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関連ワード 指定商品 /  先使用(32条) /  外観(外観類似) /  称呼(称呼類似) /  観念(観念類似) /  判定 /  差止 / 
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事件 昭和 49年 (ヨ) 3807号
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裁判所 大阪地方裁判所
判決言渡日 1975/06/07
権利種別 商標権
訴訟類型 民事仮処分
主文 債権者の請求を却下する。
訴訟費用は債権者の負担とする。
事実及び理由
当事者双方が求めた裁判
債権者代理人は、
「債務者は別紙目録(二)記載の商標を使用し、またはこれを使用した競馬新聞を販売頒布してはならない。
債務者の別紙目録(三)記載の本社・支社内に存在する別紙目録(二)記載の商標を附した競馬新聞の占有を解いて、大阪地方裁判所執行官にその保管を命ずる。
この場合において、執行官は債務者の申出があるときは、右商標を除去した上、
競馬新聞を債務者に返還しなければならない。
執行官は第二項の趣旨を適当な方法で公示しなければならない。
申請費用は債務者の負担とする。」との裁判を求め 債務者代理人は主文同旨の裁判を求めた。
申請理由
一、債権者は「阿部商会」および「テスター社」の名称で印刷、出版業を営む会社である。
二、債権者は、つぎの商標(本件登録商標という)につき登録第一〇三八二六〇号をもつて登録を得た商標権者である。
出願日 昭和四五年二月二四日指定商品 26新聞、雑誌商標 別紙目録(一)のとおり公告日 昭和四七年九月七日登録日 昭和四八年一〇月一五日三、しかるに、債務者は本件登録商標と同一である別紙目録(二)記載の商標(イ号商標という)を債務者発刊の競馬新聞の題号に用いている。
四、債務者の右の行為は本件登録商標権を侵害するものであるから、債権者は右債務者の行為に対し差止めを求める権利がある。
五、債権者は本件登録商標を題号とする競馬新聞を発行すべく準備中であるが、既に債務者において同一名称を題号とする競馬新聞を発刊しているため、債権者が新聞を発刊すれば誤認混同が生じること明白であつて、債務者に対しイ号商標を競馬新聞に附す行為の差止めを求める本訴を提起すべきところ、通常訴訟は長年月を要し、本訴の確定をまつては著しい損害を蒙る恐れがあるので、本申請に及んだ。
債務者の主張に対する反駁
一、「競馬フアン」なる商標を題号とする刊行物が大正一五年八月以来刊行され、
その商標が債務者主張の如く承継されて使用の結果本件登録商標出願日たる昭和四五年二月二四日当時周知であつたとの事実は争う。
債務者は、「競馬フアン」の商標を題号とした新聞を、いわゆる西日本ブロツクの中京、京都、阪神、小倉において開催される中央競馬開催日に欠くことなく発刊して来たことにより右四地域一帯において周知である旨主張するが、周知の有無の判定時である昭和四五年二月二四日以前の発刊部数が債務者主張のとおりであるとしても、この程度の発行部数では右の地域において「競馬フアン」の商標を附した債務者の新聞が周知であつたというには足りない。
すなわち、債務者の主張によると、昭和四四年一月から一二月までの発行部数は僅か二八六、三二〇部であり、これは西日本ブロツクで年一七回(一回は八日間)延べ一三六日の開催日割にすると一日の発行部数二一〇五部にすぎず、売上部数を約五割と計算すると西日本ブロツク全体で僅か一、〇〇〇部余にしかならない。ちなみに、たとえば小倉競馬場において開催された場合、開催地以外の西日本ブロツクにおいても馬券は発売される例となつている。したがつて、一地区割にすると二〇〇部にしかならないことになる。昭和四五年一月から二月二四日までを検討してみても大同小異である。
右は、昭和四四年の日本中央競馬会公報による関西開催分の競馬場入場者数四、
二三四、八七二人、推測される場外人数約三、二八六、〇〇〇人の合計七、五二〇、八七二人(但し、顕在競馬人口であり、馬券購入を他に依頼する潜在競馬人口を加えれば、競馬人口は少なくとも顕在競馬人口の二倍は下らない)よりしても、
二八六、三二〇部という発行部数は対顕在競馬人口比較三・八七パーセントにすぎず、推測される売上部数を約五割とみれば、一・九三パーセントにすぎない。更に、潜在競馬人口を加えた競馬人口に比べれば僅か〇・九六パーセントにすぎないことになる。
したがつて、たとえ昭和四四年における債務者主張の新聞の発行部数が債務者主張のとおりであつたとしても、その新聞は極めて少数かつ特定の競馬フアンに知られていたものにすぎず、「他人の業務に係る商品を表示するものとして、需要者の間に広く認識されている商標」(商標法4条1項10号)としての「需要者の間の広範な認識」の要件には程遠いものであるといわなければならない。
二、関西中央競馬専門紙協会が債務者主張のとおり構成せられていることは認めるが、その協会が中央競馬会に公認されており、同協会に入会しなければ競馬新聞の発刊は事実上不可能であるとの債務者の主張は争う。
債務者が実質的な経営主体であると思われる株式会社東京優駿は右協会に加入していないし、その他にも、株式会社キンキの発刊する「競馬キンキ」も右協会には加入していないにもかかわらず、いずれも支障なく競馬新聞を発刊している。
三、債権者が昭和四五年二月二四日本件登録商標出願に際し、債務者主張の如く、
他に、「競馬ニホン」、「競馬データー」、「競馬ワールド」、「競馬ABC」も併せて出願したことは認めるが、債権者が競馬新聞の発刊を企図するに際し、そのうちいずれを題号に選択するかは債権者に与えられた権利であり、債権者としては、本件商標が登録済の他の商標と比べて平易な名称であり、競馬のフアンに親しみやすい商標であるから、その使用を企図しているものである。
申請理由に対する答弁
一、申請理由一の事実は不知。
二、同二の事実は認める。
三、同三の事実は認める。
四、同四の事実は争う。
五、同五の事実中、債権者が本件登録商標を題号とする競馬新聞を発刊すべく準備中であることは不知、その余は争う。
抗弁
債務者は、イ号商標について、先使用による商標使用の権利を有する。その事情はつぎのとおりである。
一、競馬ニユース等を報道する競馬新聞の題号に「競馬フアン」なる商標を使用したのは大正一五年八月であり、爾来右商標はつぎのような経過をたどつて、債務者に引き継がれた。
1 大正一五年八月、亡【A】が始めて「競馬フアン」なる商標の競馬新聞を発刊した。
2 昭和一五年九月、戦時体制に入り、政府から競馬新聞の発刊が禁止され、やむなく休刊となつた。
3 昭和二一年一一月、【A】のもと従業員であつた【B】が右商標の承継を受けて復刊した。
4 昭和三四年八月、【C】(債務者の代表取締役)が【B】から右競馬新聞の営業とともに「競馬フアン」の商標を承継した。
5 昭和四三年九月、株式会社東京優駿(代表取締役【D】は債務者の取締役)が【C】から新聞の営業権とともに「競馬フアン」の商標を承継した。
6 昭和四八年一一月、債務者(代表取締役は前記【C】)が株式会社東京優駿から新聞の営業権とともに「競馬フアン」の商標を承継し現在に至つている。
二、「競馬フアン」なる商標を使用した競馬新聞は、右に述べたとおり永年にわたつて使用されて来たのであり、新聞の発行部数たるや莫大なものであるが、最近数年についてあげれば次の如くである。
昭和四三年一〇月より一二月まで 七一、五八〇部 昭和四四年一月より一二月まで 二八六、三二〇部 昭和四五年一月より六月まで 三二九、七六〇部 昭和四六年一月より一二月まで 五八四、六四〇部 昭和四七年一月より一二月まで 八二八、〇〇〇部 昭和四八年一月より一二月まで 一、五六〇、九六〇部 昭和四九年一月より一二月まで 一、三二九、一二〇部 これらの競馬新聞は競馬場はもとより、駅構名の売店、市中の店頭において発売されて来た。
三、債務者が刊行している競馬新聞は西日本ブロツク関西地区で行われる中央競馬に関するものを掲載の対象とするもので、その中央競馬は、中京、京都、阪神、小倉の競馬場で開催されるので、右新聞の発売も右四地域一帯においてなされる。
競馬新聞の売上部数は通常発行部数の約六〇ないし七〇%を占める。【B】の発行当時は一日の売上部数は約五、〇〇〇部ないし六、〇〇〇部で、当時の業界新聞の全売上部数の約五〇パーセントを占めていた。また【C】の発刊当時の一日の売上部数は約二、〇〇〇部ないし三、〇〇〇部で、当時の業界新聞の全売上部数の約二〇パーセントを占めていた。
四、このように、「競馬フアン」なる商標を附した競馬新聞は大正一五年九月発刊されて以来、戦時中約六年間休刊されたものの、
債権者が本件商標を出願した日まで、約四〇年間刊行を続けて来たので、競馬のフアンの間では、「競馬フアン」なる商標の存在することを知らぬ者のないまでに周知されている。
五、債権者は売上部数に相当する人数の者にしか「競馬フアン」なる商標の存在が知られていないかの如く主張するが、新聞、特に競馬新聞などは一部で数人が輪読することも多いし、競馬場においてはもち論のこと、駅構内や市中の店頭でも売られているので、購買者以外の者にも充分周知されている。それゆえ、債権者主張の如く競馬人口と新聞の発行部数との対比だけで周知の程度を云々することはできない。
なお、昭和四四年度の発行部数が二八六、三二〇部で比較的少ないのは、株式会社東京優駿が昭和四三年九月【C】から新聞の営業権とともに、「競馬フアン」なる商標を承継した翌年であり、未だ取材並に販売活動について十分に体制が整つていなかつたことによるもので、一時的に発行部数が減つたのである。このことは、
その翌年の四五年からの発行部数の伸びからみても充分うかがえることである。
保全の必要性についての債務者の主張
一、本件申請は断行の仮処分であるから、高度の保全の必要性が要求せられるほか、仮処分が認容せられる場合の債務者の損害をも保全の必要性の審理に考慮されなければならない。
債務者の昭和四九年一年間の新聞発行部数は前記のとおり、一、三二九、一二〇部であり、その人的、物的構成はつぎのとおりである。
1 人的構成 編集関係一〇名。取材関係六名。支局二名。印刷関係工員二〇名(但し株式会社東京優駿と債務者の双方の仕事をしている)。
2 物的構成イ 不動産関係 その所有は株式会社東京優駿の所有であるが、同会社と債務者との共同使用(第一ビル、第二ビル)ないし債務者の専用使用(栗東寮)のために取得したものである。
1 第一ビル 鉄筋コンクリート三階建、床面積約八〇〇平方米 その敷地約三三〇平方米、時価合計約九五〇〇万円2 第二ビル 鉄筋コンクリート五階建、床面積約一、三〇〇平方米 その敷地約四〇〇平方米、時価合計約一億五、〇〇〇万円3 栗東寮 木造瓦葺二階建、床面積三三〇平方米 その敷地約三〇平方米、時価合計約一、六〇〇万円ロ 動産(いずれも株式会社東京優駿と共同使用している)1 A高速オフセツト輪転機 一台2 オフセツト輪転機 三台3 自動モノタイプ 一式4 その他の諸設備 債務者会社の規模は右のとおりであり、永年にわたつて築かれた債務者の社会的信用は絶大であつて、もし債務者が本件断行の仮処分を受けるときは、その損害たるや甚大であり、債権者が本案訴訟で敗訴した場合には、到底これを償い得るものではない。
二、これに反し、債権者は新聞雑誌を指定商品とし、本件登録商標のほか、「競馬データー」、「競馬ワールド」、「競馬ABC」なる商標を持つているので、「競馬フアン」なる本件登録商標を用いることによつて債務者発行の新聞と誤認混同を生じさせることを思えば、他の商標を使用する新聞を発刊することができるし、また、仮りに債権者が本件登録商標を使用した新聞を発行し、債務者発行の新聞と誤認混同を受けたとしても、それによる債権者の損害は、債務者が差止めの断行仮処分によつて受ける損害と比ぶれば比較にならぬ程寡少である。
三、なお、現在「競馬フアン」、「競馬ニホン」、「競馬ブツク」、「競馬ダービー」、「競馬ニユース」、「馬」なる商標でそれぞれ競馬新聞を発行している会社六社が、関西中央競馬専門紙協会なるものを作つている。
右協会は日本中央競馬会から公認されていて、右協会に入会しなければ競馬に関する取材活動は事実上不可能で、右協会に入会していない競馬新聞の発刊者はないが、右協会には新たに入会することはできない。したがつて、営業として新たに競馬新聞を発刊しようとしても不可能な状態にあることは競馬新聞の発刊について研究を重ねた債権者は充分わかつていることである。
理 由一、債権者が別紙目録(一)に示す本件登録商標について登録第一〇三八二六〇号の商標権(昭和四五年二月二四日出願、同四七年九月七日公告、同四八年一〇月一五日登録、指定商品、新聞、雑誌)を有すること、
債務者が別紙目録(二)に示すイ号商標を新聞の題号に用いていることは当事者間に争いがない。
二、イ号商標を本件登録商標と対比するに、両者はいずれも左から横書きで「競馬フアン」と記載された文字商標であつて、イ号商標は、黒地に白抜きで「競馬フアン」の文字を現わしてあり、そのうち「フアン」の文字がゴシツク風で書かれた「競馬」の文字より大きく且つ筆記体風で表現されているのに対し、本件登録商標は同一の大きさで筆記体で横書きされている外観上の差異があるが、称呼観念は両者同一であり、イ号商標は本件登録商標に類似するものと認めるべきである。
三、そこで債務者主張の抗弁について考察する。
疎乙第一ないし六号証、同七号証の一ないし九、同第八号証の一、二、同第九、
一〇号証によると、つぎの事実が認められる。
「競馬フアン」の文字を題号とする刊行物は、大正一五年【A】が東京で競馬界のニユース、論評、解説、勝馬検討を内容とした月刊誌として発行したのが最初であり、その刊行物は勝馬の検討、予想に主力を置いた特色が競馬愛好者の人気を得、競馬の隆盛と共に発行部数は二、〇〇〇部から最高五、〇〇〇部にも達し驚異的な記録となつていたこと、ところが、昭和一五年頃に戦局の重大化に伴い言論、
出版について統制が行われ、競馬雑誌がすべて廃刊を命ぜられたので、同年六月限り「競馬フアン」誌も休刊のやむなきに至つたこと、しかし、終戦直後昭和二一年一〇月競馬が復活すると共に「競馬フアン」との題号の刊行物が大阪で復活し、
【A】が故人になつていたので、戦前同誌の関西支局の担当者【B】が経営者となり、新聞形式で各開催日に発行された。他に復活競馬に関し、「競馬ブツク」、
「競馬ニホン」、「競馬ダービー」、「競馬ニユース」などの題号の競馬新聞が発刊されたが、戦前から刊行されていた「競馬フアン」との題号の新聞が人気を呼び、その発行部数は、五、〇〇〇部にも達し、当時としては業界の約五〇%のシエアを占めていたのであるが、その後【B】の経営上の事情で低調となつたので、昭和三四年八月、債務者の代表取締役である【C】が、「競馬フアン」の営業、商標を承継し、昭和三八年には発行部数も三、〇〇〇ないし四、〇〇〇部位に復調し、
開催日には一日も休むことなく発行して来たこと、昭和四三年九月株式会社東京優駿が【C】から「競馬フアン」の営業権と商標を譲り受けたが、競馬開催日には毎日その新聞の発行を続けその発行部数は、昭和四三年一〇月から同年一二月までは七一、五八〇部、昭和四四年中は二八六、三二〇部、昭和四五年一月から同年六月までは三二九、七六〇部であつて、本件登録商標出願日たる昭和四五年二月二四日には「競馬フアン」の発行は創刊号より第三二四二号を重ねていたこと、当時同新聞が掲載の対象とする関西地区中央競馬は、京都、阪神、中京、小倉の競馬場で開催され、年間回数は京都、阪神が各五回、中京が四回、小倉が三回で合計十七回、
いずれも開催期間は八日間で合計一年に一三六回であるが、各開催日には毎日「競馬フアン」の新聞が発行されていたこと、その後も右発行は続けられ、その発行部数は昭和四六年中は五八四、六四〇部、昭和四七年中は八二八、〇〇〇部、昭和四八年中は一、五六〇、九六〇部に達していたが、昭和四八年一一月に対外的事情から【C】が代表取締役となつて債務者会社(株式会社競馬フアン)を設立し、右新聞の営業、商標を引き継いで発行を続け、昭和四九年一月から同年一二月までの発行部数は一、三二九、一二〇部であり、その刊行は現在なお続けられていること、
「競馬フアン」の題字の表現は多少の変化を経て現在の「イ号商標」に至つているが、文字商標としては同一性が認められるものであること。
以上の事実が認められ、右認定に反する疎明はない。
以上の認定事実によると、「競馬フアン」なる題号の刊行物は大正十五年から現在に至るまで戦時中の約六年間の休刊を除いては約四〇年の長きに亘り、発行が続けられて来た結果、本件登録商標の出願時には、「競馬フアン」なる題号の新聞は少なくとも関西地区の中央競馬の関係筋やフアンの間では周知であつた事実を認めるに十分である。
債権者は、「周知の有無の判定時である昭和四五年二月二四日以前の発行部数が債務者主張のとおりであるとしても、昭和四四年一月から一二月までは僅か二八六、三二〇部であり、これは西日本ブロツクで年一七回、のべ一三六日の開催日割にすると一日の発行部数は二、一〇五部にすぎず、売上部数を約五割と計算すると西日本ブロツク全体で僅か一、〇〇〇部余にしかならない。ちなみに、たとえば、
小倉競馬場において開催される場合、開催地以外の西日本ブロツクにおいても馬券は発売される例となつているから、一地区割にすると二〇〇部にしかならないことになる。昭和四五年の一月から二月二四日までを検討してみても大同小異である。
右は昭和四四年の日本中央競馬会公報による関西開催分の競馬場入場者数約四、二三四、八七二人、推測される場外人数約三、二八六、〇〇〇人の合計七、五二〇、
八七二人よりしても二八六、三二〇部という発行部数は対顕在競馬人口比約三・八七パーセントにすぎず、推測される売上部数を約五割とみれば、一・九三パーセントにすぎない。更に潜在競馬人口を加えた競馬人口に比べれば、僅か〇・九六パーセントにすぎない」旨主張する。競馬新聞の売上部数は通常発行部数の何割位であるかはこれを認めるべき疏明はないが、かりに債権者主張のとおり五割位が普通であり、競馬人口数が債権者主張の如きものであるとしても、この事実は、「競馬フアン」なる題号の競馬新聞が発行されて来た期間、その間の発行部数などに徴してなした前記「競馬フアン」の新聞が本件登録商標出願時周知であつたとの事実認定を左右するものではない。
そうすると、債務者はその発行に係る新聞についてイ号商標の使用をする権利を有するといわねばならない(商標法第32条)。
以上によれば、債務者が「競馬フアン」なる商標を競馬新聞に附す行為が債権者の本件登録商標権を侵害するものであることを前提とする本件仮処分申請は失当であるからこれを却下すべく、訴訟費用につき民事訴訟法第89条を適用して主文のとおり決定する。
裁判官 大江健次郎