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事件 昭和 54年 (モ) 2068号
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裁判所 東京地方裁判所
判決言渡日 1982/06/16
権利種別 商標権
訴訟類型 民事仮処分
主文 一 債権者債務者間の当庁昭和五三年(ヨ)第二五五六号商標権仮処分申請事件について当裁判所が昭和五四年一月一七日になした仮処分決定を認可する。
二 訴訟費用は債務者の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
一 債権者 主文同旨二 債務者1 主文第一項記載の仮処分決定(以下「本件仮処分決定」という。)を取り消す。
2 債権者の本件仮処分申請を却下する。
3 訴訟費用は債権者の負担とする。
当事者の主張
一 申請の理由1 債権者は、相互に連合商標となつている次の(一)の商標権(以下、「本件商標権(一)」といい、その登録商標を「本件登録商標(一)」という。)及び(二)の商標権(以下、「本件商標権(二)」といい、その登録商標を「本件登録商標(二)」という。)を有している(以下、両者を総称するときは、単に「本件商標権」、「本件登録商標」という。)。
(一) 出願日 昭和三四年一二月二五日 公告日 昭和三八年三月二〇日 登録日 同年九月一〇日 登録番号 第六二四二九七号 登録商標 別紙商標目録(一)記載のとおり 指定商品 旧商標法施行規則(大正一〇年農商務省令第三六号)第15条の規定による商品類別第四五類 海苔(二) 出願日、公告日、登録日及び指定商品(一)と同じ。
登録番号 第六二四二九八号 登録商標 別紙商標目録(二)記載のとおり2 本件登録商標(一)は、手書きの文字により「株式会社」の下に「山形屋海苔店」と続けて縦書きしたものから成り、本件登録商標(二)は、手書きの文字により「山形屋海苔店」と縦書きしたものから成つている。
3 債務者は、別紙標章目録1ないし5記載の標章(以下、順に「債務者標章1」、「債務者標章2」、「債務者標章3」、「債務者標章4」、「債務者標章5」といい、これらを総称するときは、単に「債務者標章」という。)を乾海苔、
焼海苔、味付海苔その他の海苔製品の包装袋、瓶、包装箱、罐等の容器及び包装紙に附して、これを販売している。
4(一) 債務者標章は、次のとおり、いずれも本件登録商標と同一又は類似である。
(1) 債務者標章1は、書体が相違するものの、この点は問題ではなく、本件登録商標(二)と同一である。
(2) 債務者標章2ないし5においては、これらのうち、「東京」の部分は単に地名を付したにすぎず、「海苔店」の部分は単に海苔を売る店との表示にすぎず、
また「株式会社」の部分は単に会社であることの表示にすぎないから、これらはいずれも要部ではなく、「山形屋」の部分が需要者に対し強く商品の識別、出所を訴える力を有する要部であり、他方、本件登録商標においても、右と同様に「山形屋」の部分が要部であるから、両者は要部において同一であり、全体として類似する。
(二) 債務者が債務者標章を使用している乾海苔、焼海苔、味付海苔その他の海苔製品は、本件商標権の指定商品に属する。
5 したがつて、債務者の3記載の行為は本件商標権を侵害するものであるから、
債権者は、債務者に対し、本件商標権に基づき、右行為の停止及び侵害行為の予防並びに侵害行為を組成した物の廃棄を求める権利を有する。
6 債権者は、海苔製品の小売業界では最大手の一つであつて、「海苔の山形屋」として全国的に著名であり、その商品である海苔製品は、海苔そのものも最高の品質のものを用い、その包装も高名な商業デザイナーや書家の創作に係るものを用いる一方、多額の費用を用いて宣伝につとめた結果、「山形屋の海苔」といえば高級品、特に高級贈答品であるとして一般に認識されている。
これに対し、債務者が販売している海苔製品は、スーパーマーケツト向けの普及品であり、このまま販売が続けられると、債務者の商品が債権者の商品と誤認混同され、高級海苔店としての債権者のイメージダウンを招き、債権者は回復し難い損害を受けるおそれがある。
7 よつて、債権者の前記本件商標権の侵害行為の停止及び予防並びに侵害行為を組成した物の執行官保管の仮処分申請を認容した本件仮処分決定は、正当であるから、その認可を求める。
二 申請の理由に対する認否1 申請の理由1及び2は認める。
2 同3のうち、債務者標章1、
2及び4に係る部分は否認する。債務者は海苔製品にこれらの標章を現に使用していないし、将来使用する意思もない。債務者標章3、5に係る部分は認める。
3 同4ないし6は争う。債務者標章のうち少なくとも債務者標章2は本件登録商標と非類似であり、債務者標章1、2及び4については、前記のとおり現に使用しておらず、使用の意思もないから、仮処分の必要性がないことが明らかである。
三 抗弁1 債務者の使用している債務者標章3及び5は債務者の名称(商号)を普通に用いられる方法で表示したものであるから、本件商標権の効力は、これらの標章に及ばない。
2 債権者の債務者に対する本件商標権に基づく差止請求権は、以下に述べるとおり、不行使により失効した。
(一) 債務者は、昭和二二年の設立当初から、正式の商号は大丸食品工業株式会社であつたが、海苔製品について「山形屋」、「山形屋海苔店」等の標章を使用していたし、店舗及び工場には「山形屋」の表示を行い、取引者間において通称「山形屋」あるいは「山形屋海苔店」と呼ばれており、昭和三四年一〇月には、商号も「株式会社山形屋海苔店」と改め、テレビやラジオのスポツト広告でも「山形屋の海苔」として宣伝していた。昭和三五年には営業上の理由から債務者は一時営業を休止したが、その間も、債務者の経営者であり取締役であつたA(通称B)及びCの両名において、債務者の営業を事実上承継して「山形屋海苔店」の名称で引続き海苔製品の製造、販売を行い、その商品に「山形屋」あるいは「山形屋海苔店」の標章を使用していた。
(二) 債権者は、右の事実を知悉していたにもかかわらず、本件商標権の設定の登録の日である昭和三八年九月一〇日以来本件仮処分申請直前に至るまでの実に約一五年もの長期間にわたり、債務者に対し、何らの異議、苦情、警告あるいは通知さえもせず、債務者の前記標章の使用を放置し、黙認してきたものである。しかも、その間、昭和三八年には、東京都杉並区<以下略>所在の訴外株式会社山形屋(当時)に対して、「株式会社山形屋」の商号及び「山形屋」の標章の使用差止訴訟を提起し、また、昭和三九年には、山形屋海苔店こと前記A及びCの両名に対し、<12302-001>の標章の使用差止訴訟を提起しているにもかかわらず、債務者及びその営業の承継人であつた前記A及びCの両名に対し、「山形屋」あるいは「山形屋海苔店」の名称及び標章の使用については、何らの請求もしなかつたものである。
(三) 以上の事実にかんがみれば、債権者は、債務者に対しては、本件商標権に基づく差止請求権を実質的に放棄したものというべく、仮にそうでなくても、債務者の前記標章の使用を知り、かつ、その使用を中止させるべき機会が十分あつたにもかかわらず、長期間にわたりこれを放置し、黙認してきたものであるから、権利の上に眠る者として、いわゆる失効の原則により、債務者標章の使用の差止めを求めることはできないものというべきである。
3 仮に債権者の債務者に対する本件商標権に基づく差止請求権が失効したとまではいえないとしても、その行使は、2の(一)、(二)において述べた事情と以下に述べる事情を総合考慮すれば、権利の濫用であつて、許されない。
(一) 「山形屋」等の標章の著名性の由来 海苔及び海苔店について「山形屋」なる標章が用いられたのは、初代Dが江戸明和年間に当時の日本橋釘店(現在の東京都中央区<以下略>)で「山形屋」の屋号で海苔店を創業したのに始まるものであり、この「山形屋」は、その後子孫に代々受け継がれ(なお、その当主はDを代々襲名した。)、次第に隆盛となり、既に江戸時代に幕府御用達となつて江戸大店の一つに数えられるようになつたが、更に江戸末期から明治、大正と年代を経るに従つてますます隆昌発展し、殊に明治、大正時代に亘つては、自他ともに許す我国最大の海苔店として盛えるに至つた。それに伴い、このDの海苔店(明治中期ごろから、正式には「山形屋海苔店」を称するようになり、併せて「山形屋」の名称も使用していた。)は、既に江戸時代から、古い暖簾を誇る大海苔店として人々に広く知られ、その結果、海苔及び海苔店について「山形屋」、「山形屋海苔店」といえば、このDの海苔店及び商品を指すものとして、一般世人に広く認識されていた。ところが、このDの海苔店は、昭和初頭の大恐慌にあつて一時家運衰退し、そのため、当時博文館の経営等で有名な実業家であつたE家の財政援助を受けることになり、引続き昭和八年には法人組織に改組されて、Dの海苔店の営業一切を受け継いだ株式会社山形屋海苔店(以下「旧会社」という。)が設立されるに至つた。旧会社は、E家の強力な支援もあつて、往時の隆盛をしのぐ発展を示し、日本橋の本店のほか、築地、渋谷、神楽坂などにも出店し、大森に工場を有して盛大に海苔店(小売及び卸売)を営むとともに、その商品に「山形屋」、「山形屋海苔店」、「株式会社山形屋海苔店」などの標章を常に使用した。その結果、前記したD時代の盛名と相俟つて、旧会社の右標章及び名称は、引続き広く一般に知れわたつていた。
以上のとおり、「山形屋」、「山形屋海苔店」及び「株式会社山形屋」の標章は、Dの海苔店及び旧会社の商品又は営業の表示として著名になり、かつ、著名であつたものであり、債権者又はその前身たる者によつて著名にされたものでもなく、その商品又は営業の表示として著名であつたものでもない。
もつとも、旧会社は、第二次大戦中、戦時統制令の発布により海苔の自由営業ができなくなつた上、間もなくその店舗、工場が戦災によつて焼失し、従業員の大部分も徴兵されるなどしたため、やむなく休業するに至り、戦後も旧会社そのものは結局再開されないまま事実上閉鎖された。しかし、旧会社の営業及び商品の表示として著名であつた「山形屋」、「山形屋海苔店」、「株式会社山形屋海苔店」などの標章及び名称は、その著名性が世人の意識の中に深く根付いていたので、戦後も長く記憶され、少なくとも戦前を知る人の中には、現在においても、「山形屋」、
「山形屋海苔店」などといえばDの海苔店又は旧会社及びその商品を想起する人が多数いる。
なお、旧会社は、登記上はその後も存続していたが、実体的には内容のない状態で、債権者がその株式をFから買い取つてその傘下におさめたとしても、全く形骸だけのことにすぎない。
(二) 債権者の沿革 債権者の沿革は、事実上、初代Gが、明治二八年ごろ、現在の東京都中央区<以下略>において「山形屋窪田甚之助商店」の屋号で個人営業の海苔店を開業したのに始まるといわれる。
右初代Gは、旧姓「H」であつたが、前記D家の娘「I」と結婚して「D」と改姓し、「I」との結婚は数カ月で破婚となつたにもかかわらず、その後も「D」姓を名のつていた。D家では、右の事情から、初代Gが「D」姓を得るための方便として「I」との結婚を利用したものと考え、Gの海苔店が「山形屋」の文字を冠することを認めてはいなかつた。したがつて、Gの海苔店は、Dの山形屋海苔店から暖簾分けされたものでも分店されたものでもなく、D家とは無関係に、初代Gが独自に営業してきたものにすぎない。そのため、Dの海苔店及び旧会社と初代から三代目までのGの海苔店とは全く交際がなく、D及び旧会社側では、その顧客に、Gの海苔店は自分達と無関係であることを屡々釈明していた。また、初代Gの海苔店は、看板等に屋号を表示するにあたつては、「山形屋」の文字は「窪田甚之助商店」の文字に比して小さく書かれていた。
この初代Gの海苔店は、その後二代目G、次いで三代目Gに受け継がれ、その間に屋号は「山形屋窪田商店」と改め、昭和一九年ごろまで継続した。そして、その間に、Dの山形屋海苔店及び旧会社の盛名にあやかつたこともあつて、Gの海苔店もそれなりの発展を遂げた。しかし、Gの海苔店は、Dの海苔店及び旧会社と比較した場合、その営業規模は格段に小さく、売上高もはるかに少なかつた。しかも、
Gの海苔店は、当初「山形屋窪田甚之助商店」、その後「山形屋窪田商店」と称し、単に「山形屋「又は「山形屋海苔店」と称した事実も、また顧客にそのように略称された事実もない。当時、「山形屋」又は「山形屋海苔店」といえば、Dの海苔店及びこれを受け継いだ旧会社のことを一般には指称しており、Gの海苔店は、
業者間では「窪甚」又は「窪甚の店」と称されていた。
戦後、昭和二一年一〇月、個人商店である右「山形屋窪田商店」を母体として、
「合資会社山形屋窪田商店」が設立され、更に昭和二二年一一月に右合資会社を母体として債権者が設立された。債権者の当初の商号は、「京橋山形屋海苔店株式会社」で、昭和三三年一一月に現在の商号「株式会社山形屋海苔店」に変更されたものである。
債権者が現時点において海苔店として相当程度の発展をしているとしても、それは、昭和二〇年代末期から、戦後のいわゆる流通革命で、各地に集合店舗(名店街など)が作られた際、債権者が積極的にこれに出店し、成功して以来のもので、この成功も、もとをただせば、D及び旧会社による「山形屋海苔店」の長年にわたる盛名の上に結果的に築かれたものといつても過言ではない。
(三) 債務者の沿革 前記のとおり、戦時中まで盛大に海苔店を営業していた旧会社は、戦災によつて店舗、工場全部を焼失し、休業状態に陥ったが、戦後間もなく、旧会社の関係者や従業員らにより旧会社復興の気運が生じ、これを受けてもと旧会社で働いていたA、Cらが旧会社再開のため奔走した。しかし、旧会社の経営者であつた前記E家の事情等から、旧会社再開のめどがたたず、そのうち、かえつて、Aらは、E家から別に会社を設立して旧会社の営業を引き継ぐよう勧められた。そこで、Aらは、
旧会社再開までのつなぎとしてとりあえず会社を設立し、旧会社の取引先などの営業全部を事実上受け継ぎ、東京都中央区<以下略>において海苔店の営業を開始することにした。右会社が債務者である。
債務者の設立当初の商号は「大丸食品工業株式会社」と称していたが、それは、
旧会社を復興するときのことを慮つて正式の商号において「山形屋」を名のることをしなかつただけで、設立当初より「山形屋」、「山形屋の海苔」、「山形屋海苔店」など旧会社の使用していた標章を、商号とは別に、その商品である海苔に使用してきた。なお、債務者の受け継いだ旧会社の取引先には、旧会社の最大の顧客であつた三越百貨店をはじめとする各地の海苔店、商店が含まれている。
右設立後、債務者は、順調に発展し、特に昭和二三年に深川森下町に新工場を建設し、本店を同所に移転してからは、旧会社の実質的後継者として旧会社以来の取引先の支援もあつて、次第に取引量は増大し、客層も拡大して、「深川の山形屋」と通称され、海苔店として確固たる地歩を占めるに至つた。
昭和三四年には、それまで旧会社復興に尽力するかたわら、債務者の営業を後援していたE家のEやCも、旧会社の再開が不能であるとして、正式に債務者の取締役に就任し、その経営に参加することとなり、それに伴い、同年一〇月一日、債務者は、商号を「株式会社山形屋海苔店」に変更し、使用中の標章と商号を一致させるとともに、旧会社の後継者としての名実を合致させた。
右を契機に、債務者は、特にEの方針もあつて、是に積極的に営業を展開し、ラジオ、テレビ等で盛んに宣伝する一方、鉄道弘済会を通じての駅売りにも進出し、
また新規取引先の獲得に努めるなど、一気に業容の拡大をはかつた。ところが、これがかえつて、資金計画に齟齬をきたし、また、不測の取引事故に遭遇するなどの不運も重なつて、内容が急激に悪化し、昭和三五年四月には、一時解散せざるを得なくなつた。
しかし、債務者の解散にもかかわらず、その営業そのものは、A及びCの両名で引続き行うこととなり、Aらは、前記深川森下町の工場、事務所はもちろんのこと、債務者の有していた機械設備、什器備品、原材料、資材その他一切の物、全従業員、取引先等、債務者の営業全部を受け継ぐとともに、債務者の使用していた「山形屋」、「山形屋海苔店」などの標章もそのまま受け継ぎ、「山形屋海苔店」の名称で、債務者の営業を継続した。債務者解散の前後にわたり実際の営業は継続して行われた結果、取引先の中には債務者の解散を知らなかつたものも多かつたのである。
このA及びCの「山形屋海苔店」は、その後順調に推移し、鉄道弘済会を通じての駅売りも続き、次第に往時の盛況を取り戻すに至つた。
なお、この間、取引先によつては、会社名義での取引を希望するものもあり、その場合には、解散中ではあるが、債務者名義で取引することもあつた。
昭和三九年一一月に、右「山形屋海苔店」の営業も順調に推移し、他方債務者の負債整理もほぼ終了したので、A及びCは、債務者の営業を正式に再開することにし、債務者を継続して、右「山形屋海苔店」の営業全部を再度債務者に引き継いだ。
以後は、債務者において再び右海苔店の営業を引続き行つてきたが、その営業は極めて好調であつた。しかるに、昭和四五年、前記深川森下町の工場、倉庫、事務所が火災により全焼し、在庫商品を全部失つたため、債務者は多額の損害を受け、
その後漸次その営業を縮小せざるを得ない事態となり、昭和四九年夏ごろからは半ば休業の状態に陥つた。しかし、昭和五一年初旬ごろ、債務者は営業を再開し、昭和五三年には、本件の発端となつた大阪のスーパー「ジヤスコ」との取引を始めるに至つたものである。
(四) 本件登録商標出願の経緯 旧会社は、D家の個人営業時代を通じ伝統的に使用してきた標章について多数の商標権を有していたが、その一部として、次の二つの商標権を有していた。
(1) 出願日 昭和一二年五月六日 公告日 昭和一四年一一月九日 登録日 昭和一五年三月二日 登録番号 第三二七五八六号 登録商標 別紙商標目録(三)記載のとおり 指定商品 旧商標法施行規則(大正一〇年農商務省令第三六号)第15条の規定による商品類別 第四五類海苔、青海苔、海苔佃煮(2) 出願日 昭和一二年五月一六日 公告日、登録日、指定商品 (1)と同じ。
登録番号 第三二七五八七号 登録商標 別紙商標目録(四)記載のとおり 旧会社の右各登録商標は、前記のとおり、旧会社が昭和一九年に休業のやむなきに至り、戦後も復興されなかつたので、その存続期間更新の登録をされないまま、
昭和三五年三月二日、期間満了により失効するに至つた。
ところで、本件登録商標はいずれも、旧会社の前記登録商標が失効する前である昭和三四年一二月二五日に出願されたものであるが、これらを対比すると、本件登録商標(一)と旧会社の前記登録商標の(1)とは、いずれも手書きの文字により「株式会社」の下に「山形屋海苔店」と続けて縦書きしたものから成り、本件登標商標(二)と旧会社の前記登録商標の(2)とは、いずれも手書きの文字により「山形屋海苔店」と縦書きしたものから成つており、その構成において全く同一といつてもよいものであり、指定商品も重複している。そのため、本件登録商標の出願は昭和三五年九月一三日拒絶査定されたが、債権者は同年一〇月一七日抗告審判請求をし、その審理中に旧会社の前記登録商標が失効してから一年を経過したため、拒絶理由が解消したとして、昭和三七年四月二四日、右拒絶査定を取り消す旨の審決がされ、その後、公告、登録に至つたものである。
以上の経緯から明らかなとおり、債権者は、本件商標権を、いわば、もともとは他人が商標権を有していた商標について、当該他人が当該商標権を失効させたのを奇貨として取得したもので、その意味で、本件商標権は、その成立に極めて不明朗な点があるものといわなければならない。更に、本件商標権は、Dの海苔店及び旧会社によつて著名なものとされた商標に、実質的に便乗せんとする意図の下に取得されたものであつて、債権者の本件商標権の取得には不純な目的がある。
(五) Jの山形屋の存在 旧会社とは別に、前記Dの一族で、江戸末期に同じ日本橋室町において乾物問屋を開いたJ(初代)という者があり、このJの店も代々「山形屋」を称していたが、三代目Jは、戦後に至つてもつぱら海苔を商うようになり、それに伴い、乾物店「山形屋」ではなく、海苔店「山形屋」を称して営業していた。このJの店も、
所在地が旧会社の近所であつたことも幸して、かなり繁盛していた。ただし跡継ぎのないまま、Jの海苔店は昭和四〇年ごろ廃業している。なお、債務者の創立に関わつた前記Cは、三代目Jの弟である。
右のとおり、債権者が本件登録商標の出願をし、登録を受けた当時、債務者はもちろんのこと、Jの海苔店も「山形屋」を称し、「山形屋」等の標章を使用していたもので、そのことは、債権者も十分承知していた。
四 抗弁に対する認否及び反論1 抗弁1は否認する。
(一) 債務者の商号は、昭和三四年一〇月一日、大丸食品工業株式会社から株式会社山形屋海苔店に変更されたが、当時は、旧会社は休業してしまつており、他方債権者は山形屋海苔店として著名であり、かつ、活発に活動していた。債務者の右商号変更は、旧会社の関係者であるEを代表者にむかえて体裁をつくろい、あたかも著名な山形屋海苔店の復興であるかのごとく装つた悪意の商号選定で、いわゆる只乗り、便乗利用の一種である。このように、悪意で選定された商号の使用は、本件商標権の設定の登録前にされたものであつても、商標法第26条第1項第1号の規定の「普通に用いられる方法で表示する商標」に当たらない。債務者の現商号の使用についても、右と異ならない。
(二) 債務者標章3、5は、ことさら顧客の目を引くよう工夫をこらした書体であり、箱、包装袋、罐等の表面、裏面の中央又は中央下部等の人目を引き易い位置に印刷表示されていることからすれば、商標法の前記条項の「普通に用いられる方法で表示する商標」には当たらない。
2 抗弁2は争う。
債権者が、昭和三八年に東京都杉並区<以下略>所在の訴外株式会社山形屋に対して「株式会社山形屋」の商号及び「山形屋」の標章の使用差止訴訟を提起し、昭和三九年に山形屋海苔店ことA及びCの両名に対し<12302-001>の標章の使用差止訴訟を提起したにもかかわらず、債務者及び右A、Cの両名に対し「山形屋」、「山形屋海苔店」の名称及び標章の使用については差止訴訟を提起しなかつたことは事実であるが、だからといつて、債務者らに右標章の使用を許容したものではない。債権者がAらに<12302-001>の標章の使用差止めを内容証明郵便で通告したときは、本件商標権は未だ設定の登録がなされていなかつたから、
右標章の使用差止めのみを求め、Aらがこれに応じなかつたためそのまま訴訟に移行させたまでであつて、
「山形屋海苔店」等の使用差止めを訴求しなかつたことに他意はない。なお、その後のAら及び債務者の営業活動は、見るべきものもなかつたので、何ら差止請求をする必要がなかつたが、昭和五二年七月ごろから不明朗な活動が出始め、昭和五三年になつて大々的に海苔が販売されるに至つたので、本件申請に及んだものである。
3 抗弁3は争う。
(一) 債権者の沿革と本件登録商標の著名性の由来 債権者代表者Gの祖父初代Gは、明治二八年ごろ、D家の山形屋海苔店の当主Dの娘「I」と結婚して、Dの許しを得て現住所地において「山形屋窪田商店」の屋号を用いて海苔店(問屋と小売業)を開業した。そのころの魚河岸は築地ではなく現在の東京都中央区日本橋にあり、海産物店もその近辺に集中しており、明治三三年ころには有力海苔業者一一店をもつて作られた「日本橋中央十一店会」が全国海苔業界を牛耳つていたが、初代Gの「山形屋窪田商店」もその会員であつた。その後、二代目G(大正八年から昭和三年まで)の時代には、益々発展を重ね、その販売海苔数は国内最高に達していた。例えば、大正一四年ころには、年間二〇〇〇万枚、現在の標準価格一帖金四〇〇円により換算すると実に年間の売上高は八〇億円にも達したものであり、したがつて、業界はもちろん需要者の間においても、日本橋のDの山形屋とは別個に、「海苔の山形屋」、「山形屋の浅草海苔」として、著名な業者となり、債権者独自の「山形屋」の名は周知であつた。
二代目Gが病死するや、債権者の現代表者Gが三代目を襲名し営業を承継したが、やがて日支事変が始まつて徴兵され、更に昭和一九年戦時統制令により東京に海苔統制組合が生まれて、海苔の自由営業に終止符がうたれ、配給の海苔を配給販売するのみとなり、日本橋の旧会社は休業状態となり、Gの「京橋山形屋」は休業こそしないが営業縮小のやむなきに至つた。しかし、当時の統制組合員約二八〇名中Gの「京橋山形屋」はもともと販売実績の多い有力業者であつたから組合役員に選ばれ、Gの伯父がGに代わつてその役に就任した。
その後戦時統制が撤廃され、Gも復員し、昭和二一年八月空襲で焼失した店舗を再建して、直ちに営業活動を開始した。しかし、時代の進展に即応して営業形態を法人組織にするのが有利と考えられたので、個人営業時代既に有名となつていた「山形屋」の営業実体そのものを母体として、昭和二一年一〇月一日、資本金一〇万円の合資会社「山形屋窪田商店」を設立した。そして、同社が焼け跡に再建した新店舗で「山形屋」、「山形屋海苔店」として営業を行つたので、業界も顧客も、
旧来の「山形屋海苔店」が再開したものとして購買してくれた。
昭和二三年一一月、右合資会社を解散し、債権者が設立された。債権者は、右合資会社とその主要構成員も店舗も屋号も全く同一で、右合資会社から初代G以来の営業基盤一切を無償で承継しており、業界、顧客から、昔からの山形屋海苔店として認められた。
債権者は、厳しく品質を吟味して商品そのものについて優秀であるとの長い伝統を守るのみならず、高級贈答品としての市場性を獲得するため商品に使用する缶、
化装箱、包装紙の意匠にもユニークなものを工夫し、宣伝費も相当かけ、名実共に「海苔の山形屋」、「山形屋の海苔」というイメージを一般需要者に植えつけ、現在のように発展したものである。
以上のとおり、債権者の有する本件登録商標は、債権者の歴史及び企業努力の結果得られた有名商品の出所を示すものであり、債権者のいよいよの発展及び企業防衛のため本件商標権が必要であることは多言を要しない。
なお、日本橋のDの山形屋は、昭和八年ごろ、経営の不振からか、Dの娘の嫁ぎ先であるE家の当主Kに経営一切を移譲し、Kは、これを株式会社山形屋海苔店(旧会社)に改組し、ここにDの海苔店はなくなつた。旧会社も戦時中休業状態に陥り、空襲で店舗も焼失し、戦後海苔店として再開もされず、東京都新宿区<以下略>に本店も移転し、専ら金銭の貸付等を業とするに至つた。昭和三八年ごろ、人を介して債権者代表者G個人に旧会社の株式の買取方の打診があり、
Gが全株式を当時の所有者Fから買い取り、社名も山形屋食品工業株式会社と改め、本店も調布市に移し、工場を建築して海苔茶漬を製造した上債権者に全品納入させ、実質上債権者の傘下に入つている。
(二) 債務者の沿革 債務者は、昭和二二年八月一一日、東京都中央区<以下略>を本店とし、商号を大丸食品工業株式会社として、Aにより設立され、昭和二四年七月二七日には東京都江東区<以下略>に本店を移転し、昭和三四年一〇月一日には商号を株式会社山形屋海苔店と変更し、同時に東京都千代田区<以下略>に本店を移転して小売店舗を設け、わずか五ヵ月後の昭和三五年三月一〇日には解散して清算法人となり、再び本店を深川森下町に移し、昭和三九年一一月一〇日には継続の決議をして旧に復している。その後、商号を株式会社山形屋に、次いで株式会社山形屋海苔店に、そして現商号に、それぞれ変更し、本件仮処分申請後本店を現住所地に移している。
昭和三四年一〇月の商号変更の時点で、旧会社の経営者Kの子で旧会社の元取締役のEを代表取締役に、Dの血脈の一人であるといわれるCを取締役に迎えたが、
Eは、昭和三四年春ごろ、日本橋大通りで偶然Aに声をかけられ、日本橋の山形屋海苔店(旧会社)を再開しようともちかけられ、その言葉に釣られて大丸食品工業株式会社に入つたものである。すなわち、A、Cらは、Eをかつぎ、大丸食品工業株式会社を商号変更して株式会社山形屋海苔店とし、あたかも旧会社の復興のごとくみせかけ、営業を始めたが、わずか五ヵ月で行き詰り、解散したものであつて、
債務者は、旧会社の実質を法律上はもちろん事実上も承継した会社ではない。そして、当時の債務者は、訴外天笠商店に対し買掛代金が支払えず、Eが個人で小切手で支払い、それを不渡りにするなど、全く経営基盤がなく、A及びEが右の件につき詐欺容疑で書類送検されるなど、物的、人的にいかがわしい会社であり、その実体は今日も変わつていない。
(三) 本件登録商標出願の正当性 債権者の沿革は前述したとおりであつて、旧会社が昭和一二年五月に別紙商標目録(三)及び(四)記載の各商標の登録出願をした当時、債権者の前身であるG個人の海苔店も「山形屋」あるいは「山形屋海苔店」として著名であり、「山形屋」等の標章が広く需要者に認識されていたので、旧会社の右商標権により右標章の使用を差し止められる理由のない立場にあつた。このような実績の下に、債権者は、
債権者独自の著名性を商標権として保護を受けるために、商標登録出願をし、旧会社の商標権が消滅した結果、債権者が本件商標権を得たにすぎず、本件商標権を得るについて、便乗とか只乗りとか、それに類する行為はない。
五 再抗弁 債務者は、昭和三五年四月から昭和三九年一一月まで約四年八月の長期間にわたり解散して営業活動を中止していたので、商号を廃止したものとみなされる。したがつて、昭和三九年一一月一〇日継続の決議により清算法人から普通の法人に戻つたとしても、「株式会社山形屋海苔店」更に現商号を選定使用する行為は、不正競争の目的によるものである。
よつて、債務者が債務者標章を使用する行為は商標法第26条第2項の規定により本件商標権の侵害となる。
六 再抗弁に対する認否 否認する。
証拠(省略)
理 由一 債権者が本件商標権を有していることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実によれば、本件登録商標(一)は、手書きの文字により「株式会社」の下に「山形屋海苔店」て続けて縦書きしたものから成り、本件登録商標(二)は、手書きの文字により「山形屋海苔店」と縦書きしたものから成つていることが認められる。
二 債務者が債務者標章3及び5を海苔製品の包装袋、瓶、包装箱、罐等の容器及び包装紙に附してこれを販売し、右標章を使用していることは、当事者間に争いがない。また、債務者製品の瓶詰海苔であることについて当事者間に争いがない疎検甲第三号証、
証人Lの証言及び弁論の全趣旨により債務者製品の袋詰海苔であると認められる疎検甲第二号証並びに債務者製品の瓶詰海苔であると認められる疎検甲第四号証(証人Aの証言のうち右認定に反する部分は措信し得ない。)、証人Lの証言、同証言により真正に成立したものと認められる疎甲第三号証、証人Aの証言(後記措信し得ない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨によれば、債務者が昭和五三年四月ないし七月ころ債務者標章1、2及び4を海苔製品の包装袋、瓶、包装箱等の容器に附してこれらの標章を使用したこと、及び将来において使用するおそれがあることが認められ、証人Aの証言中右認定に反する部分は措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右の事実によれば、債務者標章は、債務者標章4の「東京」の部分のみ活字体、
その余はいずれも毛筆の崩書きをした書体により横書きしたもので、債務者標章1は「山形屋海苔店」、同2は「東京山形屋」、同3は大きい「山形屋海苔店」の上に小さい「株式会社」左に小さい「東京」、同4は小さい「東京」の右に大きい「山形屋海苔店」、同5は「東京山形屋海苔店」の各文字により成るものであることが認められる。
三 そこで、本件登録商標と債務者標章の類否について判断する。
債務者標章1は、横書きである点及び書体において本件登録商標(二)と相違するが、両者は称呼及び観念において同一であり、全体として類似していると認められる。
債務者標章2は、外観称呼観念のいずれにおいても本件登録商標と同一ではないが、「山形屋」という部分を含んでいる点が両者に共通している。そして、本件登録商標(二)のうち、「海苔店」の部分は、指定商品である海苔について使用する場合には、商品についての識別力を有するとは認められず、「山形屋」の部分が商品についての識別力を有するものと認められるから、「山形屋」の部分が本件登録商標(二)の要部であると認められ、他方、債務者標章2のうち、「東京」の部分は地名を冠したものにすぎず、やはり「山形屋」の部分が主として商品についての識別力を有するものと認められるから、「山形屋」の部分が債務者標章2の要部であると認められる。したがつて、債務者標章2と本件登録商標(二)とはそれぞれの要部である「山形屋」の部分において称呼観念が同一であり、全体として類似しているものと認められる。
債務者標章3は、外観称呼観念のいずれにおいても本件登録商標と同一ではないが、そのうち「東京」の部分は、小さい文字とされている上、債務者標章2について述べたと同様、地名を冠したものにすぎないから、債務者標章3の要部ではなく、その余の部分は、称呼及び観念において本件登録商標(一)と同一である。
したがつて、債務者標章3と本件登録商標(一)とは、全体として類似しているものと認められる。
債務者標章4及び5は、いずれも、外観称呼観念のいずれにおいても本件登録商標と同一ではないが、そのうち「東京」の部分は、債務者標章2について述べたと同様、地名を冠したものにすぎないから、要部ではなく、その余の部分は、称呼及び観念において本件登録商標(二)と同一である。したがつて、債務者標章4及び5と本件登録商標(二)とは、全体として類似しているものと認められる。
以上のとおり、債務者標章はいずれも本件登録商標(一)又は(二)に類似している。
四 以上の事実によれば、債務者は、海苔製品について本件登録商標に類似する債務者標章を現に使用し、又は将来使用するおそれがあると認められる。そして、乾海苔、焼海苔、味付海苔その他の海苔製品は、本件商標権の指定商品に属するものと認められる。
五 そこで、次に抗弁1について判断する。
債務者標章3は債務者の商号それ自体と、債務者標章5は債務者の商号から「株式会社」を除いたものと、同一の文字により構成されているものであるから、いずれも、債務者の名称を表示する商標ということができる。しかし、いずれも債務者製品の海苔罐であることについて当事者間に争いのない疎検乙第一号証及び第二号証によれば、
債務者標章3はほぼ別紙標章目録3記載の大きさで罐の正面下方に表示されるものであることが認められ、また、前顕疎検甲第四号証によれば、債務者標章5はほぼ別紙標章目録5記載の大きさで包装箱の正面及び背面下方、プラスチツク製瓶の側面に貼布されたラベル等に表示されるものであることが認められる。これらの事実によれば、これらの標章は、これらが附される罐、瓶又は箱の大きさとの対比において相当程度大きく、かつ、需要者の注意をひきやすい場所に表示されているということができ、このことと、別紙標章目録の表示より明らかなようにこれらの標章が特徴のある崩書きの書体により書かれたものであることを考慮すれば、商標法第26条第1項第1号の規定の「普通に用いられる方法で表示する商標」に当たるとは認められないといわなければならない。
よつて、抗弁1は理由がない。
六 次に、抗弁2について判断する。
債権者が、昭和三八年に東京都杉並区所在の訴外株式会社山形屋(当時)に対して「株式会社山形屋」の商号及び「山形屋」の標章の使用差止訴訟を提起し、昭和三九年に山形屋海苔店ことA及びCの両名に対し<12302-001>の標章の使用差止訴訟を提起したにもかかわらず、債務者及び右A、Cの両名に対し「山形屋」、「山形屋海苔店」の名称及び標章の使用については差止訴訟を提起しなかつたことは、当事者間に争いがない。しかし、債権者代表者尋問の結果によれば、債権者が右A及びCの両名に対し<12302-001>の標章の使用の差止めのみを訴求したのは、訴えの提起に先立ち、昭和三八年に<12302-001>の標章について内容証明郵便によりその使用の中止を求めた経緯があつたからであり、
右内容証明郵便を発した当時は、債権者は<12302-001>の商標権を有していたが、本件商標権は未だ設定登録前であつたために、「山形屋」、「山形屋海苔店」の名称及び標章についてまでは使用の中止を求めなかつたものであることが認められ、また、成立に争いのない疎甲第五号証によれば、右の訴訟は、昭和四〇年九月七日の第一〇回口頭弁論期日において、右A及びCの両名が原告に対し<12302-001>の商標を使用しないことを約すること等を内容とする和解が成立して終了していることが認められ、これらの認定を覆すに足りる証拠はない。そして、証人Cの証言、証人Aの証言(後記措信し得ない部分を除く。)、これらの証言により真正に成立したものと認められる疎乙第六、第七、第一九、第二〇号証、第二四、第二五号証の各一、二、第二六号証の一ないし三、第二七号証、第四五号証の一ないし三並びに成立に争いのない疎甲第一〇、第一一号証及び疎乙第四〇号証によれば、右A及びCの両名は、債務者が昭和三五年四月一三日に解散の登記をして営業を停止した後、東京都江東区深川森下町において細々と「山形屋海苔店」の屋号で海苔店を経営していたが、昭和三六、七年ころから鉄道弘済会と取引をするようになり、債権者から前記訴訟を提起されたころには、川崎市のスーパー「サンコウ」に出店する等取引が拡大していたこと、その後、右訴訟係属中の昭和三九年一一月二七日に債務者は継続の登記をしたものの、海苔店は右A及びCの両名の個人営業のまま継続し、昭和四三、四年ごろ資金が続かずに廃業したこと、債務者の営業は、昭和五一年になつて訴外新朝日興産株式会社から資金援助を受けてようやく再開され、昭和五二年ころから大阪のスーパー「ジヤスコ」との取引を開始したところ、昭和五三年になつて、本件仮処分申請がされたものであることが認められ、証人Aの証言のうち右認定に反する部分は措信し得ず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、債権者は、昭和三八年九月一〇日に本件商標権を取得した後、右認定の経緯により前記A及びCの両名に対し<12302-001>の標章の差止めを求めて、その目的を達し、その後右両名の営業も廃業され、債務者の営業も再開されなかつたところ昭和五二年ころから債務者が「ジヤスコ」との取引を開始したことから本件仮処分申請に及んだものであつて、
債権者が債務者に対し本件商標権に基づく差止請求権を実質的に放棄したとか、債権者が権利の上に眠つていたとか認めることはできない。債務者が抗弁2において主張している本件商標権の設定登録前の事情は、仮にそのすべてが認められると仮定しても(後記七において述べるとおりそのすべてを認めることはできない。)、
右の判断に影響を与えるものではない。
したがつて、抗弁2は理由がない。
七 最後に抗弁3について判断する。
1 成立に争いのない疎甲第八、第九号証、第一三ないし第一五号証、第二七、第二八、第三三号証及び疎乙第一四、第一五、第三五号証、第五一ないし第五三号証、前顕疎甲第一〇、第一一号証、債権者代表者尋問の結果、同尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第二〇号証及び第三五号証、証人A及び同Cの各証言(後記措信し得ない部分を除く。)並びにこれらの証言により真正に成立したものと認められる疎乙第一、第二号証、第一八号証の一、二、第三一、第四八、第四九号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められ、証人A及び同Cの各証言並びにこれらの証言により真正に成立したものと認められる疎乙第一一、第三七号証及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる疎乙第五六号証の各記載中の右認定に反する部分はにわかに措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 海苔店について「山形屋」という屋号を初めて使用したのは、明和元年(一七六七年)に創業し、元明元年(一七八一年)に日本橋室町に移転して営業をした「山形屋」である。この山形屋の当主は代々Dを襲名し、順調に営業を拡大し、江戸時代に既に江戸の代表的海苔店として知られるに至り、その後、明治、大正時代にも地方にまで名を知られた代表的海苔店として繁栄していた。しかし、個人商店としてのDの山形屋海苔店は経営に行詰りを生じたので、昭和八年、Dは姻戚関係のあつた実業家Kにその経営を委ね、同年三月一日、Eにより「株式会社山形屋海苔店」(旧会社)が設立され、Dの山形屋海苔店の営業一切を承継して海苔店の営業が開始された。旧会社の「山形屋海苔店」も、ますますの発展を示し、日本橋の本店のほかに、渋谷、神楽坂、築地等にも支店を出すなど、代表的海苔店としての名声はゆるぎないものであつたが、戦災により店舗及び工場を失うなどの事情から、昭和一九年に、Kが死亡するとともに、閉店休業するに至つた。戦後も、
旧会社による海苔店の営業は今日に至るまで再開されず、旧会社自体は、その後、
山形屋食品工業株式会社に商号を改め、債権者の系列会社となつている。
(二) 明治二九年、Hは、五代目Dの娘と結婚してGを名乗り、京橋に「山形屋」の屋号を使用して海苔店を開業した。Gの海苔店は、Dの海苔店と区別する意味で、業界では「窪甚」と呼ばれていたが、Dの「山形屋」の分家の「山形屋」として扱われており、初代G及び二代目Gの時代に、本家とは別個に独自の商域を築き、昭和初頭には、年間約二〇〇〇万枚の海苔を販売し、東京のみならず、日本全国、遠くは満洲、台湾にまで小包販売をするなど、東京の海苔業界でも中堅の業者に発展した。三代目G(現債権者代表者)の時代も、これを受け継いで営業を行つていたが、やはり昭和二〇年に戦災で店舗等を焼失した。しかし、Gは、昭和二一年に復員してすぐに海苔店の営業を再開し、同年一〇月一日には、「合資会社山形屋窪田商店」を、昭和二三年一一月二五日には、「株式会社京橋山形屋海苔店」(債権者)を設立して、これらに順次G個人の海苔店の営業一切を引き継いだ。債権者は、京橋の本店のほかに、人の出入りの多い場所に直営店を出すとの営業方針の下に、昭和二八年にまず東京駅名店街に直営店を出店したのを初めとして、昭和三二年に数寄屋橋、昭和三九年に新宿及び横浜と、次第に直営店を増やし、また、
テレビ、ラジオ等を通じて積極的に宣伝活動を行うなどして、商域を拡大した。その間、昭和三三年一一月には、商号を「株式会社山形屋海苔店」に改め、昭和五五年には、資本金一億円、直営店売店等三二〇店舗、年間の宣伝広告費約四億七〇〇〇万円の代表的海苔業者に発展し、現在では、海苔店について「山形屋」あるいは「山形屋海苔店」といえば、債権者を指すものとして広く知られるに至つている。
(三) 旧会社の元従業員のAは、戦後旧会社が復興されないので、自ら海苔の販売を開始し、その後、昭和二二年八月一一日、「大丸食品工業株式会社」(債務者)を設立して、自ら代表者となり、海苔の製造、販売業を営んだ。昭和三四年になつて、右Aは、旧会社の元取締役であり、前記Kの次男であるEと、Dの親戚であり、明治のころから日本橋で「山形屋」の屋号で営業していた乾物店の当主Jの弟であつて、旧会社及びJの経営する海苔店に関係していたCとに、債務者の経営への参加を求め、同年一〇月、債務者は、Eを代表取締役に、Cを取締役に迎えるとともに、商号を「株式会社山形屋海苔店」と変更した。そして、債務者は、旧会社の営業を承継する会社であるとして、宣伝をし、営業活動を行つたが、翌昭和三五年には早くも資金繰りができなくなり、また、右Aが詐欺罪により服役し、右E、Aの両名が別の詐欺事件で書類送検されるなどの事態が生じたため、同年四月一三日に解散の登記をして、営業活動を停止するに至つた。(その後、右A及びCの両名が「山形屋海苔店」の屋号で海苔店を経営したこと、債務者は昭和三九年一一月に継続の登記をし、昭和五一年から営業を再開したことなどは、前記六において認定したとおりである。)(四) 旧会社は、昭和一二年五月、別紙商標目録(三)及び(四)記載の各商標の登録出願をして、昭和一五年三月にその登録を受けたが、前記のとおり昭和一九年に休業したまま営業を再開しなかつたので、更新登録の出願もせず、昭和三五年三月二日、右各商標の商標権は存続期間が満了し、昭和三七年四月二日、その抹消の登録がされた。
債権者は、旧会社が右のように休業状態に陥つていることから、旧会社の休業に乗じて第三者が同じような名称を使用して営業をしたり、旧会社の前記商標権の存続期間が満了した後第三者が同じような商標について登録出願をするおそれがあると考えて、昭和三四年一二月二五日に本件登録商標の出願をした。ところが、昭和三五年三月三〇日、右出願の商標は旧会社の前記登録商標と類似であるとして拒絶理由の通知がされ、債権者は、同月二日をもつて旧会社の商標権は存続期間の満了により消滅したから、同日から一年が経過し右出願の商標に登録適格を生ずるまで審査の猶予を願いたい旨の意見書を提出したが、同年九月一二日、拒絶査定がされた。債権者は右拒絶査定に対し不服抗告審判の請求をしたところ、昭和三七年四月二四日、右拒絶理由は解消するに至つたとして、原査定を取消し、更に審査に付すべきものとする旨の審決がされ、その結果、本件登録商標は出願公告がされ、登録されるに至つた。
2 以上の認定事実によれば、債権者の債務者に対する本件商標権に基づく差止請求権の行使が権利の濫用であるということはできない。
債務者は、債権者の差止請求権の行使が権利の濫用に当たることの根拠事実の一つとして、債権者の発展はD及び旧会社による「山形屋海苔店」の盛名の上に築かれたものであることを挙げているが、債権者又はその前身であるGの山形屋海苔店が発展したのは、D及び旧会社による山形屋海苔店の盛名及び信用に助けられた面があつたことは、前記認定事実により推認するに難くないが、いわゆる分家が本家の盛名等に助けられて発展すること自体は、何ら問題とすべきことではないし(なお、初代GがDから「山形屋」の名称の使用を許されなかつたことを認めるに足りる証拠はない。)、特に戦後における債権者の発展は、前認定のとおりの債権者の営業努力によるところも大きいものと認めるのが相当である。
債権者は、また、権利濫用の根拠事実の一つとして、債務者は旧会社の経営者であつたE家から勧められてAらが設立したもので、旧会社の営業全部を承継した上、設立当初から「山形屋」等の名称を使用して海苔店を営業した旨主張しており、証人Aの証言、同証言により真正に成立したものと認められる疎乙第三六号証及び前顕疎乙第三七、第五六号証中にはこれに添う部分が存するが、前顕疎甲第二七号証、債権者代表者尋問の結果、同尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第一七ないし第一九号証及び証人Cの証言に徴してにわかに措信しがたく、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
更に、債務者は、権利濫用の根拠事実の一つとして、債権者による本件商標権の取得は不明朗であり、不純な目的によるものである旨主張しているが、前記認定のとおり、債権者の前身であるGの山形屋海苔店は、戦前旧会社がまだ営業をしていた時代に既に独自の商域を確立し、中堅の海苔業者に発展していたこと、旧会社は昭和一九年に営業を休止したままこれを再開せず、昭和三四年に債権者が本件登録商標の出願をした時には、既に約一五年もの期間にわたり休業状態が継続していたこと、他方Gは戦後直ちに営業を再開し、債権者の設立を経て、昭和三四年には直営店の出店を開始しており、より大規模な業者に発展しつつあつたことなどを考慮すると、本件登録商標の出願は、債権者の営業上の自衛策として、何ら異とするに足るものではないというべきである。
その他、Jの海苔店の存在等債務者のその余の主張事実は、債権者の債務者に対する本件商標権に基づく差止請求権の行使の当否を論ずるに当たり特に考慮すべき事実であるものとは認められない。
以上のとおりであるから、結局、抗弁3も理由がない。
八 以上の事実によれば、債権者は、債務者に対し、債務者標章を海苔製品について使用することの差止め及び債務者標章を附した海苔製品及びその包装の廃棄を求める権利を有するものと認められる。したがつて、債権者は、本件仮処分決定の主文第一項ないし第三項記載の裁判を求めるための被保全権利を有する。
そして、債務者が債務者標章を使用している商品が食料品であることを考慮すると、債権者がその品質等につき責任を負うことができない債務者の商品について債権者の商号又は商号から「株式会社」を除いたものと同一の文字から成る本件登録商標に類似する債務者標章を使用されることは、債権者の営業上の信用を著しく傷つけ、本案訴訟の確定を待つていては回復し難い損害を受けるおそれがあると認められるから、本件仮処分の必要性もまた存するものと認められる。
九 よつて、本件仮処分決定は正当であるから、これを認可することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条を適用して、主文のとおり判決する。
裁判官 牧野利秋
裁判官 大橋寛明
裁判官 設楽隆一
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