓄積された被告補助参加人に係る業務上の信用を阻害するおそれが大であり、かかる混同惹起行為は、商品の取引慣行、流通秩序を混乱させること必定であって、前示(3)-1に述べる商標法の法目的に照らし容認することができない。
以上に示したとおり、本件商標は商標法4条1項15号に該当し、その登録は同法条の規定に違反してされたものといわざるを得ないから、同法43条の3第2項により、
これを取り消すべきものとする。
原告主張の決定取消事由
決定は、「本件商標は、「小笠原魯山」の文字より成るところ、陶磁器の製造・販売に関わる当業者間において、「小笠原魯山」は、佐賀県伊万里市所在の被告補助参加人ないしその前身である「有限会社魯山製陶所」の会社代表者(事業主)が代々名乗る陶工の称号と認められる。また、同称号の略称であり、同窯元の呼称名である「魯山窯」、「魯山」の文字(語)は、被告補助参加人がその製品について使用する商標として、本件商標の登録出願時において、陶磁器に関わる当業者・需要者間において、広く認識されたものと認められる。そして、本件商標は、その指定商品中に食器類、容器類、花瓶、看板等、陶磁器に関連する商品を多数包含するものである。そうとすれば、本件商標をその指定商品について使用した場合、これに接する取引者、需要者は、被告補助参加人の業務に係るものであるかのごとく、
商品の出所について混同を生ずるおそれがあるといわざるを得ない。」と認定、判断しているが、以下に述べる事実関係により誤りであり、これに基づいて本件商標登録を取り消すべきものとした決定は取り消されるべきである。
1 名跡継承者としての原告の立場 (1) 「魯山」号を創始した【H】は、1700年代中期より、連綿と継承された一子相伝の系譜を持つ九州佐賀藩の「御用暁」小笠原藤右衛門の五代目であり、原告はその七代目である。六代目は、原告の父・【J】であり、父【J】が祖父【H】の「魯山」号を承継したと同様、血脈相続の系譜により、原告が「小笠原藤右衛門」の名跡を継承するとともに、父【J】の生前称していた原告の祖父【H】の創始に係る「魯山」号も継承されるのが、陶工の社会の当然の習わしである。
原告は、祖父【H】からこれを継ぐものとしての意を込め【A】と名付けられ、
幼少時から「小笠原藤右衛門」名跡の継承者として格別の取扱いを受け、陶工として厳格な修練の日々のうちに成育した。このようにして原告は、長ずるに作陶の技量衆を抜き、小笠原一門の余人の追従を許さず、秀抜な感覚で鍋島焼の原点を極め奥義への域に達した。原告の秀抜な作陶技量に加え、作陶家の名跡についての一子相伝の陶工社会の掟により、原告は、年少時から周囲より「小笠原藤右衡門」及び「魯山」の継承者として遇され、名跡継承者を「当主」、「頂点」として一門一族が形成されて、原告自身もかかる名跡の継承者としての自覚の下に作陶家として活動を行ってきた。
(2) 名跡の継承者である原告が小笠原一門・一族の頂点にあり、そのすべてを承継するものであるという陶工社会の慣行は次の諸点より明らかである。
◇ 原告が、祖父五代目小笠原藤右衛門が創始した魯山窯の地「大川内」(大川内町<以下略>)の自宅、工房、工場を継承したこと、
◇ その地に、父【J】生存中の昭和60年、「藤右衛門」、「魯山」の名跡を併せ持つ小笠原魯山藤右衛門窯を創設し、何人の異義もなく右窯による作品に「藤右衛門」及び「魯山」の銘・商標を付して販売していたこと、
◇ 父【J】は、原告の祖父【H】の養子であり、【J】自ら祖父【H】を継ぐ者は直系血脈者である原告であるということを認めており、そのため、父【J】は昭和35年ころ、「大川内」の「魯山窯」の地を離れ、昭和39年に至るまで伊万里市<以下略>で「伊万里色鍋島」を経営していた経緯があること、
◇ 住居も、昭和59年には「大川内」(大川内町<以下略>)から伊万里市<以下略>に移っていること、
2 名跡の意味合い 「小笠原藤右衛門」、「魯山」は作陶家個人を示す「号」であり、作品の「銘」であり、窯物と称される大量生産品の商標でもあるという多様な意味合いを持つが、名跡の核心は作陶家個人を示す「号」であるという点にある。このことは、他の著名な作陶家の系譜である「酒井田柿右衛門」「今泉今右衛門」等でも同様である。
3 決定の誤り (1) 以上主張の事実からすると、決定が「魯山窯」に中心的に関わった歴代の経営者は、代々「小笠原魯山」と呼ばれていたとした点、「小笠原魯山」又は「魯山」の称号が「魯山窯」より制される陶磁器を表彰する代表的出所標識としてその機能・役割を果たしてきたと認められるとした点、さらに、当業者において「小笠原魯山」という号が有限会社魯山窯(被告補助参加人)の事業主が名乗るものであるとした点には、事実誤認がある。
(2) 決定は、「魯山窯」発祥の地である大川内(大川内町<以下略>)に一族がそろって、そこを生活の基盤としていたとしているが、これも正確な表現又は認識ではない。陶工の社会では名鉢の継承者を頂点として、一族・一門が形成されているのであり、この点についての陶工社会の在り方について、決定には理解不十分な点がある。決定は、「魯山」は「小笠原藤右衛門」の称号であればともかく、一子相伝の系譜により継承されるべき一族・一門固有の称号というよりは、むしろ「小笠原藤右衛門」の通称(別称)であるとしているが、これも正確ではない。
「魯山」は、原告の祖父【H】が創始し、その養子【J】が承継している点からすれば、次に魯山号を称する者は原告ということになり、「魯山」号は、血脈相続一子相伝の称号であることが明らかである。「魯山」が「小笠原藤右衛門」の通称ないし別称であるとすれば、それは七代目小笠原藤右衛門である原告の別称にほかならず、結局、決定はこの点において矛盾に陥っている。
(3) 決定は、商標登録の取消理由として、「魯山窯」、「魯山」の文字(語)は、被告補助参加人がその製品について使用する商標として、本件商標の登録出願時において、陶磁器に関わる当業者・需要者間において、広く認識せられたものと認められ、本件商標は、その指定商品中に食器類、容器類、花瓶、看板等、陶磁器に関連する商品を多数包含するものであり、したがって、本件商標をその指定商品について使用した場合、これに接する取引者、需要者は、前記「有限会社魯山窯」(被告補助参加人)の業務に係るものであるかのごとく、商品の出所について混同を生ずるおそれがあるといわざるを得ないと判断し、商品の出所混同により消費者の利益が害されるとも判断している。
(3)-1 しかしながら、窯物(大量生産)は作陶家の生活を支える手段でその製造の実際は雇傭労働者である陶工等によりなされるものであり、その社会的評価の基本は作陶家が自ら作る作品に依拠している。すなわち、「藤右衛門」、「魯山」という商標の付された製品の背後には原告が存在するという社会的認識があり、正当な名跡継承者によりその「号」が商品に使用されて初めて消費者の利益につながるという特殊性がある。
(3)-2 昭和37年に「魯山」の号を原告が承継してより、原告はその号、銘、
商標を用いて個人的作陶活動に従事し又は窯物の生産販売を行ってきており、当業者者間においては、「小笠原魯山」という号が被告補助参加人の事業主が代々名乗るものという認識はない。
(3)-3 原告(七代目小笠原藤右衛門)は、昭和37年に魯山窯を承継して以来、個人的作品及び窯物(大量生産品)に「魯山」の銘及び商標を使用していたが、昭和39年には魯山図商標を考案し、これを魯山窯で製される作品、製品に使用していた。この考案の基となったのは、鍋島藩の家紋「抱茗荷」にあり、これをデフォルメしたものである。その時期は、【J】がまだ経営に参画していない昭和39年であって、原告が「大川内」の魯山窯の代表として母【I】と共にその経営に当たっていた時期であり、被告補助参加人設立より5年前のことである。
(3)-4 原告は、昭和60年以来株式会社小笠原魯山藤右衛門窯(現在の商号・株式会社魯山藤右衛門窯)を経営しており、この間もその代表取締役として、また陶芸家として作陶活動に従事していた。そこで生産される陶磁器の包装紙、包装袋、木箱、栞には「魯山」、「魯山窯」、「魯山図形」、「藤右衛門」の号が付されている。そして、別会社(株式会社魯山藤右衛門窯)の本店(大川内<以下略>)の看板には、日本礼道小笠原流(茶道)の家紋である「三階菱」に「魯山窯」、「藤右衛門窯」と併記されており、その暖簾には「藤右衛門」と「魯山」の両方が用いられている。
(3)-5 昭和60年、原告が大川内の魯山の地で行った登り窯の窯開き、陶芸教室開校の様子等を報道する新聞、雑誌には、「七代目小笠原藤右衛門」、「小笠原魯山藤右衛門窯」又は「小笠原魯山・藤右衛門窯」として報じられ、それら報道写真には陶板装飾の天神橋から見た株式会社魯山藤右衛門窯(別会社)の全景が掲載されていて、その看板には明瞭に「三階菱」に「魯山窯」、「藤右衝門窯」が示されている。これら新聞雑誌報道により、広く読者をして別会社が「魯山」であり、
「藤右衛門」であることを認識させ、その結果、「魯山」が別会社の製作、販売する商品に付する標章として周知、著名となった。
4 以上のとおり、魯山商標が有限会社魯山窯(被告補助参加人)の商標として周知のものであり、本件商標を指定商品に付して販売した場合にその商品の出所が有限会社魯山窯であるとの認識は、当業者間及び需要者にはない。
決定取消事由に対する被告及び被告補助参加人の反論
本件において、陶工家の称号としての意味又はその帰属等は直接の争点でない。
問題は、別紙A、B及びCに示す魯山商標の商標としての機能、すなわち、魯山商標がいずれの者の取扱いに係る商品についてその出所を表示するものとして使用されていたのか、また、その著名性はどのように醸成されたものかなどの点にあって、陶工家の称号にまつわる事柄は副次的事情というべきである。陶工家の称号と被告補助参加人の事業主とが相違する事情は直ちに決定の結論に影響を及ぼし得るものでない。
魯山商標が、被告補助参加人の取扱いに係る商品についてその出所を示す識別標識(商標)として、また、その事業を表彰するものとして機能していたのは、決定で認定したとおりである。本件商標の被告補助参加人による使用及びその著名性の醸成過程を無視して述べる原告の主張は失当である。
当裁判所の判断
1 原告主張の決定取消事由の骨子 原告が決定の取消事由として主張するところは、特許庁における登録異議申立事件の中で商標権者(原告)の意見として主張した経緯、事情及び意見とほぼ同趣旨であり、その趣旨は以下のとおりである。
すなわち、原告は、「小笠原藤右衛門」及び「魯山」の第七代目継承者であるところ、(1) この「小笠原藤右衛門」、「魯山」は、作陶家個人を示す「号」であり、作品の「銘」であり、また、窯物といわれる大量生産品の「商標」でもあるという多様な意味合いを持つが、その核心は作陶家個人を示す「号」であるという点にあるから、そもそも「魯山」を含む魯山商標(別紙A、B及びC)も原告に帰属すべきものであって、被告補助参加人の商標ということはできない、(2) 原告は、
昭和60年以来、株式会社魯山藤右衛門窯を経営し、原告及び同社の製作、販売する商品には「小笠原魯山」、「魯山」、「魯山窯」、「藤右衛門」などの商標を使用してきた結果、これらの商標に属する本件商標は、原告の経営する上記会社の製作、販売に係る商品に付された標章として周知、著名となっていたものである、したがって、「魯山商標が有限会社魯山窯(被告補助参加人)の商標として既に周知のものであるから、本件商標をその指定商品について使用した場合、これに接する取引者、需要者は、被告補助参加人の業務に係るものであるかのごとく、商品の出所について混同を生ずるおそれがある」旨の決定の認定、判断は誤りである、というにある。
2 魯山商標と本件商標 決定の理由の要点(3)-2-1ないし4において決定が認定した事実、すなわち、
魯山商標の由来、被告補助参加人の設立、魯山商標と被告補助参加人の関係及び魯山商標の著名性に関する事実は、そこに掲げられている審判手続における書証に対応する本訴の書証(審判甲号各証は、番号を同じくして本訴の乙号各証に対応する。審判乙第14、第15号証は当裁判所平成10年(行ケ)第209号事件の甲第14、第15号証に対応する。枝番のある審判甲号各証につき、枝番が本訴の乙号証と対応しないものもあるが、その場合、枝番を除外した親番号に対応させて読み替える。審判甲第125号証は、本訴乙第111号証に対応。)によって認めることができ、これに反する証拠はない。
上記認定事実によれば、魯山商標(別紙のA、B、C)は、30年以上にわたり、被告補助参加人の製作、販売に係る商品についてその出所を示す商標として使用されてきたものであって(魯山商標が原告個人に排他的に帰属すべきものと認めることはできない。)、本件商標の登録出願があった平成7年4月24日までに、
被告補助参加人による長年にわたる使用及びその事業活動により、被告補助参加人の業務に係る食器、花瓶その他の陶磁器製品について付される商標として著名性を獲得したものというべきである。
そして、本件商標の指定商品は、食器類、容器類、花瓶及び看板等、陶磁器に関連する商品を多数包含し、また、それら以外の指定商品も、日用、雑貨品である点において、上記食器類などと需要者を共通にする場合が多いのは、当裁判所にとっても顕著な事実である。また、本件商標は魯山商標と同一のものないし酷似するものであって、極めて紛らわしいものであることは明らかである。
3 商標法4条1項15号該当性 したがって、魯山商標に紛らわしい本件商標は、商標権者である原告ないしその経営会社とは、商標法上他人の関係にある被告補助参加人の業務に係る商品と混同を生じるおそれがある商標に該当するものとして、その登録は商標法4条1項15号に違反してされたものということができ、これと同旨の決定の判断に誤りは認められない。
4 原告主張について 原告は、昭和60年以来、株式会社小笠原魯山藤右衛門窯(現在の商号・株式会社魯山藤右衛門窯)を経営し、そこで生産される陶磁器、本店の看板などに「魯山」、「魯山窯」などの号が付されるなどしており、「魯山」を含む本件商標は、
同会社の製作、販売する商品の標章として周知、著名となったなどと主張する。
しかしながら、これに対しては、被告補助参加人が第一準備書面で述べる主張、
すなわち、「株式会社小笠原魯山藤右衛門窯が魯山商標を使用したのは、被告補助参加人製造の裏銘「魯山」を付した商品を販売するに際して、「販売取扱商品の標章」を示すためにしたものにすぎず、同社(現在の商号・株式会社魯山藤右衛門窯)の商品表示としては、包装紙に使用している「小笠原藤右衛門窯」あるいは「藤右衛門窯」があるにすぎない。」との主張があり、この主張に対し、原告からの具体的な再反論はなく、また、本件商標が、原告の経営会社である株式会社魯山藤右衛門窯の製作、販売に係る商品の標章として周知、著名であったことを認める足りる的確な証拠もない。
このような点にも照らすと、決定の理由の要点(3)-2-5の(A)において決定がした認定、すなわち、「原告は、別途株式会社小笠原魯山藤右衛門窯を設立し、
「小笠原魯山」又は「魯山」の称号の名声獲得等に寄与した旨意見を述べているが、当該別会社が昭和60年2月に設立され、現在原告が代表取締役に任ずる者であること(審判乙第15号証)以外、その事業運営の状況等(事業の収支状況等)は全く明らかでなく、その実体は不明というほかはないから、別会社の存在をもって原告が魯山商標の知名度形成に深く関わっていたとする点はにわかに認め難い。」との認定を誤りとすることはできず、また、この認定を誤りとすべき証拠もない。
そして、原告の上記主張事実を的確に認めるべき証拠もないので、この主張によっては、前記2、3の認定、判断は左右されない。
5 取消事由についてのまとめ 他に、原告による本件商標の登録は商標法4条1項15号に違反してされたものであるとした決定の判断を左右すべき主張、立証はなく、原告主張の決定取消事由は理由がない。
結論
以上のとおりであり、原告の請求は棄却されるべきである。
(平成12年1月25日口頭弁論終結)
裁判長裁判官 永井紀昭
裁判官 塩月秀平
裁判官 市川正巳