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審判番号(事件番号) データベース 権利
昭和47ワ2732 判例 商標
昭和43ネ1937 判例 商標
昭和58ワ27 判例 商標
平成5ワ1111 判例 商標
平成17ワ25426損害賠償請求事件 判例 商標
関連ワード 法上の商標の使用 /  識別力 /  包装 /  出所表示機能 /  品質保証機能 /  質保証機能 /  識別機能 /  指定商品 /  普通名称(3条1項1号) /  普通に用いられる方法 /  周知性 /  混同を生ずるおそれ(混同を生じるおそれ) /  不正目的(不正の目的) /  不正競争の目的 /  顧客吸引力(グッドウィル) /  類似性(類否判断) /  先使用(32条) /  外観(外観類似) /  称呼(称呼類似) /  観念(観念類似) /  判定 /  商標の効力 /  差止 /  連合商標 /  類似商標 /  先使用権 /  継続 /  非類似 /  商号 / 
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事件 昭和 50年 (ネ) 2172号
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裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1981/03/30
権利種別 商標権
訴訟類型 民事仮処分
主文 被控訴人(附帯控訴人)の附帯控訴を棄却する。
控訴人(附帯被控訴人)の控訴に基づき原判決中控訴人(附帯被控訴人)敗訴部分を取消す。
被控訴人(附帯控訴人)の申請を却下する。
訴訟費用は第一、二審を通じすべて被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
一 控訴人(附帯被控訴人) 主文同旨の判決。
二 被控訴人(附帯控訴人) 「原判決中被控訴人(附帯控訴人)敗訴部分を取消す。
控訴人(附帯被控訴人)は、別紙目録(ア)の商号を使用してはならない。
控訴人(附帯被控訴人)は、別紙目録(イ)の標章を、その製造に係る印章の包装紙袋、印章に添付する鑑定書・説明文又は印章の広告に、同目録(ウ)の標章を右説明文又は広告に、同目録の(キ)、(ク)の各標章を右広告に、それぞれ使用してはならない。
訴訟費用は第一、二審を通じ控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。」との判決。
申請の理由
一 不正競争防止法に基づく請求1 被控訴人の地位等(一) 被控訴人は、かねてより肩書住所地及び東京都港区に店舗を設け、印章に関する易学に則つた印章の製造販売を業としていた者であるが、昭和四八年一月右営業を株式会社日本印相学会(以下「訴外会社」という。)に賃貸した。右賃貸の対象に係る営業財産の主たるものは、被控訴人が本件で主張する、商号、登録商標及び未登録商標などである。被控訴人が自ら営業し来たつた時期においても、また、これを賃貸した後においても、右営業の表示及び商品の表示としてそれぞれ後述の各標章が使用され今日に至つているものである。
(二) 不正競争防止法の基本的構成は、なるほど営業主体間の適正な競業秩序を定めるものである。しかし、このことは、競業主体間において定められる営業上の利益例えば同法第1条第1項第1号、第二号の周知表示を独占的に使用する権利が現在の取引社会の中で独立の財産権として取引の客体とされることを否定するものではない。特許権、商標権などの工業所有権が独立の財産権として譲渡・賃貸の目的となるのと同じく、取引社会において右工業所有権に準ずる取引価値を認められた右の不正競争防止法上の利益ないし権利が賃貸の目的とされることを法が許容していることは当然である。商標法第32条第1項が「当該業務を承継した者についても、同様とする。」と定めていることも、このことを当然の前提としているのである。
また、被控訴人は、営業の賃貸人として、訴外会社に対し営業財産の毀損滅失を防止すべくあらゆる措置を講ずる義務を負うものであつて、これを怠り、その毀損滅失を放置するときは、賃料減額の損失を蒙るのである。
以上のことから、営業の賃貸人もまた不正競争防止法第1条に基づく差止請求のできることは当然である。
2 被控訴人の標章とその周知性 被控訴人は、かねてより、自己の営業であることを示す表示として別紙目録(A)の標章(以下単に「(A)標章」という。)を、また、自己の商品であることを示す表示として同目録(B)ないし(E)の標章(以下それぞれに対応して「(B)標章」「(E)標章」などという。)を有し、これを長年にわたり使用して来たことにより、遅くとも昭和四五年末当時(従前遅くとも昭和三〇年ころと主張したが、このように改める。)において、全国に広く認識されるに至つていた。
このことを詳述すると、次のとおりである。
(一) 「印相学」の特殊性について (A)標章ないし(E)標章は、すべて「印相学」を含むものであるが、「印相学」なる語は、「印相」の語とともに、明治四〇年ころ、被控訴人の祖父【A】によつて作られた造語であつて、決して普通名称ではない。
すなわち、印章の吉凶判断を意味する語としては、従来最も一般的なものとして、「判はんじ」、「判形占」、「印占」、「印形占」が用いられていた。【A】は、判はんじの技術のうち自己が承継した独自の技術に基づく印章に「印相学」と命名し、その後、【A】の占易術は、印相学の標章とともに独占的に被控訴人に継承され、他に印章の占易を行う者は殆んどなく、また、「印相学」の標章を用いる者は、その用法のいかんを問わず皆無であつた。ところが、昭和四六年ころ、彫印の自動機械が普及したことにより、甲府地方に集中する印刻師が大量失職するに及び、これを憂慮した同地方の印章業者が一斉に被控訴人の名声に便乗して印章の占易を標榜し、通信販売の方法により高価な印章を大量に販売するに至り、印相学の標章を冒用する者が現われ、ついに、雑誌や新聞の広告欄には印相学の標章が溢れ、あたかも「印相学」又は「印相」という標章が印章の易占又はこれに基づく印章の普通名称であるかのように惑わされる情況が作られたのである。しかし、昭和四八年末ころになると過当競争と粗製乱造により、これらの者は、信用を失墜し経営難となつて消え去り、現在「印相学」の標章を用いて印章の販売を行おうとする者は、控訴人のほかは、数人の業者があるにすぎない。そして、被控訴人は、これらの者に対し右標章の使用の差止を訴求したところ、控訴人を除き、殆んど和解により解決するに至つた。
これを要するに、「印相学」の印鑑といえば、被控訴人(訴外会社設立後は、同会社)の製作に係る躍動美をもち、かつ、所持者の性別、生年月日その他の要件をそなえた各人に特有の印が与えられるものとして、商品の出所表示機能及び品質保証機能を発揮しているのである。
このように、「印相学」の語はもちろんのこと、「印相」の語も何ら普通名称として用いられるものではないが、このことは、広辞苑にも「印相学」の語が掲載されておらず、また、「印相」については掲載されてはいるが、「インゾウ」と発音し、その語義も、仏教用語であつて、右に述べたこととは無関係のものであること及び後記のとおり別紙目録(F)の標章(以下「(F)商標」という。)が商標登録を経ていることからも明らかである。
(二) 被控訴人は、右に述べた印相学に則つた印章を製造販売し、昭和四七年の一年間に三五〇〇個余の印章を売り上げるに至つていた。また、被控訴人は、昭和一一年著書「印章の吉凶の研究」を発表し、同著書は、以後十数版二〇万部を全国にわたつて発行され、被控訴人は、昭和二九年これを「印章の吉凶の解説」と改め、その巻末にA標章を営業の表示として用い、被控訴人の印章の占易術である印相学は、右著書のほか、新聞、雑誌、テレビ等マスコミユニケーシヨンによつて紹介、広告された。
次に、商品表示としての(B)ないし(E)標章も、右(A)標章とともに紹介、広告され、また、被控訴人がその製造に係る印章を販売する際には、(B)、
(D)、(E)の各標章を、右印章を納めた紙袋に記載して用い、(C)標章は、
印刷物等を指定商品とする登録商標であることから、被控訴人の前記著書の販売、
広告や印相学研究成果の発表等に当り、印刷物に用いていた。
(三) 被控訴人の保有する各標章は、印鑑を対象物品としている関係上、販売数量等において比較的少ないとしても、取引者需要者間においては、その知名度浸透度は大きいのである。すなわち、人は、印鑑を一度求めると相当長期間、多くは一生使用するものであるから、需要数量が著しく制限されるうえ、これを求める者は、自らの運命を託するに足りる良い印鑑を持ちたいと希望するので、通常の商品に対する以上に注意力を働かせるものであるから、一般の営業表示や商品表示に比して記憶性及び伝達性において格段の相違がある。したがつて、広告回数、販売数量等のみで周知性を判断することはできない。
3 控訴人の標章使用(一) 控訴人は、印章の製造販売の業を目的として、昭和四七年八月三一日設立された会社であり、昭和四八年ころから、新聞等の広告欄に印章の販売広告を掲載し、大々的に印章の製造販売を行つている。
(二) 控訴人は、その営業を表示するために、登録商号である別紙目録(ア)の商号(以下「(ア)標章」という。)のほか、控訴人の製造した印章の包装用紙袋、鑑定書、説明文及び広告中に同目録(イ)の標章(以下「(イ)標章」という。)を使用しており、また、その商品を表示するために(イ)標章を右のとおり各物件に使用しているほか、同目録(ウ)の標章(以下「(ウ)標章」という。)を説明文又は広告文に、同目録(エ)ないし(ク)の標章(以下それぞれに対応して「(エ)標章」、「(ク)標章」などという。)を広告に使用している。
4 類似性(一) (ア)標章(株式会社宗家日本印相協会)と(A)標章(日本印相学会) (ア)標章中「株式会社」の部分は、商法上付加することが義務づけられているので付加したにすぎないものであるから、(イ)標章と(A)標章との対比関係と異なるところがない。ところで、右両者は、次に述べるとおり類似の標章であるから、結局、(ア)標章と(A)標章とは類似する。
(二) (イ)標章(宗家日本印相協会)と(A)、(B)標章(日本印相学会) 標章の類否は、商品との関係を考慮して具体的に対比判断されなければならない。本件においても、「学会」の部分と「協会」の部分とを対比すれば、外観称呼観念のいずれも類似しないと認められるが、商品が印鑑であり、しかも「印相」の文字を含み、特に「日本印相学会」と「日本印相協会」と結合されるときは、取引者需要者は、「日本印相……会」の文字をより強く認識する。特に、本件で問題とされる各標章に関する取引者需要者は、印章の占易に強い興味を抱いており、印鑑の相を考慮した印を求めてこれらの標章に接するものと考えられる。そして、そのような場合、各構成文字の表現力に軽重の差が歴然としているときには、
比較的軽視される文字に相違があつても他の文字について称呼観念が酷似していれば、全体として類似しているというべきである。そうすると、取引者需要者は、
印相学なる文字に一層注目し、印相学と印相との字義的差異について厳密な判断を加えて区別しないものと考えられる。
次に、「協会」と「学会」とについてみるに、まず、原判決は、「協会」が、会員が協力して設立・維持する組織体を意味し、「学会」が学者相互間の連絡・研究の促進、学問の振興を図るための組織体を意味すると判示する。しかし、それは、
右各標章のうちから協会と学会のみを抽出してその意味を辞典に基づいて記述したにすぎず、標章全体の中に位置付けた観念の把握ではない。(A)標章に学会なる語が用いられていても、それは「印相」と結びつき、印相に関する学会と観念されてこそ意味があるのであり、印相の吉凶に関する学問は、何ら近代科学に基づく体系的な認識として観念される余地はない。しかも、「日本印相学会」なる標章は、
外ならぬ営業表示として使用されているのであつて、そこには、営利として印章の製作・販売を行う主体としての観念が大前提となつており、原判決のいう「学会」の本来の意義・観念とは相容れないものである。したがつて、右各標章を対比するに当り、「協会」と「学会」の相違のみを抽出してその観念的類否を論ずることは誤りである。そうすると、(イ)標章と(A)、(B)標章とは、「印相」という「印章の吉凶又はその判断」という観念において近似し、また、日本印相学会が、
何ら学問的研究を行うのではなく、被控訴人が製作した印章を所持する者が会員となり被控訴人の占易の効能を報告・確認しその理解を深めこれを普及させることを目的とする団体であることと相まつて、取引者需要者間に右各標章につき誤認混同を生ずるおそれがある。
(三) (ウ)標章(印相学)と(C)標章(印相学) (ウ)標章が(C)標章と同一もしくは類似するものであることは多言を要しない。
(四) (エ)標章(印相学の会社印)・(オ)標章(印相学の印鑑)・(カ)標章(印相学印鑑)と(D)標章(印相学印章) 「印相学」なる語が、被控訴人の祖父【A】の造語であり、専ら被控訴人の努力によつて、被控訴人の商品識別機能を有する標章として周知性を獲得するに至つたものであつて、普通名称でないことは、既に述べたところであり、したがつて、
(エ)、(オ)、(カ)の各標章の要部は「印相学」の部分であり、これに「の会社印」、「の印鑑」、「印鑑」の語を付加しても、同義反復にほかならず、これらの語が付加されても、標章全体の観念上の相違をきたさない。要するに、右各標章の商品表示の機能は「印相学」の部分のみでありこれについて類否を論ずれば足りるのであり、したがつて、右各標章は、すべて同一である。仮にそうでないとしても、観念上類似することは明らかである。
(五) (キ)標章(印相学の源)・(ク)標章(印相の総本家)と(E)標章(印相学宗家) これら各標章の要部が「印相学」又は「印相」であり、「印相学」、「印相」がいずれも被控訴人の商品識別機能を有しているものであることは既に述べたところである。また、「宗家」の意味は、「宗主たる家、本家、そうか」であり、「源」には、「物事の起るはじめ、起源」の意味が含まれる。そして、「印相学の源」として用いるならば、それは印相学の起源に基づく意義をもち、「印相学宗家」が右のとおり「印相学の本家」としての観念を有するのであるから、ともに「印相学」に関する伝統の承継とその正統性を意味するものとして、両者は類似する。また、
「総本家」とは、「多くの分家の分れ出た本家、おおもとの本家」を意味し、これを「印相の総本家」として用いるのであるから、印章の吉凶判断に関する伝統の継承とその正統性を意味するものとして、両者は類似する。
5 不正の目的 控訴人は、前述のとおり被控訴人の努力により周知性を獲得した標章に類似する各標章を使用して、広告宣伝をし、大々的に印章の製造販売を行つていることは、
被控訴人の営業の信用と名声を利用しようとする不正の目的があることは明らかである。
6 仮処分の必要性 近時の急速な印章ブームの発展と控訴人の前記各使用標章をもつてする大々的宣伝とにより、被控訴人の長年の努力によつて形成された信用すなわち前述の営業表示・商品表示による顧客吸引力出所表示機能は、急速に減退しつつあり、早急にこれを差止めなければ、被控訴人において回復不可能な損害を蒙るおそれがある。
7 よつて、被控訴人は、控訴人に対し、不正競争防止法第1条第1項第2号に基づく、使用差止請求権保全のため(ア)、(イ)の各標章の使用の差止を、同法第1条第1項第1号に基づく使用差止請求権保全のため、(イ)、(ウ)、(エ)、
(オ)、(カ)、(キ)、(ク)の各標章の使用の差止をそれぞれ求める。
二 商標法に基づく請求1 被控訴人の商標権 被控訴人は、
(一) 別紙目録(F)のとおり「印相学」の文字を横書きしてなり、指定商品を第二五類「印章」とする登録第一一〇二〇六九号商標(出願人【B】、出願日昭和四七年八月二九日、出願公告日昭和四九年三月四日、設定登録日昭和五〇年一月六日。以下これを「(F)商標」という。)の商標について、出願中であつた昭和四九年二月二五日、【B】よりその商標登録出願により生じた権利を、訴訟上の和解により、後記(G)商標とともに、五〇〇万円で譲り受け、所定の手続を経て取得し、
(二) 別紙目録(G)のとおり「日本印相学会」の文字を縦書きしてなり、指定商品を第二五類「印章その他本類に属する商品」とする登録第九五九六一〇号商標(出願人【B】、出願日昭和四四年一一月二八日、出願公告日昭和四六年七月二九日、設定登録日昭和四七年四月二四日。以下これを「(G)商標」という。)の商標権を、前記のとおり昭和四九年二月二五日【B】より譲り受け、同年八月八日その旨の登録を経て取得した。
2 控訴人の標章使用(一) 控訴人は、前述のとおり(ウ)、(エ)、(オ)、(カ)の各標章を広告中に用いて使用している。
控訴人は、右各標章はいずれも記述的に用いているものであつて、商標として使用しているものではないというが、(エ)、(オ)、(カ)の各標章は、例えば、
「明治チヨコレート」、「森永キヤラメル」などと軌を一にする商標と商品とを結合表示したものであり、商標の典型的使用例である。控訴人は、右各標章によつて、(F)商標である「印相学」の名声に便乗しようとする意図は明白であり、たとえ説明文であつても、印章の販売を助長するために商品と結合させて記載している以上、商標の使用であることは明らかである。
(二) 被控訴人は、前述のとおり(イ)標章を印鑑に関する広告及び説明文中等に用いて使用している。
3 類似性(一) (ウ)、(エ)、(オ)、(カ)の各標章と(F)商標 (ウ)の標章と(F)商標とが、観念称呼及び外観のいずれの点においても類似することは多言を要しない。
次に、「印相学」が、それ自体被控訴人の商品であることの識別力を有するものであること及び(エ)、(オ)、(カ)の各標章の要部が「印相学」の部分であり、これに「の会社印」、「の印鑑」、「印鑑」の語を付加しても、標章全体の観念上の相違を来たさないことなどについては、前に述べたとおりである。そうすると、右各標章は、(F)商標と称呼観念を同一にする類似商標である。
(二) (イ)標章と(G)商標 両者が類似する商標であることは、一の4の(二)に述べたとおりである。
4 控訴人の商標法第26条の主張に対して 右主張は争う。
「印相学」は、前述のとおり被控訴人の製作に係る印章を表示するものとして自他商品識別機能を有するものである。控訴人の主張するように、印相学の語が印鑑の品質を示す普通名称であるというのであれば、これによつて特定の品質が想定されなければならないところ、印相学の印鑑といつても、統一した品質を具備してはいない。印鑑の品質を示す普通名称といえば、例えば「つげ印鑑」、「水晶印鑑」、「象牙印鑑」というように、その使用材料をいうのであつて、字態、配字その他の要素について、品質を均等に表現する普通名称はない。
5 控訴人の先使用権の主張に対して 右主張は争う。
(一) 控訴人は、被控訴人が(F)商標を使用してこれが取引需要者間に広く知られていることに着目し、この名声に便乗して、これと観念上同一の(カ)標章の使用を開始したものであるから、不正競争の目的がなかつたとはいえない。このことは、控訴人が昭和四六年六月ころから、(カ)標章のほか、「印相学会で唯一」、「印相学会随一」なる語を広告に用い、あるいは「印相学の総本家」なる語を使用している事実からも明らかである。更に、控訴人代表者【C】は、昭和四八年五月、被控訴代理人【D】らに、被控訴人の名声を利用して印章を薄利多売する意図のあることを述べている。
(二) (カ)標章は、(F)商標の商標登録出願前には需要者間に広く認識されていたとはいえない。被控訴人は、控訴人よりはるか以前から(F)商標を使用していたところ、控訴人は、この周知性を否定しながら、(カ)標章が僅か一年間で周知性を取得したとすることは、矛盾であり、その主張の採用できないことは明らかである。
6 仮処分の必要性 一の6に述べたところと同一である。
7 よつて、被控訴人は、控訴人に対し、商標法第36条第1項第37条第1号、第二号に基づく侵害停止・予防請求権保全のため、(ウ)、(エ)、(オ)、
(カ)の各標章の使用の差止を求める。
三 商法に基づく請求1 被控訴人が営業の表示として(A)標章を有しており、これを現在訴外会社に賃貸していること、控訴人が(ア)標章を有していること及び後者が前者との関係において被控訴人の営業であると誤認を生じさせるおそれのある類似商号であることは、一に主張したとおりである。
2 不正の目的 (ア)標章と(A)標章との類似性、控訴人の大々的宣伝活動等に照らし、控訴人の(ア)標章の使用が被控訴人の営業の信用と名声を利用しようとする不正の目的を有することは明らかである。
3 仮処分の必要性 一の6に同じ。
4 よつて、被控訴人は、控訴人に対し、商法第21条に基づく使用差止請求権保全のため、(ア)標章(商号)の使用の差止を求める。
控訴人の答弁と主張
一 不正競争防止法に基づく請求について1 被控訴人の1の主張について(一) 1の(一)の事実は認める。
(二) 1の(二)の主張は争う。
不正競争防止法第1条第1項にいう「営業上の利益を害せらるる虞ある者」とは、自己の営業上の利益を害せられる者を意味することはいうまでもなく、したがつて、同条項に基づく差止請求権を有する者は、営業者であることを要する。そして、営業者とは、自己の名をもつて営業をなす者であると解すべきところ、営業の賃貸借においては、営業に属する財産自体は賃貸人に属するとしても、営業行為は賃借人の名をもつて行われ、営業上の損益も、賃借人に帰属するものである。したがつて、賃借人は、他人の財産によつて営業をなす者であるが、この場合、賃借人が営業者であつて、賃貸人は営業者ではない。そうすると、訴外会社に印章の製造販売に関する営業を賃貸した被控訴人は、営業者ではなく、同法同条項に基づく差止請求権を有しないものである。
被控訴人は、工業所有権が賃貸の目的とされるのと同様、不正競争防止法上の利益ないし権利が賃貸の目的とされる旨主張するが、その不正競争防止法上の利益ないし権利が営業とは独立にそれだけで賃貸借の目的とされることはありえず、また、営業の賃貸借においては、賃貸の目的は営業であり、その結果営業者たる賃借人に不正競争防止法上の利益ないし権利が発生するというべきである。被控訴人の右主張は、その前提において誤まつている。
2 被控訴人の2の主張について 被控訴人が、その主張する各標章を使用していたことは認めるが、これらが、被控訴人の製造・販売に関し、その営業表示又は商品表示として全国に広く認識されていたとの点は否認する。右各標章が被控訴人の営業表示又は商品表示として広く認識されるに至つていなかつたことは、原判決の理由第三項に記載のとおりである。なお、被控訴人は、当審において周知性獲得の時期を昭和四五年末と改めたが、原判決は、昭和四八、九年ごろの事情までも斟酌して認定しているのであるから、被控訴人が右のとおり主張を改めても、結論に変りがない。
(一) 被控訴人の(一)の主張について 右主張はすべて争う。
被控訴人は、「印相学」なる語は、被控訴人の祖父【A】の造語になるもので普通名称ではない旨主張するが、この点については疎明がなく、右主張は事実に反するものである。仮に、「印相学」の語が被控訴人の主張のとおり明治後期における造語であるとしても、右語は、第一義的には、いわゆる「判はんじ」、「判形占」、「印占」などの語に代り印章の吉凶判断に関する易占の技術又は学問を指するものとして命名されたことは否定できない。そうすると、仮に【A】がその製造販売する印章にも同じく印相学という標章を付した事実があつたからといつて(もつとも、この事実自体何ら疎明されていない。)、印章の吉凶判断に関する易占の技術又は学問を指すものとしての印相学の語について、その命名者たる【A】や被控訴人がこれを独占しうべきいわれはない。それは、明治以降何人かにより新たに命名された他の学問に対する名称と同様だからである。このように、印相学という語は普通名称であつて、印章の吉凶判断に関する易占の技術又は学問を指す語として、被控訴人が周知性を取得したと主張する日又は(F)、(G)商標の商標登録出願の日よりはるか以前から印章に関する文献に広く記述的に用いられ、また、控訴人以外の印章製造販売業者の広告にも多用されているのである。これら文献や公告中には、「印相学によつて作つた印」、「印相学にあわない印」、「印相学の正法をふまえた印」、「印相学に基く幸運の印」などという表現がみられ、印相学の語が、印章のもつある特性を示すものとして一般に使用されて来たものである。後述のとおり、控訴人の広告及び説明文における印相学という語も、これらの用法と同様、普通名称として使用されているものである。
このことは、日本国語大辞典に、「印相」の第三義として、「印章の相。また、
それをみて持主の運を察知すること。」とあることからも明らかである。したがつて、「印相」に関する学問として印相学という語も、すでに一般化しているといえよう。被控訴人は、印相学の語が普通名称でない根拠として、(F)商標が商標登録を経ている事実を挙げているが、前述のとおり、右の語が(F)商標の商標登録出願日前からさまざまな文献及び印章業者の広告中に広く用いられて来たものであることからすれば、印章についてこれを用いても、何ら自他商品識別力を有せず、
印相学なる語は、印章については、商標法第3条第1項第2号、第三号又は第六号の規定に該当し、もともと、商標登録の要件を欠くものであり、特定人に独占的に使用させるべきものではない。
(二) 被控訴人の(二)、(三)の主張について 右(二)の事実中、被控訴人が、昭和二九年その著書「印章の吉凶の解説」を発行したことは認めるが、その余の事実は知らない。同(三)の主張は争う。
3 被控訴人の3の主張について 右主張事実は認める。但し、前述のとおり、「印相」又は「印相学」の語は、普通名称であつて、印章について何ら営業表示又は商品表示として自他商品識別機能を有しないところ、(ア)、(イ)の標章以外のものにおける「印相」又は「印相学」は、
いずれも普通名称としては記述的に用いられているものであつて、商品の表示ないし識別機能を果すものとして用いられているものではない。
4 被控訴人の4の主張について 右主張はすべて争う。
(一) (ア)標章と(A)標章 後記(二)に述べることからも、右両標章が類似しないことは明らかである。
(二) (イ)標章と(A)、(B)標章 右両標章が、外観称呼観念のいずれの点においても類似するものでないことは、原判決が理由第五項(一)ないし(三)において判断しているとおりである。
被控訴人は、右両標章における「日本印相……会」の部分の共通性を強調するが、この部分のみを抽出して対比すること自体、極めて恣意的で合理的根拠を欠くものである。(イ)標章においてより強く認識されるであろう部分を敢て指摘するならば、「宗家」であり、また、「印相協会」であることは経験則上明らかである。また、「日本印相協会」と「日本印相学会」との観念上の対比について、被控訴人は、後者は、営業表示として使用されているのであつて、そこには印章の製作・販売を行う主体としての観念が大前提となつているといい、「印相の吉凶に関する学問」は何ら近代科学に基づく体系的な認識として観念される余地はないともいうが、ここで問題となるのは「日本印相学会」の実体が何かではなく、「日本印相学会」という表示自体が世人にいかに観念されるかであるし、また、「印相学」が「学問」という観念を生じさせるものである以上、その学問が近代科学に基づく体系的な認識であるか否かは、「日本印相学会」という表示と「日本印相協会」という表示との観念上の類否判断を何ら左右するものではない。更に、印相に関する学問たる観念を生じさせる「印相学」と、当該学問の対象たる「印相」(印章の相)自体とが観念上異なるものであることはいうまでもない。そして、両標章は、
「日本印相」の文字を共通にはするが、「日本」はもちろん「印相」も普通名称であるから、格別の識別力がない。因みに、「学会」と「協会」との相違により、それぞれ別個独立の商標として登録されている事例は、枚挙にいとまがなく、両者を非類似とすることは特許庁の一貫した取扱いでもある。
(三) (ウ)標章と(C)標章 「印相学」の語が普通名称であることは、既に述べたとおりであり、控訴人が(ウ)標章を用いているのは、広告文中に印章に関する易学としての普通名称として、記述的に使用しているにすぎない。
(四) (エ)、(オ)、(カ)標章と(D)標章 (エ)、(オ)、(カ)の各標章は、いずれも控訴人の商品自体に付されているものではなく、その新聞広告中に記述されているものであるが、その広告の記載自体からも明らかなとおり、いずれも、「印相学に則つた会社印」又は「印相学に則つた印鑑」の趣旨であり、普通名称として記述的に用いているものにすぎず、商品表示ないし商品の自他識別機能を果すものとして用いられているものではない。
一方、(D)標章は、既に述べたところから明らかなとおり、被控訴人の独占使用に係るものではなく、「印相学印章」との表示に被控訴人の商品に対する信用が化体されているものでもない。
なお、控訴人のほか多くの印章業者が、印章の販売広告に(エ)、(オ)、
(カ)の各標章に相当する語を用いるのは、被控訴人の信用を冒用する意図によるものでは全くなく、従前より一般に使用されている用語法によつて印章のある特性(品質、効果又は生産方法など)を表示しているにすぎない。
(五) (キ)、(ク)標章と(E)標章 被控訴人は、右両者がそれぞれ観念上類似であると主張するが、「印相学宗家」が、「印相学の本家」の観念を生ずるのに対し、「印相学の源」は、印相学自体の起源という観念を生じ、両者は観念上も相違することは明らかである。また、「印相」と「印相学」とが観念上類似しないことは明らかであるから、「印相の総本家」と「印相学宗家」も観念上類似しないことは当然である。因みに、登録商標である「印相学宗家」と指定商品を同じくして「印相学の源」及び「印相の総本家」なる右商標がそれぞれ商標登録されている事実は、(キ)、(ク)の各標章と(E)標章とが類似しないことを裏づけるものである。
5 被控訴人の5の主張について 被控訴人の標章がいずれも周知のものでないこと、控訴人の使用する各標章が被控訴人の標章と類似しないことから、控訴人に不正の目的がないことはいうまでもない。
6 被控訴人の6の主張について 右主張は争う。
なお控訴人は、(オ)、(カ)の標章については、昭和五〇年一月六日((F)商標の商標登録日)前よりすでに使用を中止している。
二 商標法に基づく請求について1 被控訴人の1の主張について 右主張事実は認める。
2 被控訴人の2の主張について 右主張事実は認める。但し、前述のとおり、「印相」又は「印相学」の語は、普通名称であり、印章について何ら自他商品識別力を有しないところ、(ウ)、
(エ)、(オ)、(カ)の各標章における「印相学」は、いずれも普通名称として記述的に用いられているものであつて、商品の表示ないし識別機能を果すものとして用いられているものではない。
3 被控訴人の3の主張について(一) 3の(一)の主張は争う。
まず、(F)商標が自他商品識別力を有せず、商標法第3条第1項第2号、第三号又は第六号の各規定に該当し、商標登録要件を欠き特定人に独占的に使用させるべきものでないことは、一の2の(一)に述べたところである。
(ウ)の標章は、前述のとおり、普通名称であり、印章について何ら自他商品識別力を有しないから、類否を論ずるまでもない。
次に、(エ)、(オ)、(カ)の各標章が(D)標章と類似しないものであることは、一の4の(三)に述べたとおりである。
ところで原判決は、(エ)、(オ)、(カ)の各標章と(F)商標とが外観及び称呼において異なるとしながら、観念の類否について、(F)商標が印章を指定商品とする登録商標であることから、「印相学」とは、「印相学の印(印鑑・印章)」の観念を生ずるとしているが、この認定は明らかに誤りである。けだし、商標についていわゆる観念とは、当該標章自体の有する観念をいい、指定商品との関連において生ずる観念まで含むものではない。そして印相学とは、世上印の吉凶善悪の相を探究する学問であるとされており、したがつて、印相学という標章自体からは、印相に関する系統的認識ともいえる抽象的思想という観念しか生じない。一方、印、印鑑又は印章とは具体的形象をもつた物である。そうだとすると、右の抽象的思想ともいえる印相学の文字から直ちに物である印、印鑑又は印章を観念することはできない。因みに、指定商品旧六六類について「印相学印章」という登録商標があるにもかかわらず同類において「印相学」という商標が、連合商標としてではなく独立の商標として登録されている事実があり、これは右のことを裏づけるものである。
(二) 3の(二)の主張は争う。
(イ)標章と(G)商標が類似しないことは、一の4の(二)に述べたところと同断である。
4 商標法第26条の主張 仮に、(ウ)、(エ)、(オ)、(カ)の各標章が、被控訴人の主張するように商標と商品との結合表示に該当し、また「印相学」が印章についてこれを製造販売する多数の者によつて広く慣用的に使用されているとはいえないにしても、少くとも「印相学」の語は、印章のもつある特性、すなわち、品質、効能又は生産の方法等を普通に用いる方法で表示しているものである。したがつて、(F)商標の効力は、商標法第26条第1項第2号又は第三号の規定により、(ウ)、(エ)、
(オ)、(カ)の各標章には及ばない。なお、被控訴人は、品質を示す普通名称とは、その使用材料をいうと主張するが、このように限定して解すべき理由はない。
むしろ、同法第26条第1項第2号の規定は、商品の特性の記述的表示の幾つかを例示したにすぎず、これに限定されるものではない。
5 先使用権の主張 仮に、控訴人の前記の主張が認められないとしても、控訴人は、(カ)標章について商標法第32条に基づくいわゆる先使用権を有するものである。すなわち、控訴人は、昭和四六年に組織された宗家日本印相協会の営業を承継した者であるが、
右宗家日本印相協会は、(F)商標の商標登録出願日(昭和四七年八月二九日)前である昭和四六年六月ころから、多額の宣伝費を投じて、報知新聞、スポーツニツポン、デイリースポーツなど多数の新聞に自己の製造する印章に関する広告を継続して掲載し、又は印章に関する説明文にこれを用いるなどし、もとよりそれには何ら不正競争の目的はなかつたのであり、その結果、右各標章は、右商標登録出願の際に控訴人の業務にかかる商品を表示するものとして需要者間に広く認識されるに至つていたのである。
6 被控訴人の6の主張について 一の6に同じ。
三 商法に基づく請求について1 被控訴人の1の主張について(一) (ア)標章(商号)と(A)標章とが類似商号であるとの点を否認するが、その余の主張事実は認める。
右両商号が類似しないことは一の4の(一)に述べたとおりである。
(二) 商法第21条第2項所定の差止請求権を有する者は、商人たることを要するところ、一の1の(二)にも述べたとおり、営業の賃貸人たる被控訴人は商人ではないから、右の差止請求権を有しない。
2 被控訴人の2の主張について 一の5に同じ3 被控訴人の3の主張について 右主張は争う。
証拠関係(省略)
理 由
不正競争防止法に基づく請求について
一 被控訴人の標章とその周知性について1 被控訴人が(A)ないし(E)の標章を、その主張のとおり、営業又は商品の表示として現に使用していることは、当事者間に争いがない。
2 そこで、右標章の周知性について検討する。
(一) まず、右標章の周知性の認定に当つては、これらの標章のすべてに含まれる「印相」ないし「印相学」の語の由来が問題とされているので、この点について考える。
(1) 被控訴人は、「印相学」との名称ないし用語は、「印相」の語とともに、
被控訴人の祖父【A】の命名に係る同人の造語であり、同人及び被控訴人(訴外会社設立後は同会社)が、今日まで独占的に使用し来つたものであつて、それ自体被控訴人ないし訴外会社の製作に係る印章として出所表示機能及び品質保証機能を有する旨主張し、原審証人【E】(被控訴人の妻)の証言並びに当審及び原審における被控訴人本人尋問の結果中には、右主張に副う供述部分がある。
(2) そこで、まず「印相」の語についてみるに、なるほど、「印相」の語は、
人相、手相、骨相などの語と比較すると、これらの語ほどに日常広く使用されているものとはにわかにいい難いが、「印相」の語に接する者は、右の人相や手相などの語と同様に、印章、印影の相ないし形態を意味する語と理解する場合が少なくないであろうことは推測するに難くなく、その意味において、その語がそれ自体特異な語ということはできない。そして、成立に争いのない疏乙第二六号証によると日本国語大辞典(小学館昭和四八年三月一日発行)第二巻「印相」の項のBには、
「印章の相。また、それをみて持主の運を察知すること。相印。」との説明がある。更に、後出の書物「正統印相学と姓名学」(昭和一三年五月一日発行)、「運命開拓神秘印章教本」(昭和一四年九月一〇日発行)その他の書物中にも、「印相」なる語が右の日本国語大辞典に記載されたと同様の意味のもとに随所に用いられていることが認められる。
このような諸事実に後記の「印相学」に関する認定事実を併せ考えると、「印相」の語は、その命名が何人によつてなされたかはともかくも、古くから(遅くとも昭和二〇年以降においては)、印章の相、形態又はこの印章の相、形態を易占の観点から観察し、その印章自体又は印章の持主の吉凶などの運を判定することを意味する語として用いられていたものと解される。
(3) 次に、「印相学」の語について考える。
「印相」の語が、右のような意味のもとに、古くから用いられていたこと及び易占の分野において、易学、手相学、姓名学などと称されるように、「学」の字が「術」の字と同様に、それとほぼ同じ意味において、易占の対象である「手相」や「姓名」の語と結合して用いられていることは経験則に照らして肯認できるところであり、このような点を考えると、「印相学」の語も、それ自体特異な合成語ということはできない。そして、成立に争いのない疏乙第五六号証によると、同号証は、【F】を著者とする「正統印相学と姓名学」と題し、昭和一三年五月一日に発行された書物であり、同書の中には、「印相学」の由来やこれに関する著者の見解が詳細に記述されていることが認められ、また成立に争いのない疏乙第二五号証によると、同号証は、【G】を著者とする「運命開拓神秘印章教本」と題し、昭和一四年九月一〇日に発行された書物であり、同書の中には、印相学が支那に発生し、
数千年の歴史を経て今日に至つているとの記載をはじめ「印相学」の語が随所に用いられていることが認められ、更に、成立に争いのない疏乙第九二号証の一ないし五、第九三号証の一ないし六、第九四号証の一ないし一〇によると、これらもすべて印章に関する書物であり、第九二号証のものは昭和三七年五月二三日、第九三号証のものは昭和三八年一二月一〇日に、第九四号証のものは昭和四五年一月一五日にそれぞれ発行されたものであるが、これらの書物にも、「印相学」が極めて古い歴史をもつものであることをはじめ、「印相」や「印相学」についての記述が認められるところ、前掲各証拠によると、これらの書物における「印相学」の語は、印章の相、形態又は広く印鑑についての易占の立場から吉凶を判断する占術ないし学問の意味に用いられているものと解される。
(4) 被控訴人がその商標権者である(F)商標及び(G)商標は、前者が「印相学」の文字を横書きしてなるものであり、また、後者が「印相学」の文字を含むものであるが、これらの商標については、商標権及び商標登録出願により生じた権利を、申請の理由二の1に記載のとおり、いずれも、被控訴人が訴外【B】から、
代金合計五〇〇万円で譲り受けて取得したものであることは、当事者間に争いがなく、前掲被控訴人本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、右訴外【B】は被控訴人又は訴外会社の営業とは全く関係のない第三者であり、右五〇〇万円との金額は、被控訴人の営業活動の規模からみて相当多額なものであつたことが認められるところ、ともあれ、被控訴人はこのような経緯のもとに右各商標権を取得するにいたつたものである。
(5) 右(2)ないし(4)に述べたところを併せ考えると、「印相」及び「印相学」の語が、被控訴人の祖父の造語であるかの点はしばらくおいても、右被控訴人本人尋問の結果中、同人及び被控訴人がこれを独占的に使用して来たものであり、それ自体専ら被控訴人ないし訴外会社の製作に係る印章についてその表示機能を有している旨の被控訴人の供述部分は、信用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はなく、かえつて、「印相」、「印相学」は、少なくとも印章の製作や印章に関する易占の分野においては、(2)及び(3)で述べたような意味に用いられているものというべきである。
なお、成立に争いのない疏甲第九号証及び同第一〇号証の各二によると、「印相学印章」の文字を縦書きしてなり、指定商品を第六六類「図画、写真及び印刷物類(但し書籍を除く。)」とする商標について、昭和二八年一一月五日被控訴人の商標登録出願により、昭和二九年一〇月三〇日商標登録がされ、また、成立に争いのない疏甲第九号証及び同第一〇号証の各四によると、「印相学」の文字を縦書きしてなり、指定商品を前同様とする商標について、昭和三三年九月一日被控訴人の商標登録出願により、昭和三五年三月二四日商標登録がされていることが認められるが、前(2)、(3)に述べたところからすれば、このような登録商標が存することだけで、にわかに被控訴人の前記供述部分に即応する主張を認めるに充分でないことはいうまでもない。
(二) そこで、(A)標章、(B)標章をしばらくおき、右(一)に述べたところをふまえて、(C)標章、(D)標章及び(E)標章の周知性について検討する。
(1) まず、右各標章の構成についてみるに、(C)標章のそれは「印相学」と縦書したものであり、(D)標章及び(E)標章はこれに、「印章」又は「宗家」という日常広く使用される語が付加されたにすぎないものであり、しかも、これら三者は、その字体にこれといつた特徴がみられない。しかして、「印相学」はすでに前(一)のとおり、古くから普通名称として印章の製作やその易占の分野において用いられていたものであるから、このような語からなる標章の場合には、その標章により被控訴人の製作に係る印章として商品の出所表示機能が果されるとともにその周知性が認められるためには、このような標章が付された商品が、相当広範囲に頒布されるなど特段の事情がなければならないものというべきである。
(2) しかして、被控訴人は、昭和四七年当時一年間に三五〇〇個余の印章を売り上げ、また、その主張の書物を昭和一一年以来約二〇万部販売したほか、この書物を新聞等によつて広告した旨主張する。
しかし、わが国において印章が人々の日常生活上不可欠なものとして極めて重要な機能を果しており、各人が所持し又は日ごろ販売される印章はおびただしい数にのぼるものであることが容易に推測できること、(C)標章、(D)標章及び(E)標章は、それ自体又はその主要構成部分である「印相学」の語自体から商品の識別機能を充分に果しうるものとは到底認め難いこと及び弁論の全趣旨を併せ考えると、たとえ、被控訴人の製作販売した印章の数及びその著書や著書の広告が被控訴人の主張どおりであるとしても、(C)標章、(D)標章及び(E)標章が、
専ら被控訴人に係る印象を表わすものとして、その取引者需要者間に広く認識されていたものとは認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
二 次に、(A)及び(B)標章と(ア)及び(イ)標章の類似性について考える。
(ア)標章(商号)は、別紙のとおり、「宗家日本印相協会」の語の上に「株式会社」の文字が付加された構成であり、また、(イ)標章は、別紙のとおり、「宗家」の文字がこれに続く縦書きの「日本印相協会」部分に比較して小さく、かつ、
横書きに付加されている構成及び「宗家」の語が、一般に、一門の本宗たる家筋、
本家、家元などの意に広く用いられるものであることに徴すると、(ア)標章については「株式会社」及び「宗家」の部分が、また、(イ)標章については「宗家」の部分がいずれも略されて、「日本印相協会」の部分だけで称呼される場合もあるであろうことは経験則上是認できるところである。
しかして、(A)及び(B)標章の「日本印相学会」と(ア)及び(イ)標章中の「日本印相協会」とにおける、「日本印相」の部分は、「日本」についてはもとより、「印相」も前述のとおり一般に用いられる用語であること、(A)及び(B)標章における「学会」部分並びに(ア)及び(イ)標章における「協会」部分がそれぞれ「日本印相」部分と同一の大きさ、同一の書体で一体に記載されている構成であることにかんがみると、これらの標章中「日本印相」の部分のみが、
「学会」部分や「協会」部分と分離して称呼されるとは考えられず、(A)及び(B)標章の「日本印相学会」と(ア)及び(イ)標章中の少なくとも「日本印相協会」部分とは、いずれも一連に称呼されるものと解するのが相当であり、これと別異に解すべき特段の事情は認められない。
そうすると、(A)及び(B)標章の「日本印相学会」と(ア)及び(イ)標章中の「日本印相協会」とを対比してみるに、両者は、それぞれ別紙記載のとおりの構成のものであつて、その共通の「日本印相」の部分は、上述したとおり一般的な用語の域を出るものではなく、かつ、「学会」と「協会」の部分も、世上一般に十分区別して認識し使用される語であるのみならず、両部分を各一体としてみるとき、そのいずれか一方が、他方を包摂するような関係にあるとか、他方と分派的な関係にあるやに誤解されることなども考えられないことに徴すれば、さらに多くを論ずるまでもなく、その外観及び称呼においてはもとより、観念上も類似するものとは認められない。したがつて、(A)及び(B)標章と(ア)及び(イ)標章とは、それぞれ彼此混同を生ずるおそれがなく、両者は類似しないものというべきである。
よつて、控訴人において(ア)及び(イ)標章を使用することが、他人である被控訴人の営業又は商品たることを示す表示と同一又は類似のものを使用するものということはできない。
三 前一、二に述べたとおりであるから、被控訴人の不正競争防止法1条1項に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
商標法に基づく請求について
一 被控訴人が申請の理由二の1に主張するとおり、(F)及び(G)商標の商標権を取得したこと及び控訴人が、(ウ)、(エ)、(オ)、(カ)の各標章を広告等に使用していることは、当事者間に争いがない。
二 ところで、控訴人は、(ウ)、(エ)、(オ)、(カ)の各標章に含まれる「印相」、「印相学」の語は、もともと普通名称であり、控訴人が広告等に(ウ)、(エ)、(オ)、(カ)の表示をしたのも普通名称として記述的に用いたにすぎない旨主張する。
成立に争いのない疏甲第一二号証の一ないし四によると、これら新聞広告中に記載されている「印相学」の表示中には、なるほど「印相学」の由来や意義など印相学それ自体に関する記述とみられるものも散見され、このようなものは、商品について使用しているものとは解されないから、これを商標法上にいう商標の使用とは認め難い。しかし、「印相学」の語は、前述のとおり、単に印章の相に関する学問というだけの意味にとどまらず、印章の相などについて易占の見地から吉凶を判断する易占術ないし学問の意味にも用いられるから、この語が印鑑と結合して用いられるときには、商品である印鑑の品質、効能、生産の方法などをも表示する機能を果すものといえる。そうすると、(エ)、(オ)、(カ)の表示はもとより、
(ウ)の表示も、前掲疏甲第一二号証の一によると、「印相学に生涯をかける鰍石先生」という広告中の見出しの中で用いられたものであり、その部分には、「同人がその印相学に基づいてした研究から印の吉相を見出して鑑定を行い、控訴人の印鑑は、このような鑑定に基づいて品質が保証されている。」旨の記載があることからすると、控訴人の商品たる印鑑について使用されているものというべきであり、
したがつて、商標法上の商標の使用に該当するものと解される。
三 そこで、控訴人の商標法第26条に関する主張について検討する。
前掲疏甲第一二号証の一ないし四及び弁論の全趣旨によると、(ウ)、(エ)、
(オ)、(カ)の各標章は、いずれも前述のとおり、少なくとも印章の製作、その易占の分野において古くから用いられていた「印相学」の語をそれ自体で又は「印鑑」、「会社印」の語と合わせて、前述のとおりの普通に用いられる用語法に従つて用い、これによつて、控訴人の商品である印章がこのような印相学に基づいて製作されたものである旨を表示するために用いられているものであることが認められる。
そうすると、右の各標章は、商標法第26条第1項第2号にいう(F)商標の指定商品と同一又は類似の商品の品質、効能、生産の方法などを普通に用いられる方法によつて表示する商標というべきである。
そうであるとすれば、(F)商標についての商標権の効力は、(ウ)、(エ)、
(オ)、(カ)の各標章(商標)には及ばないというべきである。
被控訴人は、印鑑の品質といえば、その使用材料をいい、字体などはこれに含まれない旨主張する。なるほど、印鑑に用いられる材料のいかんが印鑑の品質に係ることは当然であるが、これに限定されるべき合理的理由はなく、印影を表出させるという印鑑本来の機能に鑑みると、これに刻された字体のいかんもまた品質、効能などに係るものであることは明らかである(因みに、前掲被控訴人本人尋問の結果中にも、被控訴人の製作にかかる印鑑は、同人のいう印相学に則り躍動美にあふれた字体であるところに特色があるとの趣旨の供述部分がある。)。したがつて、前述のとおり印相学的見地から製作されたものであるか否かは、印鑑の品質をも表示する要素とみるべきであり、被控訴人の右主張は失当である。
四 (G)商標と(イ)標章とが類似しないものであることは、第一の二に述べたところと同様である。
五 そうすると、被控訴人の商標法に基づく請求も、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
商法に基づく請求
(A)標章と(ア)標章とが類似しないことは第一の二に述べたとおりであり、
営業について相互に誤認混同を生ぜしめるものとは認められない。
そうすると、商法第21条の規定に基づく本件請求もその余の点について判断するまでもなく、失当といわなければならない。
結論
よつて、被控訴人の附帯控訴はすべて理由がないから、これを棄却し、控訴人の控訴は理由があるから、原判決中控訴人敗訴の部分を取消し、附帯控訴人の本件申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第96条第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
裁判官 荒木秀一
裁判官 藤井俊彦
裁判官 清野寛甫