審判番号(事件番号) | データベース | 権利 |
---|---|---|
平成15ワ16505商標権に基づく差止請求権不存在確認等請求事件 平成16ワ10154商標権侵害差止等請求事件 | 判例 | 商標 |
平成17ワ11663不正競争行為差止等請求事件 | 判例 | 商標 |
平成19ワ14984商標権侵害差止等請求事件 | 判例 | 商標 |
平成14ワ13569商標権侵害差止等請求事件 平成15ワ2226商標権侵害差止請求事件 | 判例 | 商標 |
平成18ネ2387不正競争行為差止等請求控訴事件 | 判例 | 商標 |
関連ワード | 独占的使用 / 識別力 / 識別機能 / 指定役務 / 普通名称(3条1項1号) / 普通に用いられる方法 / 3条1項6号 / ただ乗り(フリーライド) / 類似性(類否判断) / 権利濫用(権利の濫用) / 外観(外観類似) / 称呼(称呼類似) / 観念(観念類似) / 国内 / 差止 / 信義則 / 類似範囲 / ドメイン / 外国 / |
---|
元本PDF | 裁判所収録の全文PDFを見る |
---|---|
元本PDF | 裁判所収録の別紙1PDFを見る |
事件 |
平成
17年
(ワ)
768号
商標権侵害差止等請求事件
|
---|---|
原告A 被告B 訴訟代理人弁護士 古川 史高 同 岩田 修 同 横内 亮二 同 竹内 亜起 訴訟代理人弁理士 赤尾 謙一郎 |
|
裁判所 | 東京地方裁判所 |
判決言渡日 | 2005/06/21 |
権利種別 | 商標権 |
訴訟類型 | 民事訴訟 |
主文 |
1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 |
事実及び理由 | |
---|---|
請求
1 被告は,別紙被告標章目録1及び2に記載された標章を,広告,看板,ホームページ,ドメインネーム,名刺,封筒,事務所案内,レターヘッド,料金表,請求書,納品書,ファクシミリ送信元表示及び領収書に使用してはならない。 2 被告は,別紙被告標章目録1及び2に記載された標章をホームページから直ちに削除すると共に,前記標章を使用した名刺,封筒,事務所案内,レターヘッド,料金表,請求書,納品書,ファクシミリ送信元表示及び領収書を廃棄せよ。 |
|
事案の概要
本件は,登録商標「IP FIRM」を有する原告が,被告に対し,被告が別紙被告標章目録1及び2記載の標章(以下,それぞれ「被告標章1」及び「被告標章2」といい,これらを併せて「被告標章」と総称する。)を,被告が経営する特許事務所名として,広告等に付して使用する行為は,原告の有する商標権を侵害すると主張して,被告標章の使用差止め及び被告標章を付した名刺等の廃棄を求めている事案である。 被告は,これに対して,@被告標章は原告の登録商標に類似しない,A原告の登録商標は,その商品又は役務の普通名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標(商標法3条1項1号)又は需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標(商標法3条1項6号)に該当する,B原告が商標権を取得した経緯などに照らすと,原告の本訴請求は,権利の濫用に当たり許されないなどと主張して,原告の請求を争っている。 1 前提となる事実(当事者間に争いがない事実及び弁論の全趣旨により認められる事実) (1) 当事者 ア 原告は,IP国際技術特許事務所を経営する弁理士である。 イ 被告は,東京IP特許事務所を経営する弁理士である。 ウ 原告と被告は,平成15年11月ころまで,特許事務所(A・B技術特許事務所。以下,「旧事務所」という。)を共同経営しており,被告は,平成15年8月ころから,東京都中央区京橋所在の事務所(以下,「京橋事務所」という。)を管理していた。 (2) 原告の権利(登録商標) 原告は,次の商標権を有している(以下「本件商標権」といい,その登録商標を「本件登録商標」という。)。 ア 登録番号 第4783133号 イ 登録商標 別紙原告商標目録記載のとおり ウ 出願年月日 平成15年11月20日 エ 登録年月日 平成16年7月2日 オ 指定役務 第42類 工業所有権に関する手続の代理又は鑑定その他の事務,訴訟事件その他に関する法律事務,著作権の利用に関する契約の代理又は媒介 (3) 被告の行為 ア 被告は,平成15年12月ころ,旧事務所における原告との共同経営を解消すると,京橋事務所を「東京IP特許事務所」と改称して,新たに事務所経営を開始した(以下「新事務所」という。)。 イ 被告は,遅くとも平成16年3月ころから,被告標章1を付した英文レターのレターヘッドの使用を開始し,遅くとも平成16年11月ころから,被告標章2を新事務所のホームページにおいて掲載している。 2 本件の争点 (1) 本件登録商標と被告標章が類似するか(争点1)。 (2) 本件登録商標は,「その商品又は役務の普通名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」(商標法3条1項1号)又は「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」(商標法3条1項6号)に該当するか(争点2)。 (3) 原告が本件商標権を取得した経緯などに照らすと,原告の本訴請求は,権利の濫用に当たり許されないか(争点3)。 |
|
争点に関する当事者の主張
1 争点1(本件登録商標と被告標章が類似するか。)について (原告の主張) (1) 本件登録商標 本件登録商標は,「IP FIRM」という欧文字を横書きにして成るものである。 (2) 商標の同一又は類似性 ア 被告標章1は「TOKYO IP FIRM」の欧文字を横書きにしたもので,「IP」の文字のみをデフォルメ化して成るものであり,被告標章2は,「TOKYO IP FIRM」の欧文字を通常の文字で横書きにしたものである。 イ 被告標章1は,「IP」がデフォルメ化されているが,「TOKYO」は単なる地名であるから,その要部は「IP FIRM」であり,「アイピーファーム」の称呼を生じる。 被告標章2も,同様に,その要部は「IP FIRM」であり,「アイピーファーム」の称呼を生じる。 したがって,被告商標は,いずれもその称呼が本件登録商標と類似している。 ウ 前記のとおり,「TOKYO」は,単なる地名であるから,被告標章は,「東京」の「IP FIRM」との観念を想起させるものであり,その観念は本件登録商標と類似する。 エ 被告標章2は,要部である「IP FIRM」の外観が本件登録商標と同一である。 オ したがって,被告標章1は,その称呼及び観念が,被告標章2は,その称呼,観念及び外観がいずれも本件登録商標と実質的に同一であるか,少なくとも類似するものであることは明らかである。 (被告の主張) (1) 被告標章の要部 被告標章は,「TOKYO IP FIRM」という欧文字から成るところ,「IP FIRM」は,争点2において述べるとおり,需要者等の間では単に「特許事務所」の意味を表す普通名称にすぎず,自他役務識別機能は有さない。また,「TOKYO」も,地域名にすぎないから,「TOKYO IP FIRM」は,「IP FIRM」をその要部とするものではなく,全体としてその識別力を有するものである。 被告は,現在,主として外国の顧客及び代理人に対し,事務所名として被告標章を使用しているが,被告標章は,被告が経営する事務所を表示するものとして,実際,十分に機能している。 したがって,識別力のない本件登録商標と,識別力のある被告標章を対比したとき,その役務の出所について,需要者等に誤認混同を引き起こすおそれはない。 (2) 需要者等の間では,特許事務所の名称は,極めて近い名称であっても,明確に個々の特許事務所を識別する機能を有するものである。例えば,「鈴木特許事務所」,「鈴木国際特許事務所」,「鈴木法律特許事務所」等,極めてよく似た特許事務所名であっても,需要者等は,弁理士氏名や事務所所在地等から事務所を識別するため,誤認混同を生じることはない。需要者等は,担当する弁理士個人の信用に基づいて特許事務所を識別しているのであるから,特許事務所名の類似範囲は極めて狭いというべきである。かかる観点から,本件登録商標「IP FIRM」と,被告標章「TOKYO IP FIRM」を比較すると,「TOKYO」の有無により,両者は全体として明らかに異なっているから,需要者等が両者を誤認混同することはあり得ない。 したがって,本件登録商標と被告標章は,類似していないというべきである。 2 争点2(本件登録商標は,「その商品又は役務の普通名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」〔商標法3条1項1号〕又は「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」〔商標法3条1項6号〕に該当するか。)について (被告の主張) (1) 本件登録商標の指定役務の需要者又は取引者(以下,「本件需要者等」という。)は,工業所有権にかかわる者や法曹関係者であり,特に,本件登録商標は英語であるから,英語が全く読めない者又は理解できない者は本件需要者等には含まれない。 (2)ア 「IP」は,知的財産(intellectual property)を表す略称である。確かに,「IP」は,「Internet Protocol」の略語でもある。しかし,「IP」は,例えば,「(業)アイ・ピー・エス」,「IPコンサルティング特許事務所」,「グローバル・アイピー東京(業)」,「新樹グローバル・アイピー(業)」等の特許事務所や,知的財産取引会社である「IPトレーディング・ジャパン株式会社」等の企業名称の一部として用いられているとおり,本件需要者等においては,知的財産を表す略称として認識される。 イ 「FIRM」は,「会社」,「商店」という意味であるが,外国においては,「Patent Firm」,「Law Firm」,「Legal Firm」等として使用されているものであり,本件需要者等においては,「事務所」を意味する単語として認識される。 (3)ア これら,「IP」と「FIRM」を結合した「IP FIRM」は,通常,工業所有権・知的財産権を取り扱う事務所,すなわち,「特許事務所」を表すものとして一般的に用いられている。例えば,「明成国際特許事務所(外国語表示:Meisei IP Firm」,「プレシオ国際特許事務所(外国語表示:Prezio IP Firm」,「神原特許事務所(外国語表示:IP FIRM KAMBARA&ASSOCIATES)」,「津国特許事務所(メールアドレス:ip-firm@tsukuni.gr.jp)」,「龍華国際特許事務所(外国語表示:RYUKA IP LAW FIRM)」等のように,特許事務所の外国語表示やメールアドレス等において,「IP FIRM」は,「特許事務所」を意味する表記として多用されている。特に,特許事務所の外国語表示は,当該事務所の日本語名称を外国人に認識させるものであるから,日本語名称をそのまま翻訳するのが通例であるところ,上記各事務所の外国語表示における「IP FIRM」の部分は,いずれも日本語名称における「特許事務所」の部分にのみ対応するものである。 イ インターネットで「IP FIRM」を検索すると,「IP」が,「Internet Protocol」等を意味する場合もあるものの,「IP FIRM」が,「特許事務所」を意味するものとして使用されているウェブページが検索結果として多数表示される。 例えば,インターネットにおいて一般によく用いられる5種の検索エンジンにおいて,「IP FIRM」を検索すると,36万件から509万件の検索結果が表示される。各検索エンジンにおいて最初に表示される100件のうち,@「IP FIRM」が一体として使用されており,「特許事務所」を意味するものがそれぞれ33から50パーセント,A「IP」と「FIRM」が分かれて用いられているが,「IP」が「知的財産」を,「FIRM」が「事務所」を意味するものがそれぞれ3から30パーセントもあるのである。「IP FIRM」が,特定の特許事務所を示すものとしては,原告のホームページ(IP FIRMRIP国際技術特許事務所)のみしかない。 以上からすると,本件需要者等は,「IP FIRM」を,工業所有権・知的財産権を取り扱う事務所,すなわち「特許事務所」を表す「普通名称」であると認識しており,特定の「特許事務所」を識別するものとは認識していないというべきである。 (4) また,本件登録商標は,標準文字で表されているのであるから,「普通名称」を「普通に用いられる方法で表示された」ものというべきである。 (5) 以上によれば,本件登録商標は,商標法3条1項1号に定める「普通名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」というべきであるから,本件商標権は無効理由を有している。 (6) なお,仮に,本件登録商標が,「特許事務所」を表す普通名称であるとは認められないとしても,本件需要者等が,「IP FIRM」を特定の「特許事務所」を意味するものと認識することはできない以上,「IP FIRM」は,「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」(商標法3条1項6号)に該当するものというべきであるから,本件商標権は無効理由を有している。 (7) したがって,本件商標権は,いずれにせよ,無効理由を有しているから,原告が被告に対し,本件商標権に基づいて権利行使をすることは,商標法39条が準用する特許法104条の3の規定により,許されない。 (原告の主張) (1) 本件商標権の「IP FIRM」は,「知財事務所」,「特に知的財産関係役務に特化した事務所」を意味する造語であって,「特許事務所」を表す普通名称ではない。被告の主張は,一般的に峻別されている「知的財産権」と「工業所有権」を故意に混同させるものであり,事実に反するものである。 (2)ア わが国において,従来,特許事務所及び企業の特許部は,工業所有権(特許,実用新案,意匠,商標)を取り扱っていた。その後,コンピュータプログラムを中心として,企業の著作権に関する関心が急速に高まり,企業の特許部が知的財産部に名称変更されると共に,著作権に関する事務の取扱いに関する弁理士法改正に伴い,著作権を含む知的財産権を取り扱う特許事務所が増えつつある。 しかし,そのような状況においても,従来どおり,工業所有権に関する業務のみを行う特許事務所が大半であり,著作権関連業務を取り扱う特許事務所は極めて少数である。したがって,知的財産権全般を取り扱う事務所に対して,従来の工業所有権の枠組みにおいて使用されていた「特許事務所」という名称を用いるべきではないし,すべての「特許事務所」が,知的財産権全般を取り扱うかのような被告主張が許されるものでもない。 イ 知的財産を取り扱う業界においては,確かに,「IP」を「知的財産」と認識するのが一般的である。しかし,その場合,「IP FIRM」は,前記のとおり,「(著作権法や不正競争防止法の分野を含む)知的財産権を広く扱う事務所」と理解されるものである。また,「IP FIRM」に対応する日本語は,「知財事務所」であり,「特許事務所」ではない。特許事務所は,従来,英文表記として「PATENT OFFICE」を使用しており,「IP FIRM」はおろか,「PATENT FIRM」ですら,使用されることは少なかったのであるから,「IP FIRM」を「特許事務所」と誤訳する被告の主張は誤りである。 わが国において,一般人は,「IP」について,「IP電話」,「インターネットプロトコル」又は「IPアドレス」のいずれかを想起するのが通常である。知的財産権にかかわる者でも,むしろ「International Patent」を想起し,「Intellectual Property」を想起する者は,知的所有権を専門とする学者を除けば,弁理士,弁護士,企業における知的財産関係者のうちのごくわずか程度である。「ファーム」についても,通常,農場(Farm)を想起するのが一般的であり,事務所の英訳としては,「Office」が一般的に用いられているのであるから,「ファーム」について,「Firm」を想起するのは,やはり外国企業や外国事務所と関係を有する少数の弁護士,弁理士,企業の知的財産関係者のみである。 実際,わが国において,「IP FIRM」なる語は,一般的に定着しておらず,知的財産を広く取り扱うことを推認させるだけである。だからこそ,「IP FIRM」には商標的価値があるのであって,被告もその恩恵を受けるため,本件登録商標に類似する被告標章をあえて使用しているのである。 (3)ア そもそも商標登録の要件は査定時において存在すれば足りるのであるから,被告が提出する査定時(平成16年6月14日)以後の検索結果に関する書証は,いずれも証拠能力を欠くものというべきである。 しかも,被告がインターネットによる調査を行った平成17年2月24日から同年3月3日の間においてですら,わが国において「IP FIRM」を使用しているのは,@原告,A被告,Bプレシオ国際特許事務所及びC明成国際特許事務所だけにすぎない。このうち,@からBについては,本件登録商標の査定後に使用が開始されたものであるし,Cについては,査定時において使用されていたことについて,具体的な証拠が存しない以上,査定時以前において,「IP FIRM」が普通名称であった根拠とすることはできない。 また,C「Meisei IP Firm」の和文名称は,「明成国際特許事務所」であるから,「IP Firm」は,「International Patent Firm」,すなわち,「国際特許事務所」に対応するものとして用いられているにすぎず,「IP FIRM」を「特許事務所」と翻訳する例としては不適切である。 被告が,そのほか指摘する例も,「国際特許事務所」に対応するものであったり,「IP LAW FIRM」なる語を使用していたりするものであるなど,「IP FIRM」が広く知的財産を取り扱う事務所を表す普通名称であることの証拠とはならないものである。 イ 被告が指摘するインターネットの検索結果も,該当するもののほとんどは,「IP FIRM」とは直接関係のないものであるから,「IP FIRM」が普通名称であるとの被告主張を裏付けるものではない。被告が,「IP FIRM」が一体として使用されており,「特許事務所」を意味するものが33から50パーセントと主張する根拠として挙げている乙12号証の2ないし6を精査しても,「IP FIRM」が一体として使用されている例はほとんどない。大文字,小文字,ハイフンの有無を問わず,一応一体として「IP FIRM」が用いられているものを抽出しても,わが国において使用されているものは,原告及び被告によるものを含めてわずか4件である。諸外国において使用されているものを含めても,500件中78件にすぎない。このうち,重複しているものを整理すると,500件中50件,すなわち,10パーセントにすぎないのである。諸外国における数少ない使用例に基づいて,わが国における一般的認識を論じること自体,相当ではないが,インターネットによる調査結果をふまえても,わが国において「IP FIRM」が,「特許事務所」を意味する普通名称であると一般に認識されているとはいえない。 なお,被告が指摘する「IP FIRM」が一体として使用されている例のほとんどは,文中において記述的に使用されたものであって,本来,本件商標権の効力が及ぶ範囲にはないから,「IP FIRM」の独占を認めることによる不都合が生じるおそれはない。 (4)ア 「IP FIRM」が,商標法3条1項6号の定める「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」に当たるとする被告の主張も,わが国の商標法が登録主義に基づくものであることを無視した誤った主張である。すなわち,「IP FIRM」は,特に知的財産関係役務に特化した事務所であることを本件需要者等に理解させることができるから,「IP FIRM」を用いていないほかの事務所とは違ったサービスが提供されるであろうとの期待を与えることができるのである。その結果,本件需要者等に自他役務の品質の違いを認識させることができるのであるから,仮に「IP FIRM」が原告の業務にかかる役務であることを認識することができなかったとしても,商標法3条1項6号に該当するものではない。具体的に説明するならば,「IP FIRM」を使用した特許事務所を見つけた本件需要者等は,通常の特許事務所とは何かが違う可能性があるであろうことに期待する。そして,当該事務所の提供する役務に満足した本件需要者等は,仮に当該事務所名を忘れたとしても,「IP FIRM」を使用した事務所を探すことになる。このことが,本件需要者等が,「IP FIRM」を何人かの「特許事務所」を意味するものとして認識すること,すなわち,「IP FIRM」が自他役務識別機能を有することを意味するのである。 「特定」の特許事務所を認識することを要求する被告の主張は,条文に存在しない要件をあえて付加するものであり,相当ではない。 イ 商標法3条1項6号は,同項1号から5号までの総括条項であると一般的に解されているところ,「IP FIRM」は,同項1号から5号までに該当しないことは明らかである。確かに,国内の市場に外国商品が大量に流通することが予想される場合には,当該商品の特性を記述するような外国語については,登録を認めるべきではないかもしれない。しかし,かかる見地からしても,本件商標権の指定役務である工業所有権に関する手続の代理等は,専門性が高い上,知的財産権を取得する者の数も少ないため,日本国内に広く,かつ,大量に外国から指定役務が提供される可能性はない。しかも,当該役務と同一又は類似の役務を提供する事務所においては,「特許事務所」,「法律事務所」,「特許法律事務所」,「技術特許事務所」,「知財を得意とする法律事務所」,「知財事務所」等の日本語表記のほか,「Law Office」「Law Firm」「Patent Law Firm」「Patent Office」等や,これらに「IP」を付加した表記を使用することも可能であり,「IP FIRM」のみが多用される蓋然性もない。したがって,公益的見地から,特に工業所有権に関する手続の代理等を指定役務とする「IP FIRM」の標章を日本国内で独占させることがふさわしくないとはいえない。さらに,わが国においては,弁護士以外の者は「法律事務所」の名称を,弁理士以外の者は「特許事務所」の名称を,それぞれ法律上使用することができないのであるから,あえて無資格者と区別することができず,日本人には説明しなければ理解できない「知財事務所」を意味する「IP FIRM」の標章を,「特許事務所」の代わりに事務所名の一部として使用したいと考える資格者は存しないであろうし,知的財産権を専門分野とすることをアピールする名称は,前記のとおり,多数存在するのであるから,「IP FIRM」の標章を国内において独占させるにふさわしくないものと解することはできない。 3 争点3(原告が本件商標権を取得した経緯などに照らすと,原告の本訴請求は,権利の濫用に当たり許されないか。)について (被告の主張) 被告と原告は,共同して旧事務所を経営していたが,同事務所は平成15年11月30日に分裂した。原告は,事務所分裂の日の直前である同月20日,被告に告げず,商標登録出願し,本件商標権を取得した。しかも,原告は,被告が被告標章の使用を開始した後,1年を経過するまでは,本件商標権に基づいて被告標章の使用の中止を求めたことはなかったにもかかわらず,旧事務所分裂から1年以上経過し,被告標章が外国の顧客や代理人の間で周知となりつつある段階において,突然その使用中止を求めたものである。 上記のような原告による本件登録商標の出願経緯,原告と被告の従前の関係などを考慮すると,原告の本件商標権の取得は信義則に反するものであり,同商標権に基づく権利行使は,権利の濫用に当たり,許されない。 (原告の主張) 原告が創作した「IP FIRM」の標章について,商標登録出願することは,原告の自由意思に委ねられるべきものであって,被告の許諾を得る必要はない。本件商標権にただ乗りしている被告こそ,非難されるべきであって,原告が自己の有する本件商標権に基づいて権利行使することは正当である。 |
|
当裁判所の判断
1 争点2(本件登録商標は,「その商品又は役務の普通名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」〔商標法3条1項1号〕又は「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」〔商標法3条1項6号〕に該当するか。)について (1) 本件においては,事案の内容にかんがみ,まず争点2について判断する。 ア 辞書類における「IP」,「FIRM」の語の掲載状況は,次のとおりである(乙13の1〜3,乙14,15) a) インターネットにおける英単語検索サイト「スペースアルク:英辞郎」(乙14)では,「IP」は,「intellectual property」,すなわち,「知的財産」の略称であるとされている。 b) 「新英和中辞典(第6版)」(研究社)(乙13の1〜3)では,「intellectual property right」は,「知的所有権≪特許,実用新案,商標,著作権など≫」を意味する英熟語とされている。 また,「firm」は,「(二人以上の合資で経営される)商会,商店,会社」を意味する英単語とされている。 c) 二村隆章,岸宣仁著「知的財産会計」(平成14年2月20日発行,株式会社文藝春秋)(乙15)においては,「知的財産権(Intellectual Property Rights=通常,IPと略す)」と記載されている。 イ 証拠(乙12の1〜6)によると,インターネットにおいて,「IP FIRM」を検索語として検索すると,各検索エンジンにより相違はあるものの,多数の情報(約509万件,334万件,約146万件,約38万件,約36万件)が検出される。そのうち,「IP」が,「インターネットプロトコル」を意味する等,「知的財産」を意味しないものも検出されるものの,わが国及び諸外国において,「IP」が「知的財産」を,「FIRM」が「事務所」を表すものとして用いられている例が多数見られる。 ウ 証拠(乙3〜5,7)によると,わが国においても,「IP FIRM」又は「IP LAW FIRM」を英語表記に用いる複数の特許事務所(明成国際特許事務所〔Meisei IP Firm〕〔乙3〕,プレシオ国際特許事務所〔Prezio IP Firm〕〔乙4〕,神原特許事務所〔IP FIRM KAMBARA&ASSOCIATES〕〔乙5〕,龍華国際特許事務所〔RYUKA IP LAW FIRM〕〔乙7〕)が存在する。 エ 証拠(乙8の1〜10,乙12の1〜6)によると,諸外国においては,「IP FIRM」を「特許事務所」あるいは「知的財産権を取り扱う法律事務所」を表す名称として使用する事務所が,インターネットにホームページを開設しているものだけでも複数存在する(IGOE IP FIRM〔乙8の1〕,BUSTAMAN IP FIRM MALAYSIA〔乙12の3〕,Jordan IP Firms〔乙12の5〕)。なお,「IP LAW FIRM」を「知的財産権を取り扱う法律事務所」の名称として使用している事務所も複数存在する(Malta Intellectual Property Law Firm〔乙12の2〕,Shahani IP Law Firm,JFK IP Law Firm,vietnam ip law firm〔乙12の3〕)。 また,諸外国においては,「特許事務所」あるいは「知的財産権を取り扱う事務所」を表す記述的な表現として,「IP FIRM」又は「IP LAW FIRM」との語が極めて多数使用されている(乙8の2〜10,乙9。乙12の1〜6)。 (2)ア 上記の「IP FIRM」を構成する「IP」,「FIRM」の訳語及びこれらが結合された語の示す概念,上記のわが国及び諸外国におけるこれらの語句の理解及び利用状況並びに本件商標権の指定役務である第42類(工業所有権に関する手続の代理又は鑑定その他の事務,訴訟事件その他に関する法律事務,著作権の利用に関する契約の代理又は媒介)の需要者等として想定される者を総合考慮すると,本件需要者等は,「IP」について,「Intellectual Property」(知的財産)を,「FIRM」については,「Law Firm」の場合と同様,「事務所」をそれぞれ想起するものというべきである。したがって,「IP FIRM」は,知的財産を意味する「IP」と,事務所を意味する「FIRM」が単純に結合された2語からなる標章であり,本件登録商標の査定時(平成16年6月14日。甲1の2)には,本件需要者等において,これらの語句の意味を結合させた,「知的財産権を取り扱う事務所」を意味するものであると認識されていたものというべきである。したがって,「IP FIRM」との語は,まさしく本件商標権の指定役務を提供する事務所であることを一般的に説明しているにすぎず,本件需要者等において,指定役務について他人の同種役務と識別するための標識であるとは認識し得ないものであるから,本件指定役務について使用されるときには,自他役務の出所識別機能を有しないものと認められる。 イ 原告は,この点に関し,@わが国においては,「IP」について,「IP電話」,「インターネットプロトコル」を,「ファーム」についても農場(Farm)を想起するのが一般的であり,「IP」について「Intellectual Property」を,「ファーム」について,「Firm」を想起するのは,外国企業や外国事務所と関係を有する少数の弁護士,弁理士,企業の知財関係者のみである,A被告の主張は,一般的に峻別されている「知的財産権」と「工業所有権」を故意に混同するものであり,「IP FIRM」に対応する日本語は,「知財事務所」であって「特許事務所」ではないから,「IP FIRM」を「特許事務所」を表す普通名称と解することはできない,Bわが国におけるすべての特許事務所が知的財産権全般を取り扱うわけではなく,わが国において「IP FIRM」なる語は,一般的に定着していないから,知的財産を広く取り扱うことを推認させる「IP FIRM」には商標的価値がある,C知的財産権を得意とする事務所であることを示す表現はほかに多数存在するから,「IP FIRM」の使用を独占させることについて,公益的見地から弊害が生じるおそれはない,D被告が指摘する「IP FIRM」を「特許事務所」を表すものとして使用する例は,わが国においては本件登録商標の査定後に使用開始されたものがほとんどで,しかも,「International Patent Firm」,すなわち,「国際特許事務所」に対応するものとして用いられているにすぎないものもあるし,そのほか,インターネットにおける検索結果を精査しても,「IP FIRM」が一体として使用されている例は50件程度にすぎず,そのほとんどは,文中において記述的に使用されているものであって,本来,本件商標権の効力が及ぶ範囲にはないから,「IP FIRM」の独占を認めることによる不都合が生じるおそれはない,などと主張して,「IP」が,「Internet Protocol」,「image processing」を意味する語として紹介されている辞典(甲14)や,「inkjet printer」の略称として使用されていると推測される文献(甲9)を書証として提出する。 しかし,本件商標権の指定役務は,弁理士が主体となって開設する特許事務所や,いわゆる知的財産事件を担当する弁護士が開設する法律事務所が提供する役務であるから,本件需要者等は,工業所有権の取得又は著作権の利用を希望するか,あるいはこれらの権利に関する紛争解決を希望する個人又は法人であり,これらの個人又は法人の担当者は,知的財産権に関しては相応の関心と知識を有している者であることは明らかである。そして,これらの者にとって,前記のとおり,「Law Firm」が「弁護士事務所」を意味する英熟語として知られていることも考慮すれば,これらの本件需要者等が,「IP FIRM」について,インターネットプロトコル,インクジェットプリンタを取り扱う事務所として理解したり,「FIRM」につき,英単語のつづりが異なる「農場」(Farm)の意味において認識するとは容易に想定することができない。原告も,知的財産権に携わる一定の者においては,「IP」を「知的財産」の意味に,「FIRM」を「事務所」の意味に理解するものであることを認めているのであって,本件商標権の指定役務においては,その需要者等の間において,「IP FIRM」が知的財産権を担当する事務所の意味として理解されるものである以上,それが広く国民全般に認識されているか否かは上記結論を左右するものではない。 「IP FIRM」は,まさに「知的財産権」に関する「事務所」を意味するにすぎないからこそ,独占的使用を禁止すべき「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」(商標法3条1項6号)に該当するというべきであり,原告が強調する,「知的財産権」と「工業所有権」との峻別を徹底すべきか否か,「IP FIRM」の訳語が「知財事務所」か「特許事務所」か否か,「知的財産権を得意とする事務所」を示す表現がほかに多数存在するか否かが重視されるものではない。 そして,インターネット等において,本件登録商標の査定時(平成16年6月14日)と近接した被告による調査時(平成17年2月及び3月)において,「IP FIRM」が記述的な表現であれ,「知的財産権を扱う事務所」という意味で多数使用されていること自体が,「IP FIRM」が自他役務識別機能を有しない根拠となるものであり,「知的財産権」,「知財立国」などの言葉が一般的に用いられている近時のわが国の状況において,「知的財産権を取り扱う事務所」を意味する英語である「IP FIRM」について,独占的使用を許すことが相当ではない根拠となるものであるから,登録日と調査日の厳密な先後関係や,当該使用態様が商標的な使用か否かは上記結論とは無関係である。 また,原告が指摘する「IP FIRM」との語は「International Patent Firm」,すなわち「国際特許事務所」の意味で使用されているという点についても,確かにわが国において,「国際特許事務所」という名称を付した特許事務所が多数存在し(乙1),その事務所名の英語表記において,「International Patent Office」を使用する多数の特許事務所が存在すること(甲12,13)からすれば,「IP FIRM」との語は,むしろ従来から多数存在していた「国際的な特許を取り扱う事務所」を意味するものとしても使用されているものと認めることができる。しかし,「工業所有権に関する手続の代理」業務においては,国際的な出願をすることは一般的なことであり,本件商標権の指定役務との関係では,「国際的な特許を取り扱う事務所」とは,まさしく同指定役務を提供する事務所であることを一般的に説明しているにすぎず,本件需要者等において,指定役務について他人の指定役務と識別するための標識であるとは認識し得ないものであるから,「IP FIRM」との語が,「知的財産権を取り扱う事務所」を意味するものであるか,あるいは「国際的な特許を取り扱う事務所」を意味するものであるかにかかわらず,「IP FIRM」との語を本件指定役務について使用するときには,自他役務識別機能を有しないというべきである。 したがって,原告の主張はいずれも採用できない。 2 結論 以上によれば,本件商標権は,商標法3条1項6号に定める「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」というべきであるから,商標法39条が準用する特許法104条の3の規定により,原告の被告に対する本件商標権に基づく権利行使は許されない。したがって,その余の点について判断するまでもなく,原告の被告に対する本訴請求はいずれも理由がない。 よって,主文のとおり,判決する。 |
裁判長裁判官 | 設樂隆一 |
---|---|
裁判官 | 杉浦正典 |
裁判官 | 荒井章光 |